ホームページ:「出会いが宝」 ブログ:「自転車野郎の今」
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ペダリアン1997(第58号) |
ペダリアン1998(第62号) |
ペダリアン1999(第66号) |
愛車「飛脚号」で世界100ヵ国10万kmを走破するため佐川急便で2年間1千万円を、血を吐く思いで貯めた。そして、1992年4月、アンカレッジを南下。北米・中米・南米、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、アジアへ。西アフリカでは病気、金品強奪・・・と、順風満帆ばかりではなかったが、1997年4月15日、南アフリカ・ケープタウン「喜望峰」に到達。そして、インド洋のマダガスカルで100ヵ国を達成した。この記録は日本人の自転車旅として最多国歴訪だ。長野五輪の帰国を目指しラストスパート。(リレハンメル五輪フリースタイルスキーエアリアル代表の兄・寛さんの出場が予想される)

1998年5月29日信濃毎日自転車世界ひとり旅最終182回
長野県立諏訪実業高校の生徒代表として活躍した待井は、
18歳の1987年2月にJACCに入会し、地球体験を目指した。
自転車世界一周という夢に向かって、信州名鉄から佐川急便
のドライバーとして、血の出る思いで1000万円の旅費を捻出した。
地球体験は地元信濃毎日新聞に「自転車世界ひとり旅」として連載
され、1998年5月29日付第182回オセアニア 編「旅の終わり、
テントで30歳の誕生日」掲載を最終手記とし、帰国後の6月9日に
番外編として「6年間、巡った117カ国」の見出しで大紙面によって
読者へ報告されている。
待井は、「出会いが宝」という全編、アメリカ大陸編、欧州・中東編、
アフリカ編、アジア・オセアニア編の5編の素晴らしいDVDを自主制作し
販売しているが、信濃毎日に連載されたこの貴重な体験が書物化され
ておらず、青春を賭けた世界旅の共有、人生観が伝えられていないのが
悔やまれてならない。
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