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1990年~


1990年3月4日、TBS「報道特集」で南極と日本のJACCが衛星中継される。

3月16日、河野兵市が地平線会議の89年「地平線賞」を受賞。

            河野兵市単独サハラ縦断

4月2日、JACC顧問萩原幹也氏(ライオンズクラブ国際協会ガバナー)が逝去(71歳)。

5月、JACC本部を東京新橋の竹沢代表・国際特許事務所内に移し、関東会員の活動拠点とする。

夏、中華民国自由車協会劉金標理事長招請を受け、第4回台湾一周活動竹沢荘一代表・池本元光事務局長(出発式に参加)、手島渓三評議員、朝倉厚大原剛らが参加(7/28~8/11)。13歳~70歳までの男女128名が1200キロを走破。写真を見る

11月、台湾の胡栄華名誉会員が史上初の中国大陸縦横断14056キロを走破(89/10~90/11)。

1991年1月、舟津圭三「朝日スポーツ賞」「テレビ朝日ビッグスポーツ賞特別賞」受賞。写真を見る

4月、「JTBハローいい旅」のテーマソング「もっと遠くに」(作詞・作曲・歌、伊藤秀志)が同番組DJで作者の伊藤秀志さんからJACCイメージソングとして寄贈される。写真を見る
        (池本元光事務局長)                 (伊藤秀志氏)

夏、中華民国自由車協会第5回台湾一周活動84名が1286キロ走破。JACCから7名が親善交流!写真を見る

1992年夏、中学3年・松島章、世界最大級の56インチ一輪車米横断(サポートに舟津圭三河野兵市を特別派遣)、ギネス世界記録に認定。写真を見る

7月24日~8月8日、中華民国自由車協会第6回台湾一周サイクリング活動に朝倉厚を派遣。

12月20日、メキシコ北部で世界一周途上の滝口豪人(28歳)、3件目の交通死亡事故の悲劇が発生。-鎮魂

1993年3月、世界最長の犬ぞりレース「アイディタロッド」舟津圭三新人賞を受賞。

3月28日、第2回「地球体験ペダリアン大賞」に小学6年で日本縦断(1992年夏)を遂げた北海道の中務顕貴君を選び、東京・科学技術館で開催の「アドベンチャー・サイクリングフェア」(JACC主管)会場で贈呈式を挙行。写真を見る

(第2回地球体験ペダリアン大賞受賞者・中務顕貴君と池本元光事務局長)

5月31日、佐橋滋JACC名誉会長(余暇開発センター最高顧問)死去(80歳)。

7月14日、池本元光事務局長、玉井義臣理事の紹介で細川護熙さん(のちに首相)と友好を交わす。写真を見る

           (池本元光事務局長と細川護煕氏)

1994年7月、米国モンタナ州で世界一周途上福永真二(26歳)、4件目の交通死亡事故の悲劇が発生。-鎮魂

8月、JACC活動母体「日本国際自転車交流協会」設立に向けて6年越しに発起人会発足。

1995年1月20日、阪神・淡路大震災(1/17)救援金10万円を朝日新聞厚生文化事業団を通じて寄贈。

4月19日、“第2の植村直己”と呼ばれる河野兵市北磁極単独無補給600km踏破

4月30日、畑中正一JACC相談役(関西サイクルスポーツセンター所長)急逝(63歳)。

5月1日、「日本国際自転車交流協会」を7年越しに設立(「ペダリアン」7/1発行第52号で発表)。

5月、東大時代、米横断の横山典弘、通産省車両課課長補佐(自転車業界担当窓口)に就任。

7月10日、東京で日本自転車普及協会・源城常恒人専務理事、日本自転車振興会・藤原登理事、太田新生駐元リビア大使、矢野成典元三井物産ロサンゼルス支店長、朝日新聞・遠藤靖夫運動部長、通産省・横山車両課課長補佐、鍛冶忠雄相談役、竹沢荘一代表、池本元光事務局長による初の自転車国際交流懇談会を開催。写真を見る

1996年5月23日~30日、南太平洋・トンガ国王の招待を受け、竹沢荘一代表ほか4名が親善訪問。ツポウ四世国王に拝謁。王室へMTB5台を献上するなど民間外交を展開。トンガ訪問は、朝日新聞に紹介され、共同通信社配信によって全国各紙に大々的にカラー掲載されるなど自転車交流の成果をマスコミで発表。写真を見る

         JACCトンガ友好訪問記事

7月18日、72歳の韓国サイクリスト張永憲さんの日韓一周友好サイクリングの招請を支援。

7月19日~8月3日、中華民国自由車協会第10回記念台湾一周サイクリング活動(200名が1095キロ走破)にJACCから竹沢荘一代表、松坂佳彦副代表、ベテラン朝倉厚ら22名が友好参加。

1997年5月3日、河野兵市(39歳)日本人初の北極点780キロ単独徒歩到達の快挙を遂げる。(北極点に河野兵市が、89年12月12日には舟津圭三が南極点と、両極点にJACC旗を掲げた。)写真を見る

                   河野兵市北極点単独徒歩到達

8月14日~23日、ボルネオ島キナバル山(4101m)サイクルトレッキング実施に向け、朝倉厚とサンTVが現地調査行。

1998年1月8日、河野兵市、第46回「愛媛新聞賞」「瀬戸町名誉町民章」受賞。

5月12日、待井剛(30歳)日本人最多国記録世界117カ国11万6780km走破を達成し帰国(92/4/1~98/5/12)。写真を見る

6月13日、パリ郊外で夫婦世界一周中の瓢子敏樹(34歳)、5人目の交通犠牲者に。-鎮魂

10月1日~11月3日、関西サイクルスポーツセンターで待井剛の「夢と感動の世界と仲間達の大冒険展」開催。

10月11日、関西サイクルスポーツセンターで待井剛第3回「地球体験ペダリアン大賞」の贈呈式を挙行。写真を見る

              アフリカ走行中の待井剛

10月15日、日本国際自転車交流協会会長太田新生理事(元駐リビア大使)が就任。

1999年4月1日、JACC創設20周年を迎える。通算585人が門をたたく。写真を見る

7月10日~24日、台湾踏板上的勇者活動「台湾山脈3横断行」に松坂佳彦副代表ら7名が参加。

9月7日、JACC創設20周年記念事業費50万円全額をトルコ大地震(8/17)に役立てるため、太田新生会長他がヤマン・バシュクット駐日トルコ大使を訪ね、義援金として手渡す。写真を見る
  瀬戸圭祐副代表、駐日トルコ大使、太田新生会長、竹沢荘一代表(写真左より)

9月18日、朝日新聞が「銀輪に夢乗せ20年」とJACC創設20周年を大きくカラーで掲載。

12月10日~12日、竹沢荘一代表ら7名が台湾大地震(9月21日発生)慰問で台湾訪問。義援金30万円を郭金仁名誉会員へ手渡す。

12月22日、63歳でオーストラリア一周を遂げた愛知県の元高校教師・宗川元章(68歳)、南米アルゼンチン北東部レコンキスタ市郊外の国道11号線上で事故。飛行搬送中に死亡。


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