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「PEACE RUN2013オーストラリア・ニュージーランド ランニングの旅」

  2013年11月8日 南オーストラリア セデューナにて    高繁勝彦

   
    


【ナラボーを越えて】
10月9日にナラボー平原の西の入口、ノースマンをスタートして1ヶ月たらず。 ついに、今日、ナラボー平原の東端の町、セデューナにゴールした。 幸い予想していた熱波に見舞われることも少なく、冷涼な気候のお陰で体調をくずすことなかった。おまけに怪我やトラブルにも遭うことなく1200キロのナラボー平原を貫くエアハイウェイを無事に走破することができた。 当初は食糧難で、ロードハウスで手に入る食べ物も限られ、ひもじい思いをしながら、時には腹が減って走ることもできず、情けない思いも経験した。

マデューラの手前で、フィアンセぴあぴを含む天球ぴんぽんずが突然現れて驚かされる場面があった。 3人が来てくれて、愛と勇気と元気をもらい、おまけに大量の水や食料など差し入れをしてもらい、命拾いをする思いに…。私にとって3人はまるで救世主だった。ナラボー平原横断が成功したのも、3人のおかげと言っても過言ではない。

地平線の果てに向かって続くただ一本のハイウェイ。 行けども行けども地平線に終わりはなく、一人走る道はあまりにも遠く長く果てしなく、延々と変わらぬ風景だ。バギーに積んでいるのは、水(16〜23リットル)、食料など、60〜70キロになる。1日50〜60キロを黙々と走ったところでなかなか広大なナラボー平原の先が見えてこない。 それでも、地道に前進し続ければ、どんなところにでもきっとたどり着けるのだという思いでひたすら前へと挑戦する毎日である。

360度地平線に囲まれた広大な原野の風景。昇る朝日や沈む夕日の美しさに心癒される機会も多々あった。 一方で、過酷すぎるほどの厳しい自然環境にさらされたナラボー平原である。毎日野ざらしの状態で旅をしていれば、人間というのはあまりにも小さく弱い存在であるかと痛感させられる・・・。

自然の力は時として人間の想像を超えるものがある。 気温2度で寒くなったかと思ったら、いきなり35度の酷暑がやってきたり、日照り続きかと思えば、予想だにせぬ砂漠の豪雨もあった。 特に、風はいつも気まぐれ。 平原を吹き抜ける突風でテントがぶっ飛ばされそうになったり、砂嵐に見舞われテント内が砂埃だらけになったり…。 気持よく走っていても、向かい風になれば当然ペースダウン、一歩進んでは二歩押し戻される感覚。容易に前に進ませてもらうことができない。 平原とはいえ、時にはジェットコースターのようなアップダウンが小刻みに続くローリングヒルがある。一般的にナラボー平原はほぼフラットとは言われるものの、決して楽な道ばかりではなかった。

 

いかにうまく自然と共存していくかということも、今回の課題だったと言える。 ナラボー平原で過ごした一ヶ月、様々なことを学ばせてもらった。

いつも腹を減らしていたナラボー平原の前半、フラフラ走っていたら通りすがりの車が目の前に停まって、水や食料(新鮮な野菜や果物)を差し入れてくれた。 車の窓越しから名を名乗ることもなく、ただ善意でこういったことをしてもらえて、最初は嬉しさと驚きで涙が止まらなかった。 時にはキャラバンの中に招き入れられ、食事をごちそうになった上におみやげまで頂いたこともあった。それから、ナラボー平原後半は、ほぼ毎日のように誰かからいろんなものをもらい、水を飲んでも、食べ物を食べても決してなくなることがなかったのは驚くべきことだった。

旅の趣旨を話して、東日本大震災復興支援義援金を寄付して頂いた方々も少なくはありません。現時点で600ドルあまりの寄付を頂戴している。 困った時には必ず助けの手を差し伸べてくれる人がいるのだということにも感謝感激感動。 この世界で、愛に満たされ、平和な気分にひたりながら走れたことは本当に幸せであったと思う。

旅の途上では、様々な国や地域から来ている旅人ともたくさん会うことができた。 彼らは、ランナーやサイクリストであったり、モーターバイクツーリストであったり、キャラバンで旅をするオーストラリア在住の夫婦であったり…。 人種や民族、国籍に関わらず、同じ地球市民として、同じ時代に、同じ地球に生きている同朋・仲間であるということを心から嬉しく思うこともしばしばあった。 平和だからこそ出会える喜びに感謝すべきと思う。

ナラボー平原では、すべてのロードハウスに立ち寄り、ボーダーヴィレッジとペノン以外のすべてのモーテルやキャビンに泊まった。そこでは通常(町の価格)の2〜3倍もする高価な食料や飲料を購入した。しかも、手に入れられる食料はスナック類など限られた種類のものばかり。輸送コストや輸送の手間を考えればそれは致し方ないことではあるが…。 ロードハウスのモーテルでは貯水タンクの雨水を飲んだ。 シャワーも貯水タンクの雨水だ。シャワーは毎日浴びられるわけではなくロードハウスのある場所のみなので、3〜4日に一度。 ネットワークは限られた場所にしかなく、すべてのロードハウスでインターネットが使えるというわけでもない。情報の受信や発信は3〜4日おきしかできない。ネットワーク圏外にいることが普通の状態です。 普段、日本で暮らしていて、あたりまえと思っていたことに不自由するのがこちらの日常である。

ロードハウスのないところでの宿泊は、レストエリアやアウトバックでブッシュキャンプする。水道も電気もトイレもない原野でテントを張って夜を明かすしかない。 アリやハエの大群に歓迎されこそすれ、毒蛇やサソリ、毒蜘蛛の猛襲を受けることはなく、平穏無事な夜を過ごせた。 セデューナまで約2500キロ。オーストラリア横断のまだ半分たらずしか終わっていないが、最大の難所ナラボー平原走破を終えて、今は安堵の気持ちに浸るばかりだ。 今回は18年ぶり、二度目のナラボー平原横断になる。一度目の、1995年に自転車でオーストラリア横断した際の、セデューナの町が見えてきた時のあの感動を思い出した。あの時は、わずか2週間足らずで1200キロを走破したが、様々な苦難と試練を乗り越え、やっとの思いでたどり着いたセデューナだった…。

今回は自転車ではなく、ランニングであってもその気持ちは何ら変わることはない。 ナラボー平原はある意味特殊な場所である。砂漠の原野の中で私が体験してきたことは、普通に暮らしている人々にとっては考えられない、想像を超えた経験であったのかもしれない。そんな、ここでしか得られない特別な経験を経て、今、再び町に戻ってきた。 ノースマンを出てから、約ひと月ぶりに見る普通の町セデューナ。 買い物は普通のスーパーマーケットでできるし、食べたいものをあれこれ選ぶことができる。断食をしていたわけではないのだけれど、まるで断食明けのような気分である。 お金さえ出せば、何でも好きなものが手に入る。…そんな場所は文明国なら珍しいことではないのだが。 ここで私は、お金を出してもできない経験をしたことに素晴らしい価値を見つけ出せたということなのかもしれない。

セデューナで気持ちをリフレッシュして、ここからはポートオーガスタ経由でアデレードを目指す。そして、メルボルン、キャンベラ、シドニーと東部に向けてそのあと進んで行く。

「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」は、あと6ヶ月近く続きますが、引き続き気を緩めることなく、前進して行こう。 季節が夏に向かうこれからは暑さが日増しに厳しくなっていく。ただ、町から町の空白区間はナラボー平原内のような広大なことはなく、東部に向かうにつれて人口密度も高くなっていくので、まだ安心できる。

世界にいる70億人の一人でも多くの人々との出会いを続ける旅…自らの脚で出会いに行くのが私のミッションだ。 今後共、PEACE RUN、アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のご支援・サポートをよろしくお願い致します。
ピースラン2013



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