「PEACE RUN2011アメリカ横断5,000キロランニングの旅」その2
2011年10月17日
※猛暑を過ぎ涼しくなったアメリカ合衆国イリノイ州より、アメリカランニング横断の高繁勝彦会員から体験レポートが届きました。高繁さんのチャレンジはアメリカ西海岸ロサンゼルスから東海岸ニューヨークを目指してバギー(ジョギング用ベビーカー26kg+生活用具一式)を押し、平和を訴えながらランニング横断中です。(2011年10月17日)
アドヴェンチャー・ランナー 高繁勝彦
第二ステージは9月19日、カンザス州ウィチタからスタート。
第一ステージを熱波の真っ只中で終え、日本に一時帰国。
9月半ばに再び渡米。
気候的には問題なし。
朝夕涼しくなり、日中も30度を超えることはない。
ただ、寒暖の差は日本と違って結構激しく、朝かなり寒いこともあるかと思えば、午後に30度近くまで一気に気温が上昇することも珍しくない。
第二ステージでは、地元の中学や高校を訪ね、自分自身の旅の話しや、東日本大震災、津波に関しての話をする機会を提供してもらった。
次代の世界平和を担うであろう子供たちに、少しでも平和について考える機会を持ってもらうことができれば……。
PEACE RUNの目的のひとつでもある平和であることの喜びを共有する時間もぜひ大切にしたいと考えている。
ウィチタから8日間ノンストップで380キロ、ミズーリ州カンザスシティまで走り抜けた。
大平原とはいえ、ミズーリ州は小刻みにアップダウンが続く。
ローリングヒルズと言われるこのアップダウンが悪かったのか、第二ステージしょっぱなからペースを上げたのがよくなかったのか、カンザスシティで右脛を痛めてしまった。
カンザスシティとブーンヴィルの町でそれぞれ二日ずつオフをとって様子を見る。
痛みが治まったかと思って距離を伸ばすとまた痛み出す。
モーテルについてアイシングで患部を冷やし、オフィシャルスポンサーの久光USから提供してもらったサロンパスが大いに役立つ。
第二ステージスタートから約3週間でミズーリ州最後の町セントルイスへ。
ミシシッピ河を越えていよいよイリノイ州に。
ありがたいことに、東に行けば行くほど町はたくさんある。
20~30キロ走れば町はあるし、食料や水を手に入れるためのコンビニやスーパーにも不自由しない。
中西部の砂漠を走っていた頃は、次の町まで60~70キロというのはざらだった。
その日食料を手に入れられても、翌日は何もないという環境とは全然違う。
砂漠では、マクドナルドや大手スーパーのウォルマートに出くわすたびに、ワクワクしていた。
町があることが嬉しくてたまらなかった。
地図を見れば分かるが、中西部にはゴーストタウンも多数あるし、僻地といわれるようなところは当たり前のように存在している。
ランニングで一日40~50キロ走っても何もないのが当たり前なのだ。
季節は秋に変わり、木の葉も色づいてやがて散り始め、これから冬へと向かっていく。
汗をかくこともなくなって一日に取る水分の量も砂漠を走っていた頃と比べて格段少なくなった。
ゴールのニューヨークシティまでは残り推定1500キロ。
予定では、このまま順調に進めば11月最終週にゴールするであろうと考えている。
痛めた脛は徐々に回復しているものと信じよう。
距離を押さえながら用心深く進んではいるものの、いつ何時痛みがぶり返すとも知れない。
アメリカ全図を見ながら、残された州はインディアナ、オハイオ、ペンシルヴァニア、そして最後のニューヨークであと4つ。
あせらずあわてずあきらめず…ペースはスローながら確実にゴールに向かって東へ…ゆったりまったり、じわじわと前進している。
走れる喜びをかみしめながら、今日も、明日も、明後日も、アドヴェンチャー・ランナーは大陸を駆け抜けていく……。