「16年前JACC入会時の思い、今」

2015年3月28日

──岩手の小澤12歳少年期から26年間の交流

1996年大学2年の北海道1200kmサイクリング

岩手県奥州市で妻子とつつがなく暮らす小澤結(ゆう、38、東京農工大OB、身長178cm、剣道二段、公務員)は、同県水沢市(当時)の真城小学校6年生(12歳)だった1988年11月27日に、事務局長(当時)池本へ手紙をしたためた(その文面は夏休みに友達3人で小さな冒険サイクリングに出発する朝に撮った写真と共に1989年1月1日発行ペダリアン第26号6面に紹介された。※表紙は台湾の胡栄華さんに「地球体験ペダリアン大賞」決定!の掲載号)。

12歳の小澤少年は、池本元光現代表(67)、舩木迫勇夫評議員(67)との交流10年目の23歳、社会人(システムエンジニア)として自立生活のスタートを切り、興味を傾注する“地球体験”と“国際交流”活動を展開するJACCに正式に参画。16年前のJACC登録カードには「やっとこれを送る日が来ました」とあり、まったく嬉しい限りであった。

積極的、かつ、やや楽観的、人一倍の集中力に強い心と体を持つ小澤は、米カリフォルニアのサンディエゴに暮らす梶政雄支部長(62、元副代表、東京・府中出身)とも心身があい共通し、学府の後輩というのも頼もしい限りだった。

以下は当時の小澤のJACC活動への貴重な思いをひも解くものである。

「ペダリアン」でJACCの皆様のご活躍を拝見させて頂いております。

私は、所属する大学のワンダーフォーゲル部で、96年7月に起きた沢登り中の遭難死亡事故で、最も仲の良かった先輩を一人亡くしました。それから8カ月間の活動停止後、新年度からは主将として1年間、縦走、沢登り、山スキー、岩登りといった活動を行っていました。

自転車の方は、大学2年、3年と連続でそれぞれ2週間程度北海道を走りました。幸か不幸か部の活動が盛んであったため、休みがあれば山という日々で、自転車に乗ることが少なかったように思います。

現在は、卒業論文作成のため勉強中心の日々です。野外の農作物や森林などの光合成に関わることをテーマとしているため、調査でほぼ8月いっぱいは北海道へ行っていました。

ここからは、64号(1998夏)のペダリアンを読んで考えたことなどを書きました。

地球の温暖化、ダイオキシンなどの環境ホルモンの問題に対する取り組みの中でも「ペダリアン」64号3ページにある「ハース」のような自転車が生産されることは、まさに最先端と言えるのではないでしょうか。更に自転車協会の統一ブランドというのも賞賛に値するものであると思います。

今後、人間を取り巻く食料や環境の問題は、ますます深刻化していくことでしょう。これらの問題は、政策と科学技術の前進なしには解決できないところまで来ているとは思いますが、そういった地球規模の問題と、これからの日本社会の余暇の利用の仕方にまで言及するシンボル的な乗り物として社会に提供できるのは自転車以外にないような気がします。

また、持論ではありますが、そういった問題や、国際関係や経済、社会など世の中のあらゆる問題を根本的に解決するための手段は、最も時間がかかり、かつ困難であるとは思いますが、「教育」であると私は考えます。

そのための教育ができる土台が、ある程度整っている地域や国は、本当に限られているとは思いますが、教育なしに真の解決はありえないと思います。

JACCの自転車を軸にした地球体験、国際交流の情報提供と活動の普及は学校教育とはまた異なり、新しい世界を創造する人間を教育し育成しているものと言えるのではないでしょうか。この点で、JACCの存在と活動は、今後更に社会の中で重要性を増していくように思います。

最後に、地球規模の問題の解決には、国家間や民族間の問題を避けては通れません。これも国同士、民族同士の取り決めや条件が必要不可欠ですが、本当の意味での相互理解と問題の解決は、個々の人間同士の交流、友好関係なしにはありえず、そういった意味で、「地球体験と国際交流」を実践する人達=ペダリアンは、誰しもが世界の将来を担っていると、言えるのではないでしょうか。

以上、64号を読んで、思ったことを、また今まで考えていたことをいくらか書き連ねてみました。

実際の私はと言いますと、9月初めにあった大学院の試験に落ちてしまい、全く就職活動もしていなかったため、これからどうしようかと少々頭を悩ませています。高校の頃から作家・写真家の故星野道夫さんに非常に憧れ、アラスカに惹かれていたのですが、舟津

圭三さん(JACCアラスカ支部長)の「アラスカ犬ぞり物語」を読んでその思いが一段と強くなったので、いつか舟津さんを訪ねてみたいとも思っています。

※「ペダリアンの記事の足しになるかどうかは分かりませんが、何らかの形で利用して頂ければ幸いです」と追記してくれていたにも関わらず、ペダリアンの紙面で紹介できず、インターネット時代の今日、遅まきながらやっとJACCホームページに到達させて頂けることになりました。本当に長い長い、長い歳月、温め過ぎ、大変申し訳なく思っています。これにこりず、今後ともJACCを宜しくお願いします。


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