世界を走った自転車展

2015年5月24日

自転車冒険展示イベントのご案内

日本アドベンチャー・サイクリストクラブ
JACC日本国際自転車交流協会

ペダルは海を越えて!

日本を代表する7人の冒険サイクリストによる

「世界を走った自転車展」

476ケ国走破

こんな日本人がいた・・・

 場所/関西サイクルスポーツセンター(大阪府河内長野市)
 期間/平成27年4月26日(日)~11月29日(日)

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 このたび、日本を代表する男女7人の冒険フロンティアによる「世界を走った自転車」展を、我が国唯一の自転車冒険団体日本アドベンチャー・サイクリストクラブの協力を得て開催することになりました。

 同クラブは自転車による地球体験によって国際交流を深め、子ども達に“夢と感動”を届けることを目的に昭和54年4月当センターで誕生し、多くの冒険サイクリストを輩出してきました。

 そして今後も、夢多き人々の体験が世界の友好親善を育み、青少年への夢と希望の一助となることを願ってやみません。

 大自然を駆け抜け、友好のニオイがしみ込んだ自転車達をどうぞご覧ください。

平成27年4月26日
一般財団法人自転車センター
関西サイクルスポーツセンター
理事長 森本龍男

 自然環境や健康に良い自転車が見直され、サイクリングブームの広がりをみせる今日。国内最大級の「世界を走った自転車展」がゴールデンウィークに向けた4月26日から大阪府河内長野市にある“自転車のテーマパーク”関西サイクルスポーツセンターで開催されています。

           ◇           ◇

我が国唯一の自転車地球体験活動団体日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(JACC)の調査 では、JACCを創設した池本元光が世界一周に挑戦した昭和43年以来、現在までに世界一周した日本人は84名を記録しています。

 夢を馳せ、地球を回る世界一周は、もちろん、競争ではないのだからルートも期間も人それぞれ自由でありますが、JACCは下記のような一つの基準を設けています。

 「JACCは、赤道を通過し大西洋をはさむ2大陸以上を走破したもの、もしくはそれに値する行 程のものを世界一周という(※日本を出発点とする)」と昭和54年4月発足したJACCは会則第7章25条「世界一周の定義」に明記しています。

日本を起点に、赤道を通過し、大西洋をはさむ2大陸以上、ましてや赤道一周の距離にあたる4万70㎞の走破となると、やはり容易ではありません。

 それらに沿った世界一周体験者を絞り込むと、2001年1月、子宮癌の宣告を受けたパキスタン・イスラマバードから急きょ帰国し、3度の復活旅を叶えながら、2008年9月、完結旅出発前に再発。2012年春から旅のパートナーだった夫スティーブさんの母国豪州で厳しい闘病生活を続けているシール・エミコさんの80カ国12万余㎞走破を含め、28名しかおりません。

 元来、世界一周とは「行きっぱなし」をさしますが、長期間になるとそうもいきません。運転免許証の切り替えや祖父母の白寿祝い、親兄弟の重病、資金調達、自転車等の諸問題で一時帰国を余儀なくされた体験者も少なくありません。

 このたびの出展者の選考においても、これらの基準に沿うものの「友好のニオイがしみ込んだ自転車」が、すでに存在しないのが大半であったのも事実です。

 よって、このたびは7人の大変貴重な「世界を走った自転車展」といえると思います。

◇           ◇

出展者は、まず、47年前の挑戦者で日本の自転車冒険の先駆けとなった池本元光(昭和43年21歳~25歳、大阪府)

 小学4年で自転車に乗り、小学5年の秋に区民体育大会のプログラム角に付く抽選番号で、欲しくてならなかった少年用自転車が2等の賞品で当選し、いつしかこの自転車で世界一周を夢に見、時あたかもベトナム戦争激化の折、友好と平和のフレンドシップ旅にペダルで挑戦した。

「1ドル360円時代、20万円を旅費にチャレンジ!日本人初世界一周! その後キリマンジャロ自転車登頂・団塊号世界旅・帆かけ自転車豪大陸ナラボー平原横断」

ナショナル自転車・パナソニックサイクルテックが手がけた愛車タルーゼ号と帆かけ自転車が並び、写真パネルの上部にこのキャッチフレーズが掲示されています。

 1968年8月~1972年12月の4年4カ月、サイクラートリップ15で47カ国4万1840㎞走破(現在のデジタルメーターと違って当時、松下電器特製の万単位積算計は貴重だった)の池本は、帰国後、「世界ペダル紀行」(上下巻、サイマル出版会刊、全国学校図書館協議会選定図書)、「単騎走天涯」(台湾で翻訳、新将軍出版公司刊)。

 その後、少年の日の夢の地、キリマンジャロ自転車登頂を遂げた「アフリカよ、キリマンジャロよ」

(サイマル出版会刊、日本図書館協会選定図書)、「自転車冒険大百科」(大和書房刊)を出版。池本は、世界一周帰国2年後の関西サイクルスポーツセンター開場と共に就職。現在に至る。“縁”と“恩”のペダル人生、運が良かったと池本は語る。JACC創設者で代表。

 続いて、宇都宮秀俊(昭和59年22歳~25歳、福岡県)  

 「山形大学3年に学友に見送られ、3年後同大学に戻り着いた学生初の世界一周!」

片倉自転車製シルクキャンピングのアミーナ号で日本人初の快挙となった中南米の道無きダリエン地峡越え、アフリカ・サハラ砂漠縦断、コンゴの密林横断、南アフリカ南端喜望峰到達等を遂げた。

 1984年6月~1987年1月走破の宇都宮は、再び戻り着いた大学正門で学友に迎えられ、1年後に卒業。39カ国4万6100㎞走破の「自転車野郎 駆け抜けた四万七千キロ」(海鳥社刊)を出版。

その後、高校教諭となり夏休みを利用し30回の海外遠征を数える。JACC副代表として活躍。

 そして、永谷彰朗(昭和63年24歳~31歳、京都府、現在滋賀県在住)

 「美術教諭を辞しての夢の世界一周!町議会議員を経て中学美術教諭に復活!」

1988年5月~1995年4月走破の永谷は、夢を追いかけるために教職を投げ打ち、地元京都の自転車メーカー岩井商会製ガンウェルキャンピング、真っ赤な愛車アミー号で挑戦。サハラ砂漠縦断等55カ国7万5000㎞を走破。帰国後、地元京都の宇治田原町議員を務めた。大相撲の懸賞金垂れ幕で知られる「永谷園」の故・永谷嘉男会長は叔父にあたり、JACC情報季刊紙ペダリアン紙への広告出稿でご支援頂いた。京都の3大銘茶の血をひく教育肌の熱血サイクリストで、現在再び教育現場に立って子ども達と共に夢を追いかけている。JACC元評議員。

 そして平成の挑戦者、待井 剛(平成4年24歳~30歳、長野県、現在兵庫県在住)

 「日本一周後、宅配ドライバーで1000万円を貯め、夢の世界一周117カ国を走破!」 

1992年~1998年5月走破の待井は、世界100カ国10万㎞走破を目標に「やる気と希望は人生の宝石」「出会いが宝」とノートン自転車製愛車飛脚号で、サハラ砂漠やカラコルムハイウェイの桃源郷フンザからクンジュラブ峠を越える等日本人初の100カ国走破を達成し、6年間「行きっぱなし」で117カ国11万6780㎞を走破。第3回「地球体験ペダリアン大賞」を受賞。長野県諏訪市の諏訪実業高校の生徒会長も務め、世界一周中、地元紙「信濃毎日新聞」に「自転車世界ひとり旅」と題して182回の連載を重ねる。佐川急便ドライバーとして3年間の旅費捻出は血尿をもおし、血のにじむ思いで夢に向かって一心不乱に奮闘。堅実な計画の運びで、果てしない未知の世界へのチャレンジだった。大賞受賞の朝日新聞報道で伴侶と出会い、和菓子の老舗明月堂副社長として妻子と暮らす。JACC評議員として活躍。

 宇都宮一成・トモ子(平成9年29歳~39歳、愛媛県)

 「10年5カ月88カ国10万余㎞のハネムーン。日本人初のタンデム自転車世界一周!」

1997年6月~2007年11月走破の宇都宮夫妻は、サイクリング経験がほとんどないトモ子さんが伴侶の夢を成し遂げるべく相乗りし、重装備なゼファー製、キャノンデール製の2台のタンデム車を駆使し10万5805㎞の走破を遂げた。この夫妻の痛快無比な珍道中ともいえる絆を描いた紀行は走破後、「世界でいちばん長いハネムーン」(風濤社刊、夫婦の目線で描かれた四六判496頁の大作)、「88ケ国ふたり乗り自転車旅」(幻冬舎文庫刊)から出版。

帰国後、時あたかも故郷のしまなみ海道はサイクリングブーム。NPO法人シクロツーリズムしまなみに入職し、「世界の人としまなみをつなぐ架け橋になりたい」とポタリングガイドとして活躍中。

 そして最後の銀輪大使、中西大輔(平成10年28歳~39歳、兵庫県)

 「11年130カ国15万余㎞走破!各国で要人と交流。植村直己冒険賞他を受賞!」とキャッチフレーズを掲示。

 1998年7月~2009年10月世界130カ国15万1849㎞走破の中西は、元米大統領カーター夫妻、元ポーランド大統領ワレサ氏、ヤダブ・ネパール大統領、エベレスト初登頂のヒラリー卿夫妻、イランの女性ノーベル平和賞授賞のエバディ弁護士、ブラジルのスポーツ大臣となったサッカー王ペレ氏、カメルーンでサッカーアフリカの星エムボマ選手母子、エチオピアのマラソン王者ゲブレセラシエ選手らと交流し、ペダル友好旅を伝える。

 ポーランド・ローディングのマルボルク市長からJACCへの友好親書、アフリカ・チュニジアのサイクリング連盟からJACCへの友好親書と友好牌が贈られ、まさにJACCの目指すペダルによる友好親善と国際交流を果たした銀輪大使。

南米ボリビアやペルーでは自転車友好活動の功績が称えられ名誉州民章や市民章を受けた。

 日本人最多国走破記録の更新、これらの活躍で第4回「地球体験ペダリアン大賞」(5年に一度、活躍した世界のサイクリストへJACC日本国際交流協会が贈る賞)を受賞、国民栄誉賞を受賞した故・植村直己氏の功績を称えた第14回「植村直己冒険賞」(兵庫県豊岡市主催)を受賞。そして、母校追手門学院大から創設者の第1回「高島鞆之助賞」が贈呈され、3冠に輝く。

 著書に「世界130カ国自転車旅行」(文春新書刊)、「放浪哲学」 (ソフトバンク出版刊)、「騎出来的人生美景・世界130国単車騎行記」(中国の新星出版社刊)がある。

 現在、輝ける人生を目指し、ペダルを踏み続けている。JACC国際部長として活躍中。

 ◇             ◇

会場の「植村直己冒険賞」や「友好親書」等が展示されているガラスケース上には、“自転車で世界一周「冒険とは生きて帰ること」国民栄誉賞を受賞した植村直己さんが遺した言葉”を掲示。

また、自転車地球体験で活躍した世界のサイクリストへ日本アドベンチャー・サイクリストクラブが5年に一度贈る、歴代4名の受賞者を紹介したパネル上には、“ペダルで叶えた「夢と希望と友好のチャレンジ!」こんな日本人がいた…”を掲示し、自転車冒険展示を訴えています。

この7人の冒険サイクリストによる“ペダルは海を越えて!「世界を走った自転車展」” は、民間の銀輪大使として、地道にこつこつとペダルを踏み進めるチャレンジ精神で、培ってきた友好の大切さを多くの人々に少しでも伝えることができれば、これ以上の喜びはありません。この喜びこそ、未知の世界へのチャレンジを支えて下さった多くの人々に生かされた活力の証と思うのであります。

 まさに、冒険の道。チャレンジの道。友好の道。

 果てしなく!!

「人類進歩の原動力は冒険にある」

「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」、のだから……と思うからであります。


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