JACCがバカ集団でないための姿勢「138号記録特集」

2016年12月11日

※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2016年12月11日)

 多くの国々を訪れる、これはとても素晴らしいことであることは間違いありません。それだけ自分自身の見聞を広めたことの証であり、それだけ自分自身が多くの文化に接し多くの人々に接したことである証だからです。 

 しかし、それは何かしらの目的や目標があっての話。目的もなくただ歴訪国数を増やすことや長い距離を走ることは、コレクターやマニアの世界の話ではないでしょうか。

 もちろんそれを否定するわけではありませんし、否定できるものでもありません。一つのものをたくさん集めること、いろいろな珍しいものを集めること、集めたものを見せびらかし自慢し合うこと、そして優越感に浸ること・・・・・、誰にも迷惑をかけず、自分自身がそれによって幸せでいられるならば、そんなに素晴らしいことはありません。周りの人には何の価値のないことでも、その人が価値を感じ、幸せでいられるのなら、大切に育んでもらいたいと思います。現に私も家には10台以上の自転車があり、押し入れの中には世界中の自転車部品があつまっています。

 例え人に鉄クズと言われようと私にとっては宝であり、幸福を呼ぶ大切なものたちなのです。たまに引きずり出して眺めているだけでとっても幸せな気分になれます。楽しいです。誰にも迷惑をかけているわけでもないですし。

 ただし、これは私だけのもの。私だけの幸福。決して多くの人々と分かち合ったり、自慢したり、人々に分け与える幸福ではありません。

 たとえばペダリアン紙で、「会員の鈴木邦友は数えきれないくらいの自転車と自転車部品を収集している立派な方だ。私たちも彼の行動を見習いましょう!」と書いてしまったら、また真剣にほめたたえてしまったら、私たちの今までの行動は見失われてしまいますし、世間の人々はJACCを単なるオタクの集まりの“バカ集団”としか見てくれなくなると思います。

 JACCという組織の中で、ただただ訪問した国数や走行距離数だけを手放しに喜んでいたら、そしてそれだけを世間に公表し、自慢し、ほめたたえていたら、やはり同じく私たちは単なるバカ集団とみられてしまうことになるでしょう。目的をもって行動(旅)し、多くの人々に喜びと感動、勇気や幸福を与えてきた他の会員を裏切ることにもなりかねません。「冒険って、そんなことだったの?」と・・・・・・・。

 特に今はネット社会と呼ばれ、世界中の情報が入ってくる時代、PC端末さえあれば、これから通る道の路面状態までも知ることができるのですから、誰もが簡単に世界を自転車で走ることができるようになってゆきます。訪問国数や走行距離数はこれからどんどん増えてゆくことでしょうし、それを伸ばすことの意味は逆に薄らいでゆくことでしょう。

 多くの国を回り、長い距離を走った。それをすることでそこにそれ以上大きな目的や意義があったとしたら、それはJACCとして心から賞賛し、ほめたたえ、世間に公表すべきかと思います。

 そして、それが私たちJACCの仕事だと思います。しかし目的の無い単なるコレクションだとしたら、静かに見守ってあげることもJACCの寛大さであり、とるべき行動ではないかと思います。

 私たちこそJACCの進むべき道を忘れてはならないと思います。

 私たちが自転車を通して行ってきたことで、世界の人々に何かしらプラスになること、幸福や平和を分かち合うことが私たちJACCの目的ではないでしょうか。自分の満足だけを得る行動は、決して私たちの歩む道ではないはずです。

 今回、この件がこんなに議論されているのも、多くの会員が問題に感じているからだと思います。誰もが、手放しで喜んであげられない、なんとなく腑に落ちない、納得のいかないものを感じているからだと思います。 

 JACCは、JACCとして、JACCの目的・目標を見失うことなく、そこから外れてゆくものには方向修正を加え、間違っているものには厳しく助言し、素晴らしい行動をとったものは、賞賛し、ほめたたえ、記録に残し、公表してゆかなければならないと思います。そして多くの人々に幸福をもたらしてゆかなくてはならないと思います。

 ペダリアン紙はそうした私たちの確固たる意思を伝えるものではないでしょうか。

 JACCは世間の風評を気にしながら行動する団体ではないはず、ペダリアンもまたそのような読み物ではないと思っております。

機関紙ペダリアン校正担当

鈴木邦友(JACC評議員/自転車環境研究家)


上へ