自動運転時代の道路交通 Ⅱ ― 全ての自動車は公共交通機関になる ―

2018年8月16日

※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年8月16日)

 前回にひきつづき、現在わが国の旅客輸送事業が抱える問題について、もう一度見てゆくことにしよう。

公共交通機関に求められる最大のサービス、それはいつでもどこでも利用したい時に利用できること。つまり便の本数や運行経路の多さ、車両数ということになる。しかもそこには運賃も当然のこと影響してくる。鉄道やバスは運賃は安いが便数や運行経路が限定されているため、目的地に着くまで乗り換えが必要になることが多く、時間もかかる。また乗車地・降車地が定められているため、乗車前や降車後は必ず徒歩での移動が必要になる。特に地方では便数や運行経路が少なく、その存在すらない地域も存在することから、大きな社会問題となっている。

 それとは逆にタクシーはドア・ツー・ドアが基本で移動時間も短く最も便利な交通機関とされている。だが、運行経路や乗降場所の定めがないため、不確実な部分も多く、利用者数が多くなる時間帯や場所、自然環境の影響により車両が余ったり全くつかまらなくなったりという波が発生する。また人が少ない地域では営業する車両も少なくなりがちで、いつでもどこでもという良さが発揮しきれていないことも多い。

 鉄道やバス等大量に人を輸送する交通機関は、その運行システム上自由度という点ではある程度の制約は覚悟しなければならないが、タクシーの場合は個別輸送のため基本的に車両台数を増やし、需要の状況を見ながら車両を供給すること、そして運賃を下げることで、さらに自由度の高い便利な交通機関になることが考えられる。ただし前号でも述べさせていただいたとおり、既存のシステムでは、車両を増やし、運賃を下げることはそう簡単に実現させられることではない。

 さらにタクシーの増車が制限されている原因には次のような問題も関係している。

 まずその原因の一つに、年々利用者数が減少していることが上げられる。需要が減りつつある中供給量を増やせば、規制緩和時代と同じ状態が生まれてしまう。

 二つ目は、利便性の向上や運賃の値下げについては既に限界の状態に至ってしまっていること。経費の80%以上が人件費であるタクシー事業では、車両数の確保と運行の安全を担保させるためには、これ以上人件費を削ることは考えられない。人件費を下げれば乗務員の労働条件や環境はより厳しくなり、しいては安全やサービスの確保にその影響が及んでしまうからだ。また少子高齢化でただでさえ人材の確保が難しくなる中、その仕事に魅力がなく人が確保できなければ、タクシー事業は成り立たなくなってしまう。タクシードライバーの全国平均年齢は約58歳で、全産業のそれより十数歳も高い。また法人タクシーでも80歳越えのドライバーが存在していることから考えても、人材確保は重要な課題になっていることがうかがわれる。

 ようするにタクシーを中心とする個別輸送のための車両が増やせない原因の原点になっているのが「人」であり、人が介在する限り、車両を増やすことができないという状態になってしまっている。

 ということは、もし自動車の運転に人を必要とせず、多くのタクシーが無人化されることになれば、さまざまな問題が解決の方向に向かうということになる。その他にも労働基準法等の労働関係法令や、道路運送法、道路交通法等の道路関係法令の条文はその多くが人に対するものであり、そこに人の介在がなければ多くの問題がクリアされることにもなる。例えばタクシー特有の一運行における最大運転時間や最長走行距離、必ず取らなければならない休憩時間、勤務と勤務の間の一定の休息時間、週単位、年単位で定められる労働時間等の決め事も、まさにそこで働く人の労働環境を守るためのものであり、そこに人の介在が無ければ不要になる。運転者のいない車両は特に支障をきたさない限り走りつづけることができるため、自動運転車は、車検・整備や清掃を除き、1年365日1日24時間、稼働率100%を維持させることができるようになる。さらに、それら多くの規制が廃止されまた緩和されれば、増車や新規参入は社会問題には至らず、その制限の必要はなくなるはずだ。

 結果タクシーの保有台数が増え、またそれと同じ状況が実現すれば、移動したい時にいつでも車両が使える状態になり、いつでも便利に使える公共交通機関があるということは、「自動車を所有する」という概念すらなくしてしまうということにもなる。最終的には人を運ぶ自動車はタクシーだけということになる。

 もちろん日本には都心部のように移動に事欠かない地域もあれば、山間部のように移動することが生活上の最大の問題という地域もある。もちろんいつでもどこでもすぐに移動ができる状態にするということは不可能かもしれないが、どんな過疎地にいたとしても30分以内でタクシーが必ず迎えに来るとすれば、特に不便を感じることはなくなり、日本のどこに住んでいようとあえて自家用車を持つことなど考える必要性はなくなってしまことになる。そのようなきめ細かな車両配置くらいは、無人自動運転のタクシーにとって決して難しいことではなく、結果、いざというときのことを考えて所有していた無駄な自動車(自家用車)は激減し、国内の自動車の総保有台数もかなり減ることになろう。

 ここ最近シェアリング・エコノミーという言葉をよく耳にするようになったが、そもそもタクシーというシステム自体も一台の自動車を多くの人が利用するという点ではそれを代表するものであり、その使い勝手が向上するということはさらに需要は高まるということになる。ようするにどこに住んでいようと移動に対する不安や無駄がなくなり、生活に新たな余裕が生まれることになる。

 自走運転が普及し、自動車の個人所有が激減するということは、他にもさまざまな好影響を生み出すことになる。例えば自宅のカーポートや月極駐車場、街のコインパーキング、巨大モールの巨大駐車場や公共施設や娯楽施設、コンビニの駐車場からも自動車というものが消えることになり、駐車場という概念すらなくなってしまうことにもなる。ただし空車タクシーの待機場所や車寄せは十分なスペースが必要になるが。もちろん自転車の行く手を阻む違法路上駐車車両すらも激減することになる。一体どれだけのスペースが歩行者や自転車、そして人々の生活のために解放されることだろう。

 もう一つ、正しいプログラミングを与えられた自動運転車は、決して法規を犯さなければ、無理な運転をすることもない。いつでも100%安全運転を励行し、上手な運転をする。さらに危険予知に関しては人とは比べ物にならない程の能力を有し、人や自転車が物陰から飛び出すこと等、事前に察知し対処までもおこなうことができるようになるだろう。ましてや、周りの自動車をあおったり、自転車や歩行者に嫌がらせをしたりというばかな車両もなくなる。クラクションの音もこの世から消えることになる。ようするに違反や交通事故というものは姿を消すことになる。

 「クルマに気をつけなさい!」もしかするとこんな言葉さえも聞かれなくなるかもしれない

 さらに道路やその設備自体にも変化があらわれることになろう。

 全ての個別輸送車両が公共交通機関になれば、無駄な移動ということも激減する。それにより今までの新設や拡幅を中心とする道路行政の見直しも必要となる。なぜならば、人の移動が減少し自動車の運行距離や台数が減少すれば、必然的に道路の新設や拡幅も不要になるからだ。

 そんなことから、海外では自動運転社会を見すえて、道路の新設や拡幅計画を見直す動きも出てきたというニュースも聞かれるようになった。

 既存の道路、特に車道部分は人が車両を運転することを前提に計画されてきた。わが国が批准するウイーン条約にも自動車の運転は人がしなければならないことが明記され、道路もそれを基本に作られてきた。車道の幅、制限速度、道路標識や表示等もまさに人が運転することを前提に整備されている。ところが自動運転化の時代にはそのこと自体不要になる。運転技術の高い自動運転車両では、車道の幅は車両の幅よりわずかに広いくらいで十分。自動車に対する道路標識や表示等人の目に訴える設備も、通信システムによりおこなわれるようになるため不要になる。踏切の遮断機や警音器などもなくなるかもしれない。そればかりか信号機ですら姿を消す可能性もある。さらに制限速度の存在にまで疑問がもたれるようになってきた。道路環境や通行量等の状況を解析し安全が担保されれば、特に決まった制限速度を定めず、道路環境に相応しい速度で走行させることができるようになるからだ。それにより最も効率の良い運行速度で走ることができるようになる。時に全てのシステムが安全と判断すれば、その車両が有する最高の性能で走ることもできるようになる。結果、移動時間が短くなるということは、車両が路上を走行している時間が短くなるということであり、考え方を変えると路上に存在する走行車両を減少させたのと同じ効果が生まれることになる。ということで、自動運転時代には高速道路(自動車専用道路)の必要性すら疑問視されるのではないかと思われる。

 この様に道路を通行する車両の台数が減少するということは、道路の新設や拡幅等の計画は見直しが求められるようになり、逆に道路跡地や減幅された部分の緑地化や歩行者や自転車のためのスペースとして蘇らせる等の再開発が必要になってくることも考えられる。

 自動運転の普及により、人の移動に係る無駄は大幅に削減されることになる。そこに費やされていた膨大な時間や経費は、いずれ住みやすい社会づくりや人々の福祉のために還元されることになるだろう。

つづく

鈴木邦友

参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」


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