自動運転時代の道路交通 Ⅲ ― 全ての自動車は公共交通機関になる ―
2018年9月30日
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年9月30日)
自動車をいつでも誰もが自由に使える時代がやってくる。もちろん自動車を所有することや運転免許を持つこともなく。多くの自動車は公共交通機関となり、「今すぐ東京駅まで。3人ネッ!」とスマホやスマートスピーカーに呼びかければ、自動運転タクシーがやってきて目的地まで連れて行ってくれる。運賃は今の数分の一もしかすると無料となり、支払いも電子決済でいちいち財布を開くわずらわしさもない。配車時間や到着時間等も予約時点で端末が知らせてくれ、時間も無駄にしない。もちろん出先でもこんな感じで、誰もがいつでも自動車を使えるようになる。
そんな未来の交通システムの構築に向け、2020年の東京五輪・パラリンピックを目標に、「レベル4」の無人自動運タクシーやバスを走らせようという構想が持ち上がり、すでに都心エリアで実証実験がはじまった。関東エリアの国際空港や都内の主要鉄道ターミナル・バスターミナルから、オリンピック会場、選手村、主要ホテルまでのルートに無人自動運転のタクシーやバスを走らせようというものだ。当然、会場内やその周辺における大会関係者の移動等も視野に入れたものであろうことがうかがわれる。
東京五輪・パラリンピック以降は、鉄道やバスがなく、タクシーですら来ないいわゆる公共交通空白地域で、役所や病院といった公共施設、職場や学校、ショッピングセンターや娯楽施設等と住居を結ぶ足として発展してゆくことが大きく期待されている。
自動運転自動車の普及は、移動に関してどこに住んでいようと、都心部と比べてもなんら不便を感じることのない良好な交通環境を実現させることになる。
交通環境が変わるというより、社会や人の生活自体が大きく改善されることになる。
また、自動運転自動車の普及は、人が移動するときの無駄な時間や無駄なエネルギーの浪費を削減する効果も考えられる。
例えば買い物で自動車を使ったとしよう。すると次のような行動が考えられる。
① 自宅から駐車場まで自動車をとりに行く。
② 自動車の点検や掃除、車両によっては暖機運転も必要となる。
③ 運転をして目的の商店へ向かう。
④ 到着後、同乗者がいれば店の前で下す。
⑤ 運転者は駐車場まで自動車を置きに行く。
⑥ 駐車場から商店まで徒歩で戻ってくる。
⑦ 途中燃料が少なければ、ガソリンスタンドに寄ることも考えられる。
このような行動と時間が必要になる。
これが自動運転自動車を利用したとすると。
① スマホやスマートスピーカー等通信端末でクルマ(自動運転タクシー)を呼ぶ。
② 「間もなく到着します」のお知らせが来たら外に出て自動車に乗り込み、目的地に向かう。
行動や時間はこれだけにしか費やされない。無駄は一切消滅することになる
自動車自体の動きを見ても、迎車は最も近くにいるタクシーが配車され、移動後も最も近い待機場所で別の客待ち状態に入るだけとなる。無駄な走行がなくなることから、無駄なエネルギーの使用や大気汚染、渋滞や交通事故の減少につながることにもなる。
結果、社会や自然環境での無駄なエネルギーの消費が削減され、人々の生活にゆとりが生まれることになる。
これがビジネス上の動きであれば、無駄な行動は生産性につながらない。これまで無駄に消費されていた労力を有効なビジネス活動に回すことで、生産性を向上させることにもなる。経済活動上のロスの削減となる。
自動運転の普及やAI技術、IoTシステムの発達とともに、自動運転自動車自体の機能や性能、品質はさらに向上する。やがて、交通事故「0」という日もやってこよう。人の運転と比べ、はるかに高いレベルでの走行が可能になるからだ。しかも運転者によってまちまちだった運転技術の差もなくなり、全ての自動車が同じレベルで走行することになる。ようするにどの自動車も同じ走り方ができるということになり、安全性は高くなる。もちろん全ての自動車が自動運転になった時のことだが。
そうなると、人が運転することで必要とされる道路交通環境・交通システム上の様々なものもいらなくなってくる。
前号でも触れさせていただいたが、自動車がまっすぐぶれずに走れるようになれば、極端な話直線路においては道路の幅員は自動車の幅とほぼ同じにすることができる。全ての自動車の最大車幅の上限を2mとすれば、道幅も片側おおよそ2mプラス数センチもあれば十分ということになる。
また、自動車の無駄な走行がなくなることから、走行車両数も今後減少してゆくことが考えられるため、片側二車線以上の道路も必要なくなる。道幅や車線数の減少で使われなくなったスペースを、歩行者や自転車のための移動空間、緑道、道路公園、プロムナードにすることで、ここでもまた人々の生活に豊かさをもたらすことになる。
さらに道路の新設や拡幅、また地下に潜らせたり高いところを走らせたりする必要もなくなるため、道路整備のための予算をその他の住民サービス、環境整備に回すことができるようにもなる。
全ての自動車が自動運転になれば、自動車のための道路標識や道路標示等も不要になる。そもそもそれらは、人が運転することを前提に設けられているもの。ハンドルを握る人に情報を提供したり注意を喚起させたりするのが目的で存在しているので、人が自動車の運転をしなくなれば、その存在は全く意味をなさなくなる。そこを通行する自動車に伝えなければならないリアルタイムの情報は、無線回線でやり取りすればいいだけのことだからだ。
踏切の遮断機でさえ、自動運転自動車には不要になる。列車の接近を前もって自動車の制御システムに送信し、「列車が近づいている踏切の前では必ず止まり → 列車が通過するのを待ち → 列車が通り過ぎたら速やかに発進する」というプログラムを自動運転自動車の制御システムにプログラミングしておけば、遮断機を降ろしたり警報音を鳴らしたりすることも無用になる。当然のことながら、従来のように「列車が接近していなくても踏切では、必ず一時停止しなければならない」というルールも不要になる。これこそまさに自動車を人が運転するからこそ存在しているようなルールだからだ。
踏切で遮断機や警音器が不要になるということは、自動車用の信号機も不要になるということ。例えば、ある一つの交差点に向け2台の自動車が走行してくるとしよう。互いの自動車はこのまま走行をつづければ、同時に交差点内に侵入することになる。今までは信号機や一時停止の道路標識(表示)で、自動車の運転者に指示や注意を与え、どちらかの車両を停止させることにより衝突事故を回避していた。しかし自動運転の時代では、互いの自動車間で情報のやり取りが可能となるため、速度を落とした方がよい車両と、逆に速度を上げた方良い車両が瞬時に演算され、全く見通しのきかない交差点でも互いに停車することなく通過できるようになる。それは2台以上でも同じ。まるで日体大の「集団行動」のような絶妙なタイミングで互いに他車を交わしてゆくことになる。
その他、センターラインや車道外側線、縁石やガードレール等の存在にも不要となってこよう。極論、車道とそれ以外の道路部分、さらには道路と道路以外の部分との線引きも必要なくなるのではないかと思われる。
そうなれば、標識のポールやガードレールの脚が歩行者や自転車の通行の妨げになるようなこともなくなり、雨天時に路面の白線で滑ったり、ペイントの厚みでハンドルを取られたりということもなくなる。
ようするに車道(自動車用)という概念までもがなくなり、新たに人が安心して快適に移動できる歩道や自転車道等の進化につながることも考えられる。
もちろん道交法を厳守し安全走行を履行する自動運転自動車なのだから、道路を歩行者や自転車と区別しなくても、全ての道路使用者が安全・快適に共存することができるようになる。高齢者や障害者の移動の難所となっていた歩道橋、地下横断歩道等も姿を消すことになろう。
交通システムの省エネ化も期待できる。人が運転に介在しないということは、自動車の走行に必要な照明設備も要らなくなる。夜間車道部分を照らす街路灯、自動車用の信号灯、電光式行先案内板や道路標識等。さらにそれらを保守するための労力も不要になる。また車両を無駄に停止させることが少なくなるため、道路の損傷も少なくなり、修繕費の削減も期待できる。自動車自体のエネルギーロスも軽減されることになる。
それはそこに費やされる税金の軽減ということにもなる。
自動運転の時代には、車道上の多くの設備が不要になるとともに、交通インフラのコンパクト化にもつながることになる。自動車に占有されていた車道部分の割合は今よりも少なくなり、そこに費やされていたエネルギー消費量も減少する。もちろんそれだけではない。無駄に所有していた自動車の台数が少なくなる分、自動車を保管する場所や出先で止めておく場所も今より少なくて済む。
また道路の建設費のほとんどは税金で賄われるため、道路整備にかかる費用が削減されれば、その予算を他の公共事業に回すこともができるようになる。
さらに自動車の保有台数が減り、無駄な走行がなくなれば、環境保全に貢献することにもなる。
限られたスペースの有効活用、エネルギー資源の無駄遣いの削減、地域差のない移動環境の実現等、住環境・生活環境の改善につながってゆくことになる。そして自動車はさらに便利で安全で価値の高いものになる。
今まで自動車があるために費やされていたものが、人々の暮らしのために使われることになり、結果、人びとの暮らしに余裕が生まれ豊かになってゆくことになろう。
自動車の自動運転化は、道路環境を、また私たちの生活を大きく改善してくれることになる。
つづく
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」