自動運転時代の道路交通 Ⅳ ― 自動運転化・AI化・IoT化・電気化 ―
2018年11月4日
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年11月4日)
自動運転の時代が訪れると、道交法違反や無理な運転をする自動車がなくなる。そのため交通事故が激減する。また、効率的な道路交通となるため、交通渋滞や排気ガスによる環境汚染、無駄なエネルギーの使用もなくなる。さらに、無駄に走る自動車がなくなり路上には最小限の自動車しか存在しなくなるため、道路の拡張や拡幅も不要になる。その他、自動車を所有することすら不要になるため、駐車場等自動車が専有するスペースまでも減少させることができる。
そうなると、それに費やされる国家予算や自治体経費、企業や個人の出費も大幅に軽減されることになる。しかもそこで使われなくなった経費や予算を他の事業に振り分けることができるようになる。今まで予算が不十分だった事業にそれらを回すことができるようになれば、国民の生活が豊かになるとともに企業の成長のための礎ともなる。
つまり、国全体が豊かになるということになる。
もちろん自動車と同じ「道路」を通行する歩行者や自転車にも、多くの変化がみられるようになる。
では、実際どのような変化が自転車にあらわれるのか見てゆくことにしよう。
自転車に与える影響として、自動運転化やAI・IoT化がもたらす最大のメリットとしては、対自動車との交通事故の激減が上げられよう。もちろんそこにはさらなる技術の進歩と道路環境の整備が必要となるが、人が運転するよりはるかに高レベルで安全な自動運転車が増加すれば自転車対自動車、歩行者対自動車の交通事故は反比例的に減少してゆくことになる。
交通事故を分析してみると、その原因の多くが人のミスにあることがわかる。事故の原因には必ずと言っていいほど「道路交通法第○○条の違反による」という言葉がついてくる。そのことからもわかるように、運転者が交通ルールを守っていなかったということが事故の原因ということになる。
その最もわかりやすい例が踏切事故。「踏切が鳴ったら渡らない」を守っていれば事故は絶対に起こらないはず。また踏切が開いている状態でも、道交法どおり踏切前での一時停止と安全確認を励行していれば、踏切が故障していたとしても、たとえ警音器や遮断機がなくても、事故は起こらないはずだ。
見通しの悪い交差点での車両と車両、車両と人・自転車との出会いがしらの事故も、道路標識に従い必ず一時停止し安全を確認していれば起こらない。交通法規を守っていれば、事故の多くが防げたはずだ。
しかし踏切事故も交差点での出会いがしらの事故も絶つことはない。ようするに車両の運転者が交通法規を守っていなかったからということになる。
ではなぜ人は違反をしてしまうのか。それにもきっと原因があるはず。ということで、その原因について探ってみると・・・・・。そこには意外なものが見えてきた。その原因とは、人の心理状態によるもの。はっきり言えば、人の「心の弱」さだ。
筆者は通勤に自転車を使っている。その途中踏切がいくつか存在する。ちょうど通勤ラッシュと重なるため、列車が数珠つながりとなり「開かずの踏切」状態となってしまう。やっと開いたと思うと数秒でまた閉じてしまう。自動車も踏切を渡るのに長い列だ。
ここで違反の原因となる人の心(の弱さ)が見つけられた。警報機が鳴り出す。列の先頭の1~2台は当り前のように通過してゆく。さらに3台目、4台目と通過。最大で5台の車両が通過してゆくのを見たこともある。5台目が渡ろうとした時には遮断機も降り始めていた。もっと驚かされたのが、警報機が鳴り先頭の車両が法規どおり止まると、それを追い越し踏切を通過してゆく車両の姿もしばしばあった。もうこうなると違反というよりは犯罪だ。自転車の雑誌で書きづらいが、自転車は遮断機が閉まりかけていたって平然と通過してゆく。歩行者にいたっては遮断機が下りきっていても潜り抜けてゆく。
いつも渡る踏切。こうなることはわかっているはずなのに、毎日毎日イライラ状態を募らせ違反を繰り返しているのだ。“止まらなければならないのに止まれない”まさに人の心の弱さだ。
一時停止の標識のある交差点でもそんな風景に出くわす。減速はするがしっかり停止する車両は少ない。ましてや見通しの効かない交差点で停止線の前で止まってもう一度左右の安全が確認できるところで止まる二段階停止をおこなっている車両となるとまず見られない。中にはただ減速するだけで確認もなしに通過してゆく車両もある。何のための一時停止なのかわかっていないはずはない。完全に止まって確認したとしてもたいして時間はかからないはず。ようするに一時停止違反であることを知っていて違反をしていることになる。減速も停止もアクセルペダルとブレーキペダルを踏みかえる簡単な操作できる。それなのに止まれないということは、まさに自分の欲求を抑えることができないという心の弱さということになる。
その他にも、信号機が青から黄色にかわろうとしているのに、気付くとアクセルペダルを踏み込んでしまう。制限速度を守れない。自転車や歩行者を見て「邪魔だ」と思ってしまう・・・・・。これらもほとんどが心の弱さからくるもの。そして多くのドライバーが身に覚えのあることではないだろうか。
そのくせ他人の違反には敏感に反応してしまい、イライラし、幅寄せをしたり、クラクションを鳴らしたり、前車にぴったりくっついたりと悪質なあおり行為にいたってしまう。これも心の弱さからくるものだ。
もちろん「うっかり」というように、特に意識せずに起こしてしまう違反もある。漫然運転といわれ、ボーっとしていて事故にいたることもある。気が付いたら一方通行を逆走していたり、一時停止の標識に気づかなかったり、最近よく耳にする高速道路の逆走等。やる気でやっているわけではないが、これらもまた運転に集中できないという心の弱さからくるものではないだろうか。
こうなると、自動車という機械が原因で起こる事故や、環境が起因した事故というものはかなり少ないということになる。逆に機械は正しく動こうとしているのに、それを悪い方向に動かしてしまっているのが人ということになる。
機械には心がないと言われている。良い心もなければ悪い心もない。優しい心もなければ憎しみの心もない。人から命じられたことをただただ忠実に実行しているだけだ。人の使い方によっては平和のための道具にもなれば戦争のための武器にもなる。
ということは、人が持つ優しい心から生まれる行動をプログラミングすれば、心はなくても優しい運転をする自動運転車になるということになる。「他の物体には絶対に接触しない」「人を驚かせたり不快にしたりするような行動をしない」「ルールは絶対に無視しない・そして守る」「異常を感じたら行動を継続しない」「無理な運行をしない」等の正しいプログラミングをすることで、その自動運転車は優しい運転をする道具になる。漫然運転もなければうっかり運転もない。自分勝手な運転もしなければせっかちな運転をすることもない。もちろん機械なので、それによってストレスを感じることもなければ、イライラすることもない。心をもたない自動運転車は、ただただ忠実に交通ルールを守り通すことができる。優しくも強い心を持った優秀なドライバー同様の運転が可能ということになる。
結果、違反が原因の交通事故は激減することになる。
そしてもう一つがIoT化による道路交通環境の変化。IoTは自動運転とセットで考えなければならない技術。自動運転車をはじめ多くのものをインターネットで繋げてしまおうというネットワーク技術だ。
道路を使用するもの全てがネットワークで繋がり、お互いの情報をやり取りすることで、ほとんどの交通事故が防げることになる。信号無視、一時停止無視で暴走する自転車の運転者も、自動車が交差点に近づいていることがわかれば、あえて交差点に突っ込んでは行かないはず。また自分の進行方向の信号が青であったとしても、自転車が信号無視・一時停止無視で交差点へ侵入してくることが予測できれば、車両を減速させまた停止させ事故を回避することも可能になる。ようするに、今まで予測できなかったものがIoTにより情報として得られるようになれば、人の目や耳、勘というあいまいな情報に頼っていた運転を、数値化した確実な情報による運転にかえることができるようになる。
自転車や歩行者の場合であれば、「道路を通行するときもしくは外出するときには必ずスマホのような端末機を携行すること」で、IoT化することは可能、また端末を携帯しなくても道路に埋め込まれたセンサーが自転車や歩行者の行動を読み取れるようになれば、全ての道路使用者がIoTによる交通システムに組み込まれることになる。全ての道路利用者が、周辺に存在する道路利用者と結ばれることになれば、交通事故は激減することになる。
さらに自動運転のAI技術とIoTが高度に進歩・連携することにより、信号機や踏切、道路標識や道路標示等までもが不要になることも考えられる。また各システムが「安全」と判断すれば、一般道路であっても各車両が出せる最高の速度で走ることができるようになろう。つまり全道路における制限速度の廃止だ。
さらに移動時間の短縮は、保有車両の削減に繋がることにもなる。
自動車が自動運転になり、IoTで結ばれるようになれば、その相性の良さから自動車の電気化も自然に進む。そうなると自動車が環境に及ぼす影響も少なくなる。
自動車がエンジンで動く限り道路上で燃料は消費される。その結果有害な排ガス、再利用できない熱、騒音も道路上に撒かれることになる。その道路は生活環境の中に存在し、必然的にその有害なものの影響を私たちは受けることになる。
ところが電気自動車は排ガスを出さない。放出される熱も摩擦熱程度。音も回転音と摩擦音くらい。しかも部品点数も少なく製造にかかるエネルギーも小さく抑えられる他、軽量のため動力効率にも優れている。
もちろん電気を作るためのエネルギー源は必要になるが、その生産は効率的におこなえるため、たとえその電気を作るために化石燃料が使われたとしても、各車両で動力エネルギー化するよりも効率的がよい。また自動運転システムやIoTシステムも電気で作動させるため、化石燃料を電気エネルギーに変換するときの装置も不要でエネルギーロスも小さくなる。
さらに電気は化石燃料や核燃料の他、太陽光、地熱、水力、波、風力といった自然界に存在するエネルギーからも作ることができるため、有害物質を出さないという大きなメリットもある。
もちろんそればかりではない。電気化の最大の利点は、電気を作るところとそれを動力エネルギーとして消費するところを離すことができるということ。電気は簡単に素早くどこへでも輸送することができるエネルギーのため、火力発電所であれ原子力発電所であれ、有害な物質を排出する発電所を人が生活する環境から離すことができる。最近では非接触充電も一般化していることから、将来は他の惑星で効率的に発電した電気を無線で送電し、全地球上のエネルギーをまかなっているなんてことになるかもしれない。
事故が無くなり、快適な移動環境が整い、クリーンな大自然の中で、私たちは自転車を楽しむことができるようになる。
自動車の自動運転化、AI化、IoT化、そして電気化。私たちの生活環境は想像以上に素晴らしいものになろう。その中で最も恩恵を受けるのが自転車であり、その自転車を愛する私たちなのかもしれない。
おわり
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」