世界の道へ! ブログ「世界科学習」教育旅発信の元小学校教師・佐藤文彦同志31歳を悼む
2018年6月、アラスカ・アンカレジを南下。19年3月、パナマから一時帰国。6月15日、南米コロンビアへ再出発。7月31日、赤道の国エクアドルを後に北部ペルー入国。8月4日、内陸部から太平洋に近い町グアダルペでトラックの接触事故に遭遇。転倒し、頭部を強打。救急搬送される。在リマ日本大使館から知らせを受け、千葉県からご両親が駆けつけるも7日、帰らぬ人となってしまった。JACCはこのあまりにも悲しい対面に、ご両親のはかりしれない心中を察する苦しみを受けた。
8日、共同通信等のメディアにより悲しみが関係者を襲った。
夢の自転車地球体験は、まさに冒険野郎にとって青春のエポックだが、野心的な旅であるほど、危険とも表裏一体である。JACCはチャレンジャーの安全を祈り、警鐘の意味を込め、佐藤同志他界から6年、この追慕を手向けに謹んで冥福をお祈りしたい。合掌
■ぜひ本文、写真等で佐藤同志を偲んでいただき、安らかな祈りを捧げていただければ幸いです。
◆本文(副代表宇都宮秀俊、応援追記/代表池本元光)、フイルター協力/梶政雄共同代表・出口隆二事務局長・鈴木邦友評議員・ML各位。感謝。
記)池本

ガソリンスタンド経営者との希望あふれる佐藤(右)が、
なぜに4日後に……

元赴任先小学校の子どもたちの“がんばって”
メッセージ入り日の丸と記念写真におさまる佐藤
逝去から35年、JACC活動を地球サイズで支えて下さった名士・萩原幹也顧問への感謝の意
この度「ペダリアン(会友)出版作品」に、本年2025年、ご逝去 から35周年を迎えられたJACC顧問だった萩原幹也氏の下記、追憶書の掲載にあたって感謝の意をしたためた文書の一部です。
「奉仕こそ吾が歓び It’s my pleasure 追憶 萩原幹也」
1993年 編集・発行(朝日開発株式会社)
JACC顧問として本会を精神面で支えて下さった萩原幹也氏(愛知県豊橋市)。90年(平成2年)4月2日、永眠された。享年71。
萩原顧問は、朝日開発(株)・朝日自動車販売㈱社長、平尾カントリークラブ理事長、日経連理事、豊橋ライオンズクラブ会長、ライオンズクラブ国際協会334-C地区ガバナー等を歴任され、多方面にわたって功績を残された。
ゴルフをこよなく愛された氏は、カントリークラブ開場には高松宮殿下を迎えられ、理想とするゴルフ場を目指してこられた氏とJACCとの縁は、氏が愛した言葉「合縁奇縁」そのものでした。
■こんな名士が、こんな縁で「JACCを支えていたんだ!」と偲ん で頂ければ幸いです。

物故30年・春日光明同志を偲ぶ
「一周後、故郷で不徳の生涯から30年。河野兵市らが役立てた遺稿‼ のサハラ砂漠縦断資料」
“夢”の世界一周58カ国5万2千km走破後、故郷で32歳という若さで不徳の道を辿った春日光明同志の青春・人生の一端を、旅立ちから30年の本年(2025年)、ともに偲んでいただければ幸いです。
本文で紹介の旅すがら細やかに調査したサハラ砂漠縦断資料、アフリカ情報・中南米情報ノート。同志春日が後続者へ遺した「貢献」には頭が下がる、地球体験の貴重な遺稿だ! この貴重な青春を賭けた情報とあまりにも短い人生を思うとふびんで、いたたまれない……君こそが、もっともっと目立って、もっともっとハシャイデほしい地球を駆け抜けたアドベンチャーサイクリストであってほしかった!
JACC日本国際自転車交流協会理事で歌手の河島英五さんが歌っていた「生きてりゃいいのさ」のように、生きていてほしかったよ!
帰国後、頑張り屋の君の役に立てなかったことを衷心悔やんでいるよ。同志君が旅立って30年、この追慕を手向けにJACCは謹んで冥福をお祈りしたい。
合掌
ぜひ本文、写真・資料等で偲んでいただき、目立たず、ハシャガズのこの天上人に安らかな祈りを捧げていただければ幸いです。
※本文、フイルター協力/梶政雄共同代表・宇都宮秀俊副代表・出口隆二事務局長・鈴木邦友評議員。

世界一周経験者の小森茂之(和歌山県田辺市)、春日、龍谷大生で欧北米を目指す山崎光(左から)/1985年11月10日
於:関西サイクルスポーツセンター・サイクルアトリエ(自転車実習室)

ハンガリーの首都ブダペストを流れるドナウ河畔での在りし日の少年のような春日/1988年10月
4月12、13日千早赤阪村のキャンプサイト「麓(ろく)」でのイベントに出展します!
JACCは、4月12日(土)、13日(日)に大阪南部の千早赤阪村にあるキャンプサイト麓で開催されるイベント「ハイカー&バイクキャンプ」にブース出展します。
当日は全てのサイトがハイカーとバイカーのみ!
沢山の旅自転車が見れるかも?
ガイドツアーをはじめ、色々な参加型イベントが開催されます。
JACCブースは、12日に出展し、クラブの紹介を始め、旅用自転車の試乗やキャンプ装備の重さ当てクイズなどを行います。
イベントについて詳しくはこちらをご覧ください。
https://campsite-roku.com/post-237/
「南極大陸自転車初踏破」重信同志を偲ぶ
2024年11月10日旅立った愛媛県の重信幸廣同志。
「余命半年」と宣告を受けた22年7月から、2年4カ月におよぶ壮絶な癌闘病虚しく旅立ってしまった“冒険サイクリスト”。「FOCUS」掲載のチリ軍艦で南極大陸自転車初踏破、マラリアとマルタ熱を乗り越えアフリカ最高峰キリマンジャロ2日連続自転車登頂など、輝く体験を遺した元小学校教師の重信同志。享年68歳。
「私は姉、父を亡くし、今、母の手術そして介護と、JACCへの会費の支払いができない旨、お許し下さい。母の介護で日々一生懸命送っております。」
“良心の塊”“これほど律儀な人間がいるのだろうか”と思う仲間への「辛いだろうが、どうか、頑張ってくれ」。
これがJACC最後の励ましの言葉となった。
「君に出会えて、ほんとうに良かったよ…ありがとう」
景美夫人と子息光李(ひかり)さんに看取られ旅立つ。
■ぜひ本文、交友記録等で偲んでいただき、目立たず、ハシャガズのこの稀に見る素晴らしい天上人に安らかな祈りを捧げていただければ幸いです。
◆本文、フイルター協力/梶政雄共同代表・宇都宮秀俊副代表・出口隆二事務局長・鈴木邦友評議員。

写真下:1988年インド小村で僧侶たちと(日の丸後方重信)
白木 君明
白木 君明
次女と2人自転車旅
アメリカ・シアトル−カナダ・バンクーバー
25/2
日名保彦
前半は友人と二人
後半は、タイの未訪問の二県の中のメーホンソン県訪問
タイ
25/2
2025年 JACC新年会
1月12日(日)午後、ホテルクライトン新大阪にて恒例の新年会が行われました。
地球体験報告では、入会間もない19歳の中村天星会員から日本一周の報告がありました。旅先での出来事や多くの人との出会い、そして今後の欧州サイクリング計画など、とても分かりやすい説明で、参加者から多くの質問がありました。


また、藤本芳一評議員からは、アメリカ西部の自転車旅の報告がありました。現地での自転車を取り巻く状況説明とともに、梶政雄 米サンディエゴ支部長宅に滞在した時のエピソードなど、とても内容のある報告でした。
報告会の後の「新春お年玉くじ」では、希望のサイクル用品を選んだり、参加者全員による近況報告など、あっという間の楽しい3時間でした。
最後に、池本元光代表に対してアドベンチャー・サイクリストクラブの創設、および長年に渡る地球体験情報紙ペダリアン発行など、多くの会への功績について、感謝状と記念品が会員を代表して武澤勇相談役から手渡されました。



宇都宮秀俊(副代表)
New Pedalian第1号発行!
JACC(日本アドベンチャー・サイクリストクラブ)代表の池本が43年間発行を続けた会報、「ペダリアン」紙を受け継いで、JACC役員メンバーで「New Pedalian」第1号をこのたび発刊しました! JACC会員の方には、送付しています。

植村直己冒険館で「チャレンジ応援祭」開催 JACCが「ペダリアンの集い」を兼ねて協力!
兵庫県豊岡市に、世界的冒険家である植村直己さんの精神を継承し、学び、見て、触れて体験するミュージアム、植村直己冒険館があります。
10月27日(日)に冒険館にてチャレンジ応援祭2024が開催される際に、JACCとして「ペダリアンの集い」を企画するとともに、自転車冒険にかかわる内容について協力することとなりました。
26日(土)のサイクリング、前夜祭を含めた2日間のJACC会員参加者は、宇都宮副代表(福岡)、出口事務局長(大阪)、中西国際部長(兵庫)、井上評議員(香川)、日名会員(大阪)、西畑勝明会員、西畑由香会員(奈良)、藤本芳一評議員(滋賀)、風呂本会員(広島)、白木会員(岐阜)、川畑会員(大阪)、大原評議員(大阪)の12名とゲストの方々でした。
一日目 冒険館 ←→ 玄武洞サイクリング
冒険館の職員の方が事前にコースを試走されており、当日は先導と最後尾の伴走も行っていただきました。
往復約60kmの距離を自転車7台、タンデム自転車4台、スタッフ自転車2台が走行しました。車が進入できない円山川の堤防道を基本として、安全で快適なサイクリングが行え、参加者同士で交流を深めました。
10時20分 冒険館前集合
自転車7台 タンデム自転車4台 スタッフ2台
参加者の声:「30kmと聞いていたけど、片道の話だったんですねえ。走れるかなあ。」
10時30分 サイクリング出発
11時10分 植村直己さんの生家見学、休憩
11時30分 頭上で高速に飛行するドローンに遭遇
参加者の声:「私も免許をとりました。いずれ自分が走っている姿を撮影したいです。」
12時20分 昼食休憩
コンビニ弁当やサンドウィッチ、おにぎりなどを各自購入し昼食としました。
参加者同士で交流を深めたり、これから旅に出発する方へアドバイスをしたり有意義に時間を過ごしました。
13時00分 サイクリング再開
13時15分 コウノトリが目の前を横切りました。
参加者の声:「普段こんなに人に近く飛ぶことはないので、ほんとにラッキーです。」
13時50分 玄武洞到着、見学と休憩
15時15分 植村直己ふるさと公園到着
参加者の声:「走るのが長くなると、あちらこちらが痛くなってきました」
16時00分 冒険館到着




井上評議員(香川)は、本場の讃岐うどんをみなさんに振る舞おうと、サイクリングの時間を使って、うどん作りに汗を流しました。うどん作りはまず材料の計量を正確にする必要があります。塩水と小麦粉をていねいにこねることで独特のコシがでるそうです。
うどんづくりの手順は、次の通りです。
(1)小麦粉と塩水を混ぜてこねてまとめる。
(2)まとまったかたまりを手や足で何度も何度もこねる。
(3)十分こねたら生地をねかして、発酵するのを待つ。
(4)生地ができたら麺棒で広く延ばす。
(5)包丁で切って麺をつくる。
(6)麺をゆでる。
(7)ゆであがった麺をいったん水で締める。
(8)再度あたためた麺にかけしょうゆをあわせる。
夕食時に、香川のだししょうゆで味付けされたおいしいうどんがみなさんに振る舞われました。
参加者の声:「讃岐うどんの味がとてもおいしかったです。打ち方を学ばせていただいたので、また復習します。」
一日目 チャレンジ応援祭 前夜祭
10月26日(土)には、夕ご飯のバーベキューをいただきながら、応援祭の前夜祭が行われました。
海抜0メートルから7大陸最高峰の頂上を極める冒険家 吉田 智輝さん
グレートジャーニーの冒険家、医師 関野 吉晴さん、
11年間かけて世界1周し、植村直己賞を受賞 中西 大輔(JACC国際部長)
が、ユリオカ超特Qさんの司会のもと、それぞれの旅について、危険に思ったことやこれから取り組みたいことなどを熱く語られました。

夜には冒険館よりマットとシュラフを用意していただき、館内で就寝しました。
参加者の声:「久しぶりのシュラフでした。海外サイクリングの情景をいろいろと思い出し、なかなか寝つけませんでした。」
二日目 チャレンジ応援祭での協力
2日間で約1000名の来場者が見込まれる、冒険館のチャレンジ応援祭に、JACCとして自転車での冒険に関する出し物の協力を行いました。
ご用意いただいたテントを使用して、10時00分から14時30分の間、各場所でのイベントを担当しました。
自転車のチェーンと各国のコインを材料にしたキーホルダーづくり、パンク修理教室、変わり種自転車の試乗、リム転がしゲーム、世界を走った自転車の紹介、タンデム自転車の試乗会の各係を担当しました。
小さなお子さんを連れた家族連れの方が大勢来られ、親子で競ったり子どもの試乗をうれしそうに見ておられたり、ご夫婦でタンデム自転車を楽しまれたりしました。来場者の方々にはJACCメンバーが海外を走ったパネル展示をご覧いただきました。
冒険館のスタッフの方から、来場者のみなさんに芋煮、羽釜で炊いたごはん、鹿やイノシシのいぶし肉を振る舞われており、私たちもおいしくいただきました。
「冒険を応援すること」でつながった冒険館とJACCのご縁を、今後とも大切にしていきたいと思います。






大原 剛(評議員)
JACCは、植村直己冒険館「チャレンジ応援祭」に協力します!
JACCは、2024年10月26日(土)、27日(日)に、兵庫県豊岡市の植村直己冒険館で開催される「チャレンジ応援祭」に協力します。
タンデムや竹製自転車など、いろいろな自転車の試乗、世界を旅した自転車やキャンプ用具を使って冒険の様子のデモンストレーション、自転車のチェーンや世界のコインを使ってのキーホルダー作りの体験など、様々な出し物を用意しています。
ぜひお越しください!
会員どうしの親睦を深めるため「ペダリアンの集い」も同時に開催、サイクリングなどを行います。
チャレンジ応援祭について詳しくはこちらをご覧ください。
https://boukenkan.com/post-3397/
近藤貴行
近藤貴行
3分割4大陸世界一周
東南アジア、アメリカ、欧州、オーストラリア
23/11~25/3
高繁勝彦
三輪バギー世界旅挑戦中
ベトナム縦断
25/3~4
藤本芳一
アメリカ、韓国
24/4~6
朝倉厚
台湾
24/6
これからの世界サイクリングとJACC
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2024年7月17日)

今は昔
「アイ ド ライク トゥー コール トゥー トーキョウ ジャパン バイ コレクトコール プリーズ」
日本にいる家族に自分が無事でいることを伝えるため、2~3か月に一度は国際電話をかけていた。もちろん大きな街で、言葉が通じるちょっと高めの宿に泊まった時に。宿の受付で電話機を借り、国際電話の掛け方を聞きながらドキドキしながらかけていた。もちろん旅費をセーブするため、電話はコレクトコール(料金受信人払い)。そのため家族にしかかけられなかった。それが日本語を話す唯一の機会でもあった。
特に急ぐことがなければ、はがきや手紙での通信だった。どの国でも郵便料金は結構リーズナブルであったし、これだったら家族以外の人たちにも出すことができる。書き貯めていたものを郵便局に持ち込み、切手を貼って出すだけ。ドキドキすることもない。ただし、いつ着くのかもわからなければ、着くかどうかもわからない。その手紙が着くころには、すでにその国にいないなんてこともよくあったようだ。
宿探しも大変だった。なにせ情報源は現地で入手した地図しかないわけだから、まずその地図上にある街まで行き、街に入ってから探すことになる。もちろんその街には宿がないということもあれば、あっても満室なんてこともある。そのために街に着く前に念のため安全にビバーグ(野営)ができそうな場所を探しておく必要もあった。宿がない時には、街で水や食料を入手しそこまで戻り夜を明かす。
時に街すらないなどということもあった。あってもガソリンスタンド一軒だけなんていうことも。ガソリンスタンドのオーナーに頼み込み、建物の裏の人目の付かないところにテントを張らせてもらい、一夜を明かすなんていうこともあった。
宿探しは毎日のことだけに、結構大変な作業だった。
もちろん宿に泊まるのは数日に一度、旅費を浮かすため通常キャンプ場や人目の付かないところでの野営となった。日々トワイライトタイムは宿泊場所探しのための時間となっていた。ロードサイドキャンプの場合には、人に見つからないようテントを張るのは日が沈んでからで、灯りも使えなかった。
地図上に記されている街がないどころか、道がないなんていうこともあった。内戦や隣国との戦闘で橋が破壊されていたり、自然災害で道が崩れてしまっていたり、時に自転車通行禁止等で数十キロメートルも大回りをさせられるなんていうこともあった。
ともかくそこまで行かないとわからないなんてことは普通のこと、それがあたりまえだった。
当時の旅行者たちは、そんな当たり前の中で旅行をつづけていた。
そのため、旅行に出る前にしっかり情報を入れることが重要で、世界を自転車で走ろうとする者にとって、私たちのJACCは唯一の情報提供機関であり、逆に世界を走る自転車旅行者たちの情報を管理し日本国内に配信する重要な機関でもあった。
今日
そんな時代から四半世紀以上の年月が経った。そんな苦労だらけの旅行スタイルも大きく変わった。情報化の時代は旅行や自転車旅行の世界にも訪れた。PCネットワークは世界中に張り巡らされ、誰もがその莫大な量の情報を自由に入手できる時代となった。「PC端末を使いこなすことが旅行の成功につながっている・・・・・。」といっても決して過言ではなかろう。
世界中の人と会話ができる通信機能を備えた小型PC端末は、世界中の人々に普及し、今ではそれを持たない人の方が希少な存在となっている。そのPC端末はインターネットというネットワークで世界中の情報源につながっていて、誰もが全世界の情報を自由に入手できるようになっている。しかもその情報はAIという人工知能機能でまとめられ、欲しい情報だけを効率よく入手できるようにもなった。もちろん情報を欲する方が日常で使う言語で。
また、世界中のネットワークとつながっていることから、どこにいようとも世界中の人とリアルタイムで通信することが可能。しかも静・動画像付きで。旅行中に家族や友達と毎日話すことだってできてしまうのだ。
これまでは、世界一周や日本一周等長い旅行をするときには、一度仕事を辞めてということが一般的だったが、いつでも通信ができれば仕事をつづけながら旅を楽しむことも可能になる。職場の会議やミーティングに出席することもできれば、アフターワークの飲み会に参加することだってできてしまう。実際先日開かれたJACCの定例会には海外サイクリング中のメンバーが出席していた。
今までなかなか許されなかった所帯持ちの長距離自転車旅行も、毎日近況報告ができれば、気軽に出られるようになるのかもしれない。「亭主元気で留守がいい・・・・・。」な~んてネッ。
実際そこで使われる通信機能付きPC端末は、少し前まではA4サイズのノートぐらいの大きさがあったが、今は手のひらサイズで、旅行や自転車旅行においても邪魔になるようなものではない。それに、電話やメールはもちろんのこと、時計・カレンダー、辞書・辞典、地図、ナビ、書籍・雑誌・音楽、カメラ・ビデオ、メモやレコーダー等の機能も持ち合わせているのだから、逆に旅の携行品は大幅に削減されることになる。懐中電灯まで要らなくなった。スマホという名のそのPC端末は掃除や洗濯、皿洗い以外だったら何でもできてしまうのではないかと思わされる。
例えばだ、そのPC端末を使えば、世界のどこにいようとも、これから走る予定ルートの風景や道路環境が映像で入手することができる。道幅や路面状況、交通量、時に道路に空いた穴まで。
それどころか、今晩泊まる宿も部屋の間取りや食事のメニューを画像で見ながら予約を入れることだってできてしまう。あとはスマホのナビゲーションアプリに従ってそこに向けペダルを踏むだけ。
旅行中、何か欲しいものがあれば、ネット通販サービスを利用し、宿やキャンプ場に配送してもらうなんてこともできる。山奥のキャンプ場だって、ネット環境は必須という時代、遅くても2~3日中には欲しいものが手に入る。今話題の食材宅配サービスエリア内だったら、キャンプ場にいながらご当地グルメを味わうことだってできてしまおう。
また、シェアリングという文化も定着しつつあるため、自転車をはじめ衣料品、旅行用品からキャンプ用具までレンタルできる。今後は手ぶらで世界一周自転車旅行ができるようになるのではないかとも思わされる。
バーチャルリアリティ「VR」(仮想現実)世界一周サイクリング
さらにこんなことだって……。少々未来的だが、自宅にいながら、ゴーグルとヘッドセットを装着し、エルゴメーターを踏みながら、一日2時間ずつVR(仮想現実)の中で自転車世界一周なんてことができるようになるかもしれない。AIの進歩で仮想現実の中で現地の方々と自由に会話が楽しめたり、エアコンや音響セットと連動させ現地の気温や様々な香り、音が感じられたり、舌の味覚に電気的刺激を送って現地の食事が味わえたりなどということもできるようになるかもしれない。
そうなると、多くの人々が自転車世界一周を経験できるようになる。今まで多くの危険の中で、膨大な時間と大金を使い、さらには大勢の人々を心配させ、時に迷惑をかけながら行ってきた長距離自転車旅行は、特別なものになってしまうかもしれない。さらにはウイークエンドのサイクリング自体もVRで楽しむものになってしまうことだって考えられる。実際の自転車に多くの荷物を積んでペダルを踏む本当のサイクリングは、資金や時間、生活環境に恵まれたほんの一部のサイクリストだけのものとなることも考えられる。
未来のサイクリング
では、今後現実化するだろう新しいスタイルのサイクリングというものを考えていくと。
まず、荷物がかなり少なくなることが考えられる。
これからの社会は入手する情報の量がものをいう時代。長距離サイクリングにしても、いかに多くの情報を得るかで快適さが変わる。
先程話したように荷物の量は半減するだろう。荷物の量が半減するということは自転車の総重量は極端に少なくなる。車両総重量の削減は自転車の走行性能を増すということに直結する。強いてはトラブルの減少や安全性の向上、乗員の負担の減少にもつながる。
例えば、世界中のサイクルショップの場所とそれぞれのショップの特徴がわかれば、自転車を修理するための余計な工具やスペアパーツの携行をしなくてもよいことになる。もちろんそこまで走るための応急処置は必要になるだろうが、応急処置方法はネット上ですぐ調べられるし、ネットで他の交通機関や運搬機関をチャーターすることだってできてしまう。壊れた部分や自転車ごと修理店に送って、修理終了後送り返してもらうなんていうことだってできてしまおう。
衣料品も旧来の長距離サイクリングでは、全ての季節や天候に備えて常時自転車に積んでいたが、ネットショッピングやネットオークション、シェアリングサービス等を使えば、その季節に必要なものだけを持っていればよいことになる。
さらには、多額なキャッシュを持ち歩く必要もなくなる。
このように実際小さなPC端末一つで、現金、キャッシュカード・クレジットカードの他、電話機、時計、辞書・辞典、地図・旅行ガイドブック、書籍・雑誌、オーディオ、カメラ・ビデオ、メモやレコーダー、懐中電灯、テレビ・ラジオ、ナビゲーションシステム、コンパス等様々な機能を備えているのだから、サイドバッグ二つ分ぐらいの荷物は減らせるはずだ。
次に無駄な時間の削減も考えられる。
いずれ世界では多くの事務業務がデジタル化されるはず。ビザの取得もネット上で完了する。いちいち大使館に行くこともなくなるだろう。
ネット決済ならその国の現金に両替する手間もなくなる。宿泊施設や食事の予約もネット上で可能となり、支払いの必要もない。宿泊施設が取れなかった時には衛星写真やストリートビューで安全に野営ができるところを探すこともできよう。
少し前までは、旅行者にとって旅行期間の長さが一つのステータスになっていたが、もしかするとこれからは、短い期間で効率よく旅することもステータスになってくるのではないかと思われる。
何せ一人の人間ができるだけ多くのことを経験し、それを社会のために還元してゆくには、一つひとつの挑戦や行動をできるだけ効率よくこなすことも求められるからだ。
これからのJACC
このように、自転車旅行の世界にもITやAIの普及による大変革時代が訪れている。しかもそれはこれからも進化を遂げてゆくであろう。
事実、JACC発足のころと比べ自転車旅行の様相は大きく変わってしまっている。そしてこれからも大きく変わってゆくことであろう。これまで蓄積されてきたJACCの知識や経験、そしてそれをベースにしてきたJACCの活動も大きく変わらざるを得なくなるだろう。
旧来どおりのJACCの活動内容の多くはAIに置き換えられ、PC端末さえあれば誰もがそこに蓄積された情報や経験を簡単に入手できるようになる。実際今後オリンピックでも、PC上で行うスポーツゲームが、正式にオリンピック種目に加えられようとしているのだから。それはそれで素晴らしいことであり、今後JACCとしてもそれら新たな社会の変化やテクノロジーの進歩とともに、未来の自転車旅行の普及・啓蒙活動を行ってゆかなくてはならないのではないかと思われる。
JACCのアドバイスや指導内容も、今までのように実際のやり方を具体的に伝えることは少なくなり、旅行中のネットやAIの使い方を中心にしたリファレンス型のものに変わるだろう。「こういうシチュエーションの時には、このアプリを使いましょう。」とか、「これをしたい時には、このサイトにアクセスしましょう。」とか、旅行に便利なサイトやアプリの使い方を教えているかもしれない。もちろんそんなことぐらいは今の若い方だったら十分に習得していることだろうが。
私たちJACCのメンバーの役目は、大きく変わってゆくことになるだろう。
絶好調(家族6人)の金尾から──“アプリシエイト花”が「会員のみなさまへ」(挨拶文)と「最終号」を受けて
2024年(令和6年)4月1日
地球体験&国際交流!
日本アドベンチャー・サイクリストクラブ
会員のみなさまへ
みなさまお変わりございませんか。
平素はJACC活動へのゆるぎないご支援に厚くお礼申し上げます。
共に歩んでくださっていることに改めて感謝申し上げます。
本封書、「ペダリアン」167号のお届けでなく、お許しください。
1979年に創設したJACCは、3年後の1982年(昭和57年)に目指す地球体験と国際交流を活動目的に、情報機関紙季刊「ペダリアン」(ペダルの人々)を企業支援による広告掲載形態の会報として発行してまいりました。
以来、42年間、日ごろ会えない日本各地の会員のみなさまへの活動報告として取り組み、絶えることなく2024年1月1日発行の冬号第166号までお届けさせていただきました。
「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」と“友情と平和”をペダルで踏みしめた信念を以って、「紙面活動への冒険!」という挑戦の機会を広告企業さまから与えていただいてまいりました。
しかし、時の流れでしょうか? 断腸の思いではありますが、広告掲載の紙面活動も役目を終え、幕を閉じる時期が訪れ、最終号となった166号の編集後記に「蛍の光」としたためさせていただきました。
お会いできぬ遠方の会員のみなさまには、ことのほか申し訳なく思っております。どうか、ご拝察くださいますようお願い申し上げます。
さて、混沌とする世界情勢の中、厳しい自転車地球体験が依然続いてお りますが、活動目的の「友情と平和」の羅針盤を見失うことなくペダルを踏み続けてまいりたいと存じます。JACC関連諸活動は引き続きJACC公式webサイト「pedalian.com」でご覧いただき、今後とも共に歩んでくださいますよう切にお願い申し上げます。
感謝にかえて。
池本元光(創設代表)
梶 政雄(創設共同代表・米サンディエゴ支部長)
出口隆二(事務局長)

日本アドベンチャー・サイクリストクラブ本部
〒550-0006大阪市西区江之子島2-1-37
阿波座ライズタワーズフラッグ46-3613号室
池本元光方
日本アドベンチャー・サイクリストクラブ事務局
〒560-0021 大阪府豊中市本町5-8-50
サイクルショップ銀輪亭内

「池本元光様
ペダリアン166号42年間お疲れ様でした。
素晴らしい冒険&挑戦感動をありがとうございます。感謝してます。」
金尾英明(愛知県豊橋市、1972/11生、1999/3入会)
■金尾は編集に携わった池本の労をねぎらうべく心花を贈った! 20240411
■青春の日に絶好調の旅を終えた金尾は、2男2女の父親として日々絶好調にサラリーマン生活を送っている!
金尾の絶好調“青春”! バックナンバーより5掲載を紹介します
◎第72号(2000年平成12年7月1日発行)8面
初陣・金尾、豪走行“絶好調”
絶好調の毎日を送っています。お手紙ありがとうございます。
出発前、池本事務局長は「知るも人生、知らぬも人生。どうせやったら知っている方がいいな」と話してくれました。その時、僕は「じゃあ、何があるか知ってみよう」と思い豪大陸に来ました。そして、最高の毎日を送っています。時間が過ぎるのが、もったいないくらいです。
今回送って頂いた手紙に"オペラハウスの所で写真をたくさん撮り、それが今役に立っている(「ペダリアン」71号の表紙写真)、人生と同じ”とありました。
僕が今やっていることも、決して無駄ではない。と再認識しました。
紹介頂いたブリスベンのグラハム・スターキーさんをまだ訪問していませんが、訪問には100ドルの花束を持っていき、スターキーさんに失礼がないように、池本事務局長に迷惑がかからないよう、しっかり挨拶したいと思います。

ペダリアン71号に南米での宗川会員の事故死のことが出ていました。悲しい出来事です。他人事ではありません。僕は絶対に、生きて日本に帰ることを誓います。
World Peace !!
※99/11メルボルンを起点に豪NZを目指す兵庫の金尾英明(26)は、タスマニアを経てシドニーへ。4/16ブリスベン着。ケアンズへ北上中。
シドニーハーバーブリッジを背にする金尾絶好調で豪大陸を快走中!と写真を掲載。
◎第73号(2000年平成12年10月10日発行)5面
豪走行”絶好調”の金尾、夢次々……
池本事務局長の“友情”受け継ぐ──
前号8面で「初陣・金尾、豪走行”絶好調”」と紹介した兵庫の金尾英明(26)は、99/11メルボルンを起点にタスマニアを経てシドニーから東海岸を北上し、4/16ブリスベン着。「豪大陸、最高の毎日、時間が過ぎるのがもったいないくらい」と語っていた。 そして、6/4ケアンズに到着以後も、依然「絶好調の毎日を送っています」と寄せている。6/11よりケアンズから北25kmにある牧場での仕事をみつけ、3カ月間の予定で働いている金尾は、バイト後、NZを縦断し11月頃に舞台を東南アジアに移すという。南の国から北上するかたちで来チベットのラサに入り、中国・ネパール友好道路を走ってカトマンズを目指す予定だ。
金尾は「5千m級の山々を越えられるか不安だが、エベレストのベースキャ ンプに行くのも大きな夢で、ラサに入って体調を整えながら高山病対策を」と考 えている。さらに、ネパールからインド(カルチャーショックにかからなければよ いのだが)に入って欧へと夢は続く。「欧は季節を考えてコース決めをしたいと思うが、あまり先の話しなので……」と、絶好調の金尾は豪の牧場で働きながら 次々と夢を巡らせ、「今の最大の夢はヒマラヤを越えることで、チベットに行くことは今回の旅の核」とも付け加える。
自転車の方は、後輪のスポーク折れで困っていたが、ケアンズで日本食レストラン「山」を経営する河野政美(76/7~84/5、世界一周49カ国6万km走破、 大分出身)を訪ね、荷物を左右バランスよく積載、ゴムチューブでバッグを吊るしバウンド時の衝撃を緩和する工夫、クランク軸を護るために立ち漕ぎをしないこと等の助言を受けた。金尾の豪体験絶好調の継続と、さらなる夢の地までの幸運を祈りたい。
◎第82号(2003年平成15年1月1日発行)7面
ウルムチで愛車盗難の金尾、帰国
22カ国2万5839km走破──
「姉から連絡が入っていると思いますが、8/17中国のウルムチで自転車の盗難に遭いました。色々考えた結果、一時帰国することにし9/29帰国しました。
帰国した一番の理由は、慢性的な疲れが5月からずっと続いていたからです。 今回、西チベットを走って帰国しようと思ったのもその疲れが理由です。走り たいという心境よりも“休みたい”と思いながら走っていました。そして、西チベットへ出発する前日の夕方、今回の出来事が起こってしまいました。
今まで、盗難や強盗、紛失、大病、ケガなど一切なくラッキーだったのですが……。今回の出来事は、何か意味があったように思います。運命だったのでしょう。
西チベットはとても自然が厳しい所ですから、あのまま無理をして行けば二 度と帰国できなかったかもしれません。帰国したことはいい選択だったと思って
います。
来年の春か夏に、再挑戦して西チベットを走り、今回の旅を終了させる予定です」
と帰国報告を寄せた兵庫の金尾英明(27)。
「その国の文化に触れ、人々と友好を深めWordPeaceを広める」を旅のテーマに99年11/15から豪、NZ、インドネシア、シンガポール、マレーシア、 タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス、チベット、ネパール、インド、トルコ、シリア、ヨルダン、エジプト、英、スコットランド、アイルランド、オランダ、中国と22カ国2万5839kmを走破した金尾。再開に向け絶好調の日々を送っている。
◎第88号(2004年平成16年7月1日発行)6面
“知るも人生、知らぬも人生……”
22カ国2万5839km走破──金尾英明
「絶好調の毎日です。愛知県田原市のトヨタで期間従業員として働いていま すが、素晴らしい会社です。私は99/11~02/9自転車で旅をしましたが、今思い 出しても最高の時間でしたし、大きな財産を手に入れたと思っています。自転車旅行も、海外も、キャンプも、初めてづくしでしたが、我ながら良くやったと思います。大きな自信になりました。
計画前、関西CSCへ池本事務局長を訪ね、「知るも人生、知らぬも人生、どうせやったら、知ってる方がいいな」と言われ、「それもそうやな、何があるか知ってみよう」と思ったあの日。懐かしいです。
旅をして一番良かったことは、無事帰国できたことです。そして、秋のミーティングで、事務局長と一緒に食べたすき焼き、最高でしたね。自転車旅行で体験したこと全てが、私の血となり、肉となり、骨となり、身体に染み付いています。これこそ、私の財産です。その貴重な経験をこれから、形に表していきたいと思っています。 旅行中も最高でしたが、今も最高の毎日を送っています。毎日の幸せに感謝です」
と元気な便りを寄せた兵庫の金尾英明(31)。 金尾は、異国の文化に触れ、友好平和を旅のテーマに、オセアニア、アジア、中東、西欧を歴訪している。さらなる活躍に期待!
◎第101号(2007年平成19年10月10日発行)8面
金尾”祝100号”にセレブレーションフラワー寄贈!
「『ペダリアン』100号おめでとうございます!池本さんのいう”草の根交流”の 結晶だと思います。池本さんに全ての良きことが、雪崩のごとく起きます。感謝しています。池本さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。WorldPeace!!」
と写真のフラワーポットを100号記念に事務局へ届けたのは、あのパワフルでいつも絶好調な日々を送っている愛知の金尾英明(34)。
兵庫出身の金尾は、「各国の文化に触れ、人々と友好を深め、世界平和に貢献 したい」を地球体験のテーマに99/11~02/9、豪NZ、インドシナ、インド、中東、欧等、22カ国2万5839kmを走破。
02/8中国のウルムチで自転車の盗難に遭い帰国を強いられている。旅の経緯は第82号に「ウルムチで愛車盗難の金尾、帰国」見出しで掲載。

金尾の心遣いには誠に感謝に堪えない!
当時、モノクロ紙面だったのが残念だ。

中の宇都宮一成・トモ子夫妻と出会った金尾(右)/02/3。
※宇都宮(現在JACC評議員)は帰国後、故郷愛 媛でしまなみ海道1番のポタリングガイトとして活躍中。97/6~07/11の世界一周で2台のタンデム車を駆使し10万5805km走破の宇都宮夫妻は、「世界でいちばん長いハネムーン」 (風濤社、四六判圧巻の496頁!)、「88ケ国ふたり乗り自転車旅」(幻冬舎文庫)を出版している。
金尾って、気の置けない素晴らしい仲間!!
私は、おかげ様で、絶好調の毎日を送っています。帰国してから、ずっと、サラリ ーマン生活をしています。働くのが大好きですから(笑)休日は家族で、山登り、公園、車で旅行に行って、楽しんでいます。
長女9歳、二女7歳、長男3歳、二男1歳、6人家族で毎日楽しく生活しています。
ありがたいです。感謝しています。
─2023年賀より─
ルワンダKISEKIボランティアの市川──7大陸目、温存夢の南極大陸に立つ!
南極日本人初自転車轍の重信、史上初横断の国際隊舟津登場!
2024年1月8日、市川メールより
明けましておめでとうございます。
私は今、南極に着きました。
43年振りに訪問した南米アルゼンチンのフエゴ島南部の町ウスワイアからノルゥエーのツアー船(写真市川の後方)に乗ってやって参りました。
自転車からは遠ざかってしまいましたが、64歳でやっと7つの大陸に上陸する夢を叶えることが出来ました!
1月17日に帰国予定です。
その後4月からは、前便でお伝えの通り再び障害児の施設で正社員として勤務する予定です。
それまでに、もう1回海外旅行と能登半島で起きた地震の災害ボランティアに行こうと考えています。
ご報告まで。


JACC会員南極大陸上陸の記録
・癌闘病中の重信幸廣(67、愛媛県、元小学校教師、仏教大OB)は、82/9~90/9の世界一周70カ国8万5千km走破の途上、南米チリ・プエルトモントからチリ軍艦で愛車と84/12南極上陸を果たしている。日本人初の轍を残した重信(当時30)。“6年間世界一周・自転車で旅を続ける「先生」”との見出しで、写真週刊誌「フォーカス」86/12/19号に掲載された=ペダリアン紙2005夏発行92号7
面「世界一周、旅立ちの譜」に紹介。
親友梶政雄米サンディエゴ支部長の見舞いを度々受け、闘病を続ける同志重信の回復を祈念!
・神戸大時代に米横断を遂げ、83/12~84/4JACC帆かけ自転車サハラ砂漠縦断隊長を務めた舟津圭三(大阪府、94/4以来アラスカ・フェアバンクス近郊の5万坪の大森林でレース犬達と暮らし、犬ぞり使いとして数々のレースで入賞。アラスカ支部長として、共に風冒険に挑んだ恭江夫人と中西大輔、安東浩正ら多くのJACCペダリアンを迎える。現在は、「北の楽園」と呼ばれるワイナリーNIKI Hills & Farm=北海道仁木町=の総支配人として活躍中)は、南極半島スタート地点89/7~90/3「平和精神」にのっとった史上初南極犬ぞり横断踏破6カ国の国際隊員として活躍し、91年これらの功績が評価され、朝日スポーツ賞、テレビ朝日ビッグスポーツ賞特別賞等受賞。
JACCは、1990年3月4日舟津の実家のある大阪・堺市浜寺と南極横断ゴール地点ミールヌイ基地とのMBS衛星中継という貴重な体験をすることができた。
舟津は、「犬ぞり隊、南極大陸横断す」(講談社)、「アラスカ犬ぞり物語」写真/佐藤日出夫(七賢出版)等を著作。
故河野兵市と共に故植村直己さんを尊敬する日本を代表する地球体験者で、JACCが誇るペダリアンだ!

舟津が用意していたJACC旗(嬉しいね!)をジャン・ルイ・エチエンヌ隊長の厚意で全員で記念撮影! こんなに嬉しいことはない!!
写真/左から秦大河=チン・ダボ(中国)、舟津、ウィル・スティーガー(米国)、ジャン・ルイ隊長(仏国)、ビクター・ボヤルスキー(旧ソ連)、ジェフ・サマーズ(英国)の各氏
舟津の「犬ぞり隊、南極大陸横断す」(92/7発行)の人間と42頭の犬達による感動のチームワークを著した冒険手記に、エチエンヌ隊長の翻訳著「南極大陸横断~国際チーム219日間の記録」(早川書房、91/6発行)。
エチエンヌ隊長は、「栄養学およびスポーツ医学を専門とする医師。ヒマラヤ、グリーンランド、パタゴニアなど、数々の遠征経験をもつ探検家でもある。1986年5月11日には、63日間かけて単独徒歩で北極点到達に成功した。その経験をもとに著した「極地の歩行者」は国際的に高い評価を受けた。その他の著書に「医学と山岳スポーツ」がある。」(同書著者紹介より)
錚々たる選抜のメンバーによる史上初の快挙記録!
共に迫力のある感動の傑作だ!!

「南極」記録から話を戻したい
1959年1月生まれの市川。日大時代の1979年7月~81年3月(1年8カ月)、アンカレジ~フエゴ島(北中南米縦断)~ブラジル3万kmを走破。帰国後の22歳1981年5月入会。

故河島英五理事が高らかに歌っていた「時代おくれ」の〽目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、人の心を見つめつづける……男になりたい。と、地球体験も人生も真面目にコツコツと生き抜いてきた市川裕一会員。
また市川は、北中南米後の日大卒業24歳時に、九州・南西諸島、台湾一周・韓国釜山~ソウル走行。32歳時、休職し、4カ月のバックパックでミクロネシア・豪州・ニュージーランド・東南アジア・スリランカ・インド・ネパール・チベットを訪ねる。
その後、家族を待ち、32年間、妻子4人の生活を最優先してきた。
63歳、児童相談所を退職した市川は、23/5フィリピン・セブ島のマザーテレサ孤児院でのボランティア活動を始め、23/6-7タイ・アユタヤの寺院が運営している孤児院の小学校でのボランティア。
23/8は北欧4カ国を巡る。
23/9秋田の台風水害復興の短期ボランティアに。
※退職後の市川、出来得る限りの社会貢献を世界に求め、夢を叶えた南極大陸上陸は32年間黙々と家族を支えたご褒美に違いない。
そして、11月10日、山田支部長メール「ルワンダより」
「10/1~11/9までJACCの市川裕一さんがキセキに滞在されました。市川さんとは20年近く前に品川でのミーティングでお会いしたきりですが、わざわざルワンダまで訪ねてきて下さいました。
市川さんは長年児童相談所や福祉関係のお仕事に携わっておられた経験を活かして、私の経営するキセキの託児所と幼稚園、日本人向けのレシデンスで主に子どもたちや若者と関わるボランティアをしてくださいました。
温和で若者を凌ぐ体力の市川さんは、子どもたちやママたちからも大変慕われ大活躍でした!
写真をお送りします!
ついでに私の写真も!
ルワンダではほとんど自転車には乗っていませんが、毎日筋トレと7kmのジョギングは欠かしません」と。

さて、2023年12月~2024年1月、南極旅行を叶えた市川。
4月22日から障害児の施設(放課後等デイサービス)の児童発達支援管理責任者としての勤務
が始まる。
「この歳になって正社員として迎えていただけることは感謝しかありません。
一度限りの人生なので、これからも出来る限り自分を高めつつ、少しでも世のため人のために尽
くせたら、これ以上のありがたい喜びは考えられません」と伝える。
市川会員、障害児施設勤務の再開、おめでとう!!
障害児は君の誠心誠意溢れる、献身的な優しさを、きっと待ってるよ!
無理せず、頑張り過ぎず、子どもたちへの愛情よろしく!
山田美緒アフリカ支部長兼評議員、おめでとう!! ──2023年「シチズン・オブ・ザ・イヤー」受賞!
「ルワンダで生活支援など受賞」という見出しで、優れた活動をしてきた市民をたたえる「2023年シチズン・オブ・ザ・イヤー」(シチズン時計主催)の受賞者が決まり、29日、東京都内で表彰式があった。この1年に日刊紙で紹介された個人・団体から選ばれた。
受賞したのは、
・ルワンダでシングルマザーらの働く場所づくりや生活支援など多岐にわたる活動をしてきた山田美緒さん(ルワンダ共和国キガリ市)
・目が不自由な人が自分でできる化粧法を考案し、広めている「ブラインジェンヌチーム」(福岡市
※一部略
・原爆ドームの前で被爆の実相を伝えてきた三登浩成さん(広島県府中町)。
と3組の受賞を1/30付朝日新聞、社会・総合面で横組ベタ記事掲載があった。見出しのルワンダがなければ見過ごすところだった。
JACCは1月14日開催の、4年ぶりの新年会の集合写真を山田支部長へ活動報告として新年の挨拶で送り、下記返信を受けている。
「ありがとうございます! 4年ぶり! 懐かしいお顔がちらほら! いただいたメールでのご報告になり恐縮です。シチズンオブザイヤーを受賞することになりました。1/29に授賞式があります。
賞をいただくのはフジグローブ賞(※第1回の2005年活動者として受賞)以来です!
自転車冒険の時からは想像もできない賞ですが、ありがたくいただいてきます!
また、みなさまにお会いできる日を楽しみにしています」と。

山田は下記※の活躍により06年1月14日開催の近畿地区新年総会(於大阪マルビル・レストランカラット)において、藤木高嶺JACC日本国際自転車交流協会代表理事(朝日新聞編集委員を経て大阪国際女子大学文化人類学名誉教授、登山・探検ジャーナリストとして活躍)からフジグローブ賞を受賞した。
同賞は地球儀会社㈱フジグローブ(本社大阪)西井良和社長がペダリアン紙の自転車地球体験に声援を送られ「感動を与えたペダリアンに毎年地球儀1体を贈る」目録によるもの。
※山田(41、旧姓山崎)は大阪外大時代の04/8~05/1アフリカ縦断5千km(ケニア・ナイロビ~南アフリカ・ケープタウン喜望峰まで8カ国)を男装の風貌で走破するなどキューバ、中国、米等世界20余カ国を歴訪。著書に「マンゴーと丸坊主」(幻冬舎)などがある。下記掲載のペダリアン紙に活躍の詳細を紹介。

2020年のコロナ禍で経営する日本食キセキはレストラン・ホテル部門を余儀なく閉店したが、社会起業家「KISEKI」の社長として活動を再開した山田。その挑戦「女性の貧困改善、シングルマザーの生活と子ども達の教育向上」の活躍が、毎日新聞に報道された。こうした社会貢献活動が高く評価をうけ、「シチズン・オブ・ザ・イヤー」という栄誉ある受賞に輝いた! 山田支部長、おめでとうございます!!

JACC活動紙2023年夏発行ペダリアン第164号で山田の活躍を紹介。自転車冒険軌跡等と23年3月2日付毎日新聞夕刊が1・7面で大きく報じた国際貢献記事を掲載した。


シングルマザーの皆さんと語らう山田(左写真中央)と小学低学年児童達と教育向上に取り組む先生方関係者との和やかな記念写真(写真右後方の白Tシャツが山田)。そして、その写真中央にボランティア活動に山田のKISEKIを訪ねた市川裕一会員(グレーのTシャツ、千葉県)が写る。
2023年10月7日、市川メールより
自転車からは遠ざかってしまいましたが……
JACCの皆様
ご無沙汰しております。NO.36会員の市川です。
ようやくコロナ禍が収まり、3人の子ども達も独立、さらに年金も受給できるようになったのを好機として、人生最後?の活動期に入ることにしました。
現在は山田美緒さんの移住先のルワンダ・キガリのキセキにお世話になり、主にナーサリーの子ども達支援のボランティアに取り組んでいます。
山田さんとはJACCの関東支部会合で品川でお会いしてから約17年が経過していますが、相変
わらずエネルギッシュに福祉活動や子育てにと頑張っておられる姿を拝見しております。
2023年12月18日2信、市川メールより
10月7日にメールを送らせて頂き、キセキでのボランティアは11月9日までさせて頂きました。
滞在中もボランティア仲間の方とサファリに出掛けて野生動物を観察したり、一人でレンタカーを借りてウガンダのビクトリア湖まで行ってきました。
11月10日にキセキを辞し、南アフリカ旅行の後、11月15日に帰国しました。
今後も南極旅行等に出掛ける予定です。
さらに明年4月からは障害児支援の施設に再就職することも決まっています。
JACCと植村直己冒険館──タンデム自転車試乗イベント実施!

日本アドベンチャー・サイクリストクラブと植村直己冒険館(兵庫県豊岡市)とのかかわりは、安東浩正評議員が日本人初の冬期シベリア単独自転車横断の偉業が2003年に、さらには中西大輔国際部長による11年かけての自転車での地球2周16万キロ走が2009年に認められ植村直己冒険賞を受賞した経線から始まりました。
その後、一般客、JACCの仲間も含め多くのサイクリストが訪問されたことと思います。
昨年10月にはチャレンジ応援祭の一環としてJACCからも海外白転車旅行の体験談の報告に参加してきました。
大阪府豊中市でサイクルショップを経営する私と親交の深い日系ブラジル人のハラ・ジェルソン・アイザワ氏が製作した竹を素材とするロードレーサーオーナーの山内一生会員の自転車も持参したことをきつかけに、私がパイロットを務める福場秀和氏所有の漆仕上げの竹タンデムとともに2024年新年から5月のゴールデンウィークにかけて館内展示を実施しております。
そして、その流れで4月14日天の下、家族連れでにぎわう日曜日にはタンデム自転車体験試乗会を実施し多くの方に楽しんでいただきました。
また、屋外で昼食をとりながら吉谷義奉館長と今後JACCが企画するサイクル&キャンプイベント想について話が弾み、今後さらに協力し合ってイベントを盛り上げていくことになりました。
JACC事務局長出口隆二(1978年北米大陸横断)
