姿勢
姿勢に替えて
台風11号(05/8/25)の影響で開催が危ぶまれる中、実施された兵庫県西宮市におけるJACC事務局長池本元光としてのハラハラ講演会。
西宮市生涯学習大学「宮水学園」(60歳以上の意欲ある市民を対象にした園生2千300名)からの講演依頼(3/3)だけに、警報発令で開催中止とでもなると僕にとってその間の「気構え」が一瞬にして崩れるところであった。
講演テーマは「いつも夢に向かって」との指定があった。他に例を見ないほど積極的な学習活動を展開する同学2講座の必須講座としての講演は、全学園生が必ず受講するというもので、市役所隣の市民会館アミティホールでの午前の部・午後の部で同一内容を90分間語る、という依頼であった。が、同一内容などとてもとてもエンドレス・テープ風にはいかないし、いつも筋書きのないドラマ風トークが不器用な僕の流儀!?のだ。
そもそも、テーマの「いつも夢に向かって」の出所は、関西からのメッセージ集団(会員約300名)「朝日21関西スクエア」という会報が朝日新聞大阪本社から毎月発行され、04/4第62号の「会員と一時間」というページの取材をうけ、その時のヘッドラインが「いつも夢に向かって」だったのである。講演依頼の声がかかったのはこの会報のお陰だし、これを見つけてくれた主催者のお陰でもある。繋がりというのは本当に不思議なものだ。
受講生へは、「いつも夢に向かって」という演題にのって、
① 運
② 私の自転車地球体験
③ 出会い・友情
④ 旅と松下幸之助さん
⑤ いつも夢に向かって
というレジメの配布とともに、“友好の使命に燃えて”というA4用紙3枚にびっしりの主活動プロフィールを参考資料として配布。それに、JACC情報紙「ペダリアン」91号春発行分が配布された。ホールの舞台ソデで照明やミキサー担当の関係者と出番を待つ。
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いよいよオープニングだ。3分30秒のJACCイメージソング『もっと遠に』が、2階席まである大ホールいっぱいに迫力ある素晴らしい音響で流れた。僕は独り感動していた。長年の苦労が報われる“そんな思いで”嬉しくて「世界の皆さん、今日まで僕を支えてくれて、ありがとう!」と叫びたいくらいだった。
曲の中頃、司会者の紹介で演壇へ進み、後半を聴き入りながらスポットで照らし出された演台に資料(話の内容に具体性をもたらすための虎の巻)を並べる。
このイメージソングは、JACCを79年に創設した僕が、91/3朝日放送「JTBハローいい旅」という番組に2度出演したことに始まり、この番組のテーマソングはJACCにピッタリだと思った。番組のDJでこの曲を作詞・作曲し、歌っている秋田出身のシンガーソングライター・伊藤秀志さんに理由を話し、晴れてJACCへの寄贈となった
こうして、僕の清貧な“友情ありき”で一歩一歩組織が形成されてきたのは事実だ。
いつもどおり「皆さんこんにちは」と第一声を発し、深々と一礼。『もっと遠くに』の一番の出だし、「 “知らない街の、知らない風に”吹かれて53カ国を自転車で走ってまいりました池本です。どうぞよろしくお願いいたします」と午前の部では切り出した。
「運」については、少年時代に自転車が当選した事、20万円を手に100カ国を目指すという無謀な旅に出て、人を信じて油断して2台のカメラ盗難後、68年11/3、初めて掲載されたブリスベンの「The Sunday Mail」紙のお陰で豪州ライオンズクラブの交換青年として有意義な旅ができた事、もちろん生まれてきた事、両親に感謝している事を伝え、冒険とは危険と表裏一体で、生きて帰ることができ、皆さんにこうして出会えた事も幸運であると伝えた。
しかし、不運な仲間もいる事を配布資料の鎮魂抄から。国松輝男(滋賀県)、五月女次男(栃木県)、滝口豪人(静岡県)、福永真二(和歌山県)、瓢子敏樹(新潟県)の5名が世界旅の志半ばで帰らぬ人となり、我が片腕だった日本人初の北極点単独徒歩到達者・河野兵市(愛媛県)が後の冒険行で北極海氷上単独歩行途上に遭難。彼らの青春を風化させず、伝えることが余命ある自分の使命と強調。
37年前の68年、ベトナム戦争激化の21歳の旅立ちで「友情と平和」を訴える20カ国言語の訳文を携え、70/2ロスの衛星都市OXNARD警察で黒人・白人警官との友好スリーショット写真が「The Press-Courier」紙に報道された記事を紹介し、旅の目的を伝える。その他、旅の出会いで得た国際ライオンズクラブの紹介状。そのお陰で各地のメンバーに歓迎を受け、報道された掲載紙等のコピー、友情サインに染まった日の丸大小8枚の内、南米赤道の国エクアドルで入手の青い星入りの2枚を紹介。「Taruze」と書いたボロボロの日記帳を掲げ、いわれを説明。
そしてまた旅には、愛車タルーゼ号産みの親、尊敬するナショナル自転車の松下幸之助さんのポケットサイズの教訓書『道』を携えていた事。幸之助さんが、9歳にして和歌山から大阪の五代自転車店に6年間奉公、後に世界に知られる“経営の神様”になったその話を79/2京都国際会館で同氏84歳にして講演されたテープを聴くに及んでいる事。このナショナルのお陰で、シカゴ松下で帝王学を学ぶお孫さんの松下正幸氏(当時23歳、現在松下電器産業㈱副会長)に出会った事。74年秋、兵庫県伊丹市在住で米寿を迎えられた陸士19期卒・元陸軍大佐松山季友氏から贈られた達筆な揮毫の書は家宝となっている事。
人は、出会った人によって人生が大きく左右されることもあるが、ただそれだけのことも多い事。
JACC協会理事に就任して頂いた歌手の故・河島英五さんも、同氏のTV番組「週末遊牧民」に、冒険界の師・藤木高嶺氏が呼んで下さったという仲介がそこにあり、自転車冒険がなければこのような出会いは、まずあり得なかった。と力説。
74/4関西サイクルスポーツセンターに就職して以来、「いつも夢に向かって」生きて来た。あと2年で自由の身になる。一日千秋の思いである。ちょうど、世界へ旅立つ前の青春時代の心境とだぶる、と。
まず、台湾の友人と台湾を一周し、68年訪台時の知人らと旧知を温めさらに心を通わせたい。このウオーミングアップで旅の感を取り戻し、いよいよ友を訪ねて何千里“友好永遠”の厳しい旅を開始する。そのために05年から体力復活に取り組んでいる。
今日まで生きる誇りを与えてくれた「名誉市民章」をAlabama州Huntsville市に返還するべく、ロスから米大陸を東進。途中、Texas州Sweetwater市で「再会」を待つトンプソン夫人を訪ねたい。
また、旅立った60年代末、スコット・マッケンジーが『花のサンフランシスコ』を歌い、この歌なくして僕の“シスコと世界”はなかった。大歓迎を受けたシスコに日系の神谷夫人(いずこも男性方は他界)を訪ねたい。メキシコ第二の都市Monterreyでは、69/10シカゴで報道された「CHICAGO DAILY NEWS」の僕の記事がテレフォトUPで配信され、モンテレーの「EL NORTE」紙が掲載。
その切り抜きを保管していた青年と70/6偶然にもモンテレーの公園で出会い、大家族の大歓迎を受けた。楽しい長逗留の感謝を伝えるため、老体にムチ打ってでも再会に行かなければ……。
もちろん、ロス南部メキシコのエンセナダ・バイパスに眠る滝口豪人君の慰霊碑を訪ねることもJACC創設者としての使命だ!
そして、南米チリのSantiagoへ。義兄弟的なフランシスコ・マンリケス元警視との再会だ。5歳兄貴の彼が刑事の頃上司の警部と、町をさまよう野良犬のような若き日の夢追人をお世話してくれた。
最後は、南米にある世界3大滝の一つイグアス瀑布近く、アルゼンチン北東部のReconquista市で待つ高良景春・照子夫妻との再会だ。現在お元気だが87歳と77歳のご高齢だ。我がJACCの河野政美(豪ケアンズ在住)、故・河野兵市、エミコ・シール夫妻らが僕の後に長逗留している。彼らの恩義にも報いなくては死んでも死に切れない思いでいっぱいだ。
こうした世界中の友人を代表する人々との「友情の輪を繋ぐ再会の旅は、信用と信頼を確認する旅」。そしてもう一度、お互いの心の温もりが永遠なことを見とどけたい。
中国の昔からの言葉に「有縁」、日本でも「縁は異なもの」といわれる人生でしばしば出合う不思議な経験に感動さえ覚える。「有朋自遠方来(ともありえんぽうよりきたる) 不亦楽乎(またたのしからずや)」(孔子の感慨を述べた言葉)――タルーゼ精神「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」の集大成に向けても、一日も早く行かなければ。しかし、ペダルを踏んで再会の地に本当に辿り着くやら着けぬやら・・・人生旅の途上等々と、自己へのプレッシャーをバネに夢に向かって生きて来たことを、午前の部、午後の部のどこかで語り伝えた。
それにしても、愉しい人生を与えてくれた自転車と世界の素晴らしい人々へ乾杯だ!
最後に流れた『もっと遠くに』のメロディー……、僕への花道のようであった……。
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学園生からは「国際親善の大切さ、国境を越えた人情の温かさを講演から改めて学んだ」等の声が寄せられた、と主催者から丁重な報告が届けられた。
また聴講は学園生のみに限られているらしいが、アフリカ単独縦断後多方面で活躍中の女子大生・山崎美緒と父親の山崎龍彦さん(休暇を取って)、母親の幸子さんも午後の部を特別に聴講された。
幸子さんは、「オープニングの曲、感動しました。JACCにぴったりの曲ですね」と労をねぎらうかのように後日エールを寄せて下さった。
JACCのアマゾネス的美緒会員においては、世界を目指す小6少年らを引率して淡路島1泊2日のサイクリングを終え、8/24明石から池田市の自宅まで50kmを走行。夜9時半に帰着の翌日に、疲れをもろともせず講演会場へ……というバイタリティー溢れる活力には、はなはだ感服。感謝! まさに「ここまで、わざわざ、たずねてくれて、今日は本当に、皆さんどうもありがとう!」。
「講演内容こそ半分も思いを伝え切れていないが、浅学非才な身をもって、アミティホールのような立派な会場で自転車地球体験人生を多くの先輩諸氏へ語ることができ今日の講演は、気持ちよかった。もうJACCの財源を助けるための、出稼ぎ講演もないだろう……」と、僕は自分自身にご苦労様でした、といいきかせた。活動の第一線から「老兵は消えゆくのみ」なのだと呟く声を……受け止めてほしい。と願うのである。
73年大阪厚生年金会館大ホールでの辻調理師専門学校卒業記念講演以来、32年ぶりの大ホールでの講演。聞き上手な意欲ある高齢者へは、伝えたい夢の地球体験がいっぱい、いっぱいあった……