「垣田友彦FNN北京支局長」として活躍!の1984年16歳入会の垣田青年、9月3日ネットラインで発見!
JACC、垣田同志と四半世紀ぶりの嬉しい交信!
◎発信元fujitv.co.jp日時2025/09/04木曜日15:32
「池本さま 大変ご無沙汰しています。 お元気でしょうか?
私のほうは去年10月から4回目の中国生活をしています。特派員としては3回目です。
JACCメンバーが中国を走りたいという場合は、是非お声かけください。
こちらこそ、一時帰国の際は一献お付き合いください。 垣田」
◎差出人pedalian_ikemoto日時2025/09/04/14:23
「垣田友彦同志へ お疲れ様です。 JACCの池本です。
16歳、枚方の垣田君が我がJACCの門を叩いてくれて41年、大変懐かしい限りです!
昨日3日、ネットで「垣田友彦FNN北京支局長」の名を発見! とても嬉しかったです!
若かりし報道カメラマンの垣田君しか覚えておりませんが……中国通の垣田君、『中国・軍事パレード』の配信の活躍、嬉しい限りでした。
いつか、梅田ででもJACCの仲間とともに一献させて頂きたい。
さらなる活躍を! 再見!! 池本 」 ※垣田同志のスピーディな対応に感謝!
■お願い
●本文(原文尊重)、文言の重複、文中の西暦・元号表記(数字の全角・半角記載による非統一表記)等、乞うご容赦。
JACCの誉れ! 16歳入会から41年! 北京大を経て中国通、メディア活躍に至る垣田友彦同志のあくなき歩み
■垣田友彦(かきた ともひこ)
◎1967年(昭和42年)7月生まれ、大阪府枚方市出身。早くも80年夏四国半周、冬北九州一周。
81年夏紀伊半島一周、82年春丹後半島・鳥取~大阪。83年夏美ヶ原・乗鞍登頂と中学時代に体験し、府立磯島高生になるや念願のJACC入会を果たす。
■「JACC入会理由及び希望」「自己寸評」
◎「将来外国へ行きたいのでいろんな経験者のアドバイスを受けたい。中国のタクラマカン砂漠、天山越え、シルクロードを走りたい。」 「根性だけはある。」との寸評が1984(昭和59)年1月28日受理の会員番号166番垣田友彦のJACC登録カードにある。
◎高校時代の夏、朱印掛け軸を背に四国お遍路サイクリングを敢行。
◎垣田、JACC一大プロジェクト展示「サハラ砂漠遠征隊」を祝福へ。


祝福に駆けつけたサイクルスポーツ誌中川昇編集長と井手、秋本、舟津隊長(写真右から)

4月25日NHKニュースワイド生中継でサハラ縦断を熱く語った舟津隊長、秋本、井手(写真左から)


ありがとう!
将来、フジTV記者として活躍する垣田同志にとっては貴重な体験となる。
※写真はJACC機関紙第8号5面より


読売テレビ、藤本義一氏司会のワイドショー11PMに舟津圭三隊長、井手一仁、秋本恭江が出演し、サハラ縦断の青春を大いに語った! 活躍ありがとう! 仲間達・・・・・・
◎中国西安市の中国陜西師范大学に留学

※写真はJACC機関紙第21号7面より
◎道路情報調査の垣田から中国全土公路地図届く!

◎北京大へ編入、シルクロード行計画、資金捻出・・・

※写真はJACC機関紙第24号7面より
◎「中国人民の寛大さに謝々!」JACC“草の根外交”垣田同志の友好論
「88年5月、万里の長城東起点山海関を訪問。地元漁民の家に泊まり交流。初めてのインテリ以外の中国人と接した。中国人口の90%が農村地帯に住む国だから、カルチャーショックはすごかった。
彼らの給料は60元約2千円。日中関係を考える上で、いい機会だった。時期も奥野発言(前国土庁長官)の直後、どうなるかと思いました。全体的にいって、日中”人”と”人”関係はすこぶる良好。先々で親切を受けた。日本人だからといっていやな思いはなかった。反対に日本では語学学校等がアジア留学生を食い物にするなど、いつまでたっても国際感覚が欠如。あっても口だけ。”人の集団”として国関係を今後どうして行くかを考えさせられる旅だった。中国人民は”人の集団”である日本を余りよく思ってません。理由は多々ありますが。”人”と”人”の交流がうまく行っている中、あの長官発言。
いつまでも、そんな小さな心の人間がいる限り、国関係は”人の集団”でありうまく行かない。でも中国人民は、いつまでも待ってますよ。中国人民の寛大さに謝々。」と、垣田が感じた友好への大切な感想を掲載した。 是非今一度、垣田同志の友好論を感じ取っていただければ幸いです!
※JACC機関紙第24号6面より
◎北京大学歴史学部在籍垣田、天山南路の“友情”


そして垣田は、1500km走破のカシュガルへ21歳の誕生日7月26日に到着。中国朋友、謝々!
※垣田は中国の道路状況調査や地図をJACCへ提供。カシュガルでは、中パ友好道路が10月に全舗装され、クンジェラブ峠越えも1週間が4日で可能との情報を得て朗報を伝える。※JACC機関紙第25号4面より
◎天山へ1200km走る

つつ、漢族やウイグル族の人々との交流を深めながらの旅だった。と帰国中の8月19日、久々に来局(※当時関西サイサイクルスポーツセンター内)し元気に報告した。
※JACC機関紙第33号8面より
◎Members Featured in Asahi Weekly.
アサヒウイークリー・特集自転車旅行に紹介──────────────
川端夫妻、妹尾、古川、垣田、山下父子の地球体験
※当時は在米のホリーさん・梶さん夫妻の協力で英語見出しも加わる。

※JACC機関紙第40号8面より

◎北京大卒後フジTV入局、オウム事件取材後報道カメラマンとして北京支局へ

※JACC機関紙第53号8面より
◎そして入局8年、NY駐在フジTV記者としてチャペルの鐘を連打!!

フジTV入社後、北京支局の報道カメラマンとして活躍し、東京勤務を経てNY支局の報道記者に。01年の着任早々に起こったあの9・11テロに
よる大惨事で、遭遇した女性の声をいち早く日本に伝えた垣田の取材は強く記憶に残る。
そんな垣田から、結婚報告の喜ばしいカードが届いた。JACCを訪ねた20年前と変わらぬみなぎる精悍さ、まさに日本男児ここにあり。素敵なパートナー紀恵さんとはお似合いだ。いつか揃って会える日を楽しみにしたい。おめでとう!
※JACC機関紙第87号8面より
■16歳高1で入会した垣田友彦。朱印の掛け軸を背に空海ゆかりの四国巡礼遍路1400kmをペダルで結願。JACCサハラ砂漠縦断セーリングサイクル遠征隊をサイクルショー展示に訪ね、グローバルアドベンチャーを祝福。シルクロードの起点中国西安市の中国陜西師范大学から北京大学歴史学部留学。この間、休暇を利用してシルクロード、天山越え、タクラマカン砂漠のペダル人に。中でも大収穫は、天山でのウイグル族の4人の子供達との”友情”写真だ。熱烈歓迎をうけた食堂のオヤジさんを訪ね、友情の写真を持って、成長の4人と元気な再会ができればいいね。
北京大卒後、フジTVに入局の垣田。この度のキッカケとなったネット画面上の小さな配信者表示「垣田友彦FNN北京支局長」としての活躍の存在発見は大きな意義があろう。24年10月から4回目の中国生活で、特派員として3回目の在中。日本ではオウム事件の取材。NY支局では着任早々の01年、世界貿易センタービル崩壊の9・11同時多発テロ大惨事事件を・・・と、報道記者としての活動一途に奮闘し20年が経過! そして、結婚! ご両親、二人の兄ともども、三男坊として活躍する身長172cm、堂々たる根性の賜物である垣田同志の「妻をめとらばさいたけてこの高殿に上るかな」を高らかに、喜びもひとしおでありましょう! JACCも心からお祝いを申しあげた。
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■01年9月からこの度の「垣田友彦FNN北京支局長」としてのネット報道までの24年間、動向事案は入手できず、活躍を報告出来ませんでした。機関紙編集方針は「ペダリアン」8面右外枠に「投稿・寄稿について/会員外でも批評等、自由にできます。発行は1/1、4/1、7/1、10/10(創刊記念日)です。原則としてその2カ月前までに入稿が必要です。原稿受領順に編集割付されます。※文中、会員は敬称略となっています。」と案内。
自主性・規律・友好を重んじたJACCペダリアン精神は、地球体験&国際交流の育成と発展を目指し、こうした編集方針の案内によって、機関紙「ペダリアン」は1982年から2024年までの42年間、166号終刊まで自転車業界等による広告掲載の支援により発刊。
それにしても、16歳入会の垣田同志、何処に居ても途切れることなく、JACC活動財源を支え続けてくれたことに改めて謝意を申し上げ、素晴らしい青春と記者人生にビッグハンドを送りたい!
■垣田同志「垣田友彦FNN北京支局長」の謝意
アーカイブから引き出し、大変な作業だったと思います。いずれも懐かしく拝見しました。掲載まで編集作業などがありますが、無事入稿できますよう祈念しております。

文責)池本元光
■ご拝読ありがとうございました。
◆フィルター精査協力/梶政雄共同代表(サンディエゴ支部長)・宇都宮秀俊副代表(福岡県)・出口隆二事務局長(大阪府)・鈴木邦友評議員(東京都)。感謝申し上げます。
※梶共同代表/1952年7月生まれ、79年4月入会、米カリフォルニア州在住、東京農工大OB、サイクルスポーツ誌で世界一周「クールガイ梶の世界縦横無尽」63回連載や「ハウツーツーリングQ&A」等で活躍。身重なホリー夫人と東南アジア6カ国を走破、東京都出身。
※宇都宮副代表/1961年7月生まれ、87年4月入会、北九州市在住、県立高校教員として奮闘、山形大時代に世界一周、著「自転車野郎 駆け抜けた四万七千キロ走破」、清子夫人との6度の海外走行を含め通算40回の海外遠征達成は、3人の子息を育て、年一度の自転車旅を自身への褒美と語る。
※出口事務局長/1954年6月生まれ、82年5月入会、豊中市在住、京都産大OB、北米横断、サイクルショップ「銀輪亭」を営む。長年にわたり事務局長としてJACC活動を牽引。
※鈴木評議員/1959年4月生まれ、82年4月入会、東久留米市在住、専修大OB、世界一周後、自転車環境研究家として活躍し、自転車文化センターの学芸員を経て、宮園自動車グループ採用教育室に勤務、定年後もシニアで継続中。自転車雑誌のコラムニストを長年務め、自動車にも造詣深く月刊誌「ザ・タクシー」等へ「日本の道」の論文を寄稿するなど、広範な社会的活動を展開。 40kmの自転車通勤の帰路、強盗犯検挙で警視庁野方警察署長より表彰を受ける。
■JACCウェブサイト項目「地球体験情報紙」から下記のペダリアン掲載号(10回)で、16歳入会で登録カードに記した「タクラマカン砂漠、天山越え、シルクロードを走りたい」希望を叶えつつ、中国通への道を歩み、「垣田友彦のFNN北京支局長」としてのメディア活躍に至る昨今! JACCの誇れる垣田同志を認識いただければ幸いです。
※掲載号面下は記事の主タイトル(大中小見出し)等となっています。多くの紙面を多方面にわたり有意義に飾ってくれた垣田友彦同志に感謝申し上げます。
文責/池本
◎ペダリアン春87号8面 (2004年4月1日発行)※平成16年
Members Todey──NY駐在フジTV記者、垣田ゴールイン!/結婚報告
カード届く(素敵な紀恵さんとのおめでとう!写真を掲載)。
◎ペダリアン秋73号8面 (2000年10月10日発行)
Members Todey──垣田、フジTVカメラマンから社会部記者へ
◎ペダリアン秋53号8面 (1995年10月1日発行)
Members Todey──フジTVカメラマンの垣田、北京支局へ/オウム事件で第2サティアン取材中の写真掲載。
◎ペダリアン夏40号8面 (1992年7月1日発行)
アサヒウイークリー・特集自転車旅行に紹介──「川端夫妻、妹尾、古川、垣田、山下父子の地球体験」“時速15キロの旅の魅力”が紹介された/各人の旅写真掲載紙面を掲載。
◎ペダリアン秋33号8面 (1990年10月1日発行)
北京大の垣田、今夏、天山へ走る──「敦煌の砂漠で旅のラクダに遊ぶ」「残雪をいだく天山の峰々は神秘的で平和だ」と想いの垣田の写真を掲載。
◎ペダリアン秋25号4面 (1988年10月1日発行)※昭和63年
中国朋友、謝々!──「北京大生・垣田、天山南路を行く」/ウイグルの子供達とJACC旗の友好の写真、天山南路入口の勝利峠での垣田の写真を掲載。

100万ボルトの”平和の輝き”があった!
※25号特筆/2面に「めざせ!心を磨く地球体験」と佐橋滋JACC名誉会長=東京・虎の門(財)余暇開発センター理事長室にての写真を掲載。
5面に「礼宮殿下、アマゾン自然科学博物館へ」とJACCブラジル支部長の橋本館長が案内の、アマゾンの珍魚を前に、礼宮さまに説明する橋本支部長写真、工費1億円を投じマナウスに6月末開館したアマゾン博物館写真、1988年8月9日付朝日新聞「ひと」欄に紹介された橋本捷治支部長(当時43歳、群馬県出身)の掲載記事を掲載している。当時世界一周の矢部晃男、松葉京三、河野兵市、阪口浩一らが同氏を訪ねている。
◎ペダリアン夏24号6,7面 (1988年7月1日発行)
中国人民の寛大さに謝々!──JACC草の根外交の垣田の友好感想/6面。
北京大留学の垣田、ハゲ薬101の売り子で旅費作り/7面(自転車前輪上部にハゲ薬満載の垣田の写真を掲載)
◎ペダリアン秋21号7面 (1987年10月1日発行)
Members Todey──中国留学の垣田、西安から北京校へ/シルクロードの起点西安市長安路でテレビ塔を背に愛車と立つ垣田の写真を掲載。
※垣田の記事の下には下記が。”会員の皆様へ 日本唯一の自転車冒険旅行集団JACCは、組織の水ぶくれを断固として防ぐため、誇り高く会員は300人に限ることにしました。そこで頑張っていくためには会費の未納は大いに運営に困るのであります。会費未納の方がもしおられましたら、早く払って!ください。 これまで会員だった仲間に「会則第18条(会費)」はなるべく、発効したくないんです。どーしても退会なさる方(もちろん自由)はハガキで連絡を!よろしく。”とありました。
◎シークベンチャー秋9号7面 (1984年10月10日発行)※題は改題前
Members Todey──四国88カ所サイクリング!/大阪の垣田友彦=高校生=は今夏、サイクル遍路を敢行!カンパや宿の提供に嬉しい悲鳴!四国の人の親切に感謝感激で帰阪!と、申し訳ない3行掲載でした。
◎シークベンチャー夏8号5面 (1984年7月1日発行)
サハラ体験発表の数々──祝福に感謝!/オセアニアから帰国した和田勝男も四国から帰阪した垣田友彦(中央)も祝福に。駆けつけた写真を掲載。
※大阪国際見本市’84サイクルショー出展の熱砂に賭けたセーリング・ロマンを体験した遠征隊長の舟津圭三、隊員の井手一仁、秋本恭江らと記念写真。「サハラ・セーリングサイクル遠征」は、JACC創設5周年の一大イベントであり、出展はサイクルショー主催の自転車産業振興協会、日本自転車普及協会の要請を受けたもので、多くの人々に活動を伝えた。