ペダリアン第34号
「やる気と希望は人生の宝石だ」-この言葉を地球体験語録に、未知の世界へペダルを踏み続けた長野県諏訪市の待井剛が117ヵ国、11万6780km走破という日本人最多国走破記録を打ち立てて1998年5月12日最終地ソウルを後に成田へ。6年1ヶ月ぶりに帰国を果たした。
世界への布石として1988年に日本一周した待井は、佐川急便飛脚マンとして3年間、夢の実現のために働きに働き、1千万円の旅費を捻出する。「何のために?でも理屈ぬきでやっぱり100ヵ国を巡りたい」と。24歳を迎えた1992年4月3日、アンカレジを起点に愛車「飛脚号」のペダルを踏んだ。
北米、カリブ海諸国を含む中米、フェゴ島に至る南米をほぼ一周し、ベネズエラからヨーロッパへ。バルト3国、北欧、アイスランド。中東、アフリカはモロッコを南下、内戦のあおりを受けカメルーンとケニア間を泣き泣き飛行。南アフリカのケープタウン到達後、マダガスカル島へ。一路ロンドン経由モスクワ入りし、ウラル山脈を越えカシュガル、クンジュラブ峠を越えデリー、カトマンズ。マレー半島、オーストラリア、ニュージーランド、南海の楽園トンガ等3国、フィリピン、そして韓国と巡りに巡った。
遥かなる青春の旅。5年計画、100ヵ国、10万km走破、を目指した待井は、一期一会の出会いを大切に堅実に歩を進め、日本人初の快挙を遂げた。ただ単に、体力、旅費、語学・・・が十分で遂げられるという地球体験ではない。体調、交通事故、強盗、紛争、愛車の故障等・・・の予期せぬトラブルをも乗り越えなければならない。知的冒険は知識も大切だが、知恵も要求される。「冒険とは生きて帰ること」だから・・・。