ペダリアン第75号
世界一周中エミコ緊急帰国
1989年7月オートバイツーリング先のオーストラリア(豪)ケアンズで知り合ったメルボルン出身のスティーブ・シールと意気投合し、1989年12月マウンテンバイク世界一周二人旅をダーウィンから始めた阪口エミコ。東南アジア、日本、北中南米、アフリカ、欧、そしてユーラシア大陸を東へ、ロシア、中国、パキスタン、と二人で1日10ドルという厳しい生活費で前進を続けた。
夏頃から不調に加え、カシュガルルートが途絶えたため、中国入りは遠く天山ルートという厳寒走行を余儀なくされた。体調の悪化は、疲労とホルモンのバランスの崩れと受け止め、ほうぼうの体でクンジュラブ峠を越え、首都イスラムバードへたどり着いた。2001年1月4日病院で子宮ガンと診断され、現地での手術はイコール死につながる、との邦人の助言でその夜、着の身・着のまま帰国の途についた。
阪口エミコの救援は、1月4日午後9時35分、保険エージェントから池本事務局長宅へ入った国際電話から始まり、1月5日午後、パキスタン航空で成田着の阪口と相棒のスティーブを茂木評議員が出迎え、田中支部長、松坂副代表、井上評議員夫妻と能田家の人々・・・などなどの心暖まる救援ドキュメントが繰り広げられた。