評議員 エミコ・シール
豪パートナー・スティーブさんと共に世界一周(1989/12~ )80ヵ国・120618km
2001年1月、10万8000km走破、77ヵ国目のパキスタンで「余命半年」という子宮ガンの宣告を受け緊急帰国。その後厳しい治療を克服し、奇跡的な回復で脅威の復活旅を展開。2008年9月、世界一周完結への旅立ちを前にガンの再発・転移が襲い、再び治療に専念している。2012年3月31日、日本での治療を断念し、オーストラリアへ移転。闘病に専念する。
「世界熱愛生命奨章」(2003/9)、第2回「モンベル・チャレンジ・アワード」(2006/8)、第1回「フジグローブ賞」(2006/1)、第4回「地球体験ペダリアン大賞特別賞」(2009/10)、を受賞。
著書「がんを越え めざせ地平線!!」(鹿砦社)同翻訳書台湾で出版。
月間サイクルスポーツで「MTB娘エミコの地球大冒険」「エミコ&スティーブの地球大冒険」と題して100回以上の連載を重ねる。
奇跡的な回復で04/12~、05/3~、07/5~、と脅威の復活旅を展開。3度目のネパール・中国国境~雲南省~タイ北部チェンマイ到達5,000kmの旅は、TBS「筑紫哲也NEWS23特集」でドキュメンタリー「命のペダル・チベット編」として放映された。
動画:「地球大冒険」、「2」、「3」、「4」、「5」、「6」、「7」、「8」、「9」、2007年インタビュー、2012年壮行会
オートバイでオーストラリア一周中、ケアンズで出会ったスティーブ・シールさんと1989年12月よりダーウィンからMTB世界旅を始めたエミコ。東南アジアから日本経由で北米、中南米、アフリカ、ヨーロッパ、中東、アジア、そして、冬の中国天山山脈を越えた辺りから体調に異変が起きた。雪のクンジュラブ峠を77ヵ国目のパキスタンへ。2001年1月1日、首都イスラマバードで子宮ガンが発覚し帰国を余儀なくされた。
5年生存率20%と宣告された厳しい状況の中で、治療を続け、再会のチャレンジを果たす。一度目の復活旅は、3ヶ月の許可を医師から得て、2004年12月20日~3月20日にかけて2000km走破。(パキスタン~インド)「がんに負けない!自転車世界一周の夢に挑戦」というタイトルでTBS系全国ネット「筑紫哲也NEWS23」が20分あまりの特集として放映した。
がん闘病5年を経て、2005年12月~2006年3月、旅費の工面なども含め困難を乗り越え二度目の復活旅を行う。(インド~ネパール)毎日放送が「LIFEいのちのペダル」(がん闘病、生きるために走るエミコの自転車地球一周!)という感動のドキュメンタリーを放送。「筑紫哲也NEWS23」では、「エミコに神が与えた“生かされた命!”」を放映。
2007年5月8日~10月26日、3度目の復活旅に挑んだ。ネパール・中国国境からチベットへ。チョモランマを彼方へ眺め、中国雲南省からラオスを経てタイ北部のチェンマイに無事ゴール。そのチベットでの活躍はTBS「筑紫哲也NEWS23・マンデープラス特集」でドキュメンタリー「いのちのペダル・チベット編」として放映された。