永久名誉会員 河野 兵市
世界一周(1981/2~1987/11)30ヵ国・35000km走破、アメリカ徒歩横断、パタゴニア徒歩縦断、日本列島3000km48日間で歩行(1988年)、サハラ砂漠リヤカー縦断5000km(1990年)、日本人初の北極点780km単独徒歩到達(1997年5月3日)、ほか
2001年5月16日、「リーリングホーム(北極海から愛媛まで1万5千km人力踏破)」中に北極海人力踏破中プレッシャーリッジに遭遇(43歳)
瀬戸町に「リーチングホーム碑」が立つ
カナダ・レゾリュート村に河野兵市記念碑が立つ
「地平線賞」、「愛媛新聞賞」、「愛媛県生活文化賞」、「瀬戸町名誉町民章」、を受賞
著書:「北極点はブルースカイ」(愛媛新聞社)、河野順子著書:「絆」
動画:「河野兵市に捧ぐ」(歌・サスケ)
幻の河野兵一冒険学校
1981年の自転車世界一周を皮切りに、川下り、徒歩、登山、極地行、カヌー……とハードな地球体験を重ね、1997年5月、日本人初の北極点単独徒歩到達を成し遂げた河野兵市評議員。「焦げつく青春」の集大成が、長年温めていた北極点から故郷愛媛へ人力で帰るという「リーチングホーム」だった。鮭が生まれた川を目指すように、6年の歳月をかけ、北極海、カナダ、アラスカ、ロシア、サハリン、を経由し、徒歩とシーカヤックにより15000kmを踏破する計画だった。ルート上、環境ホルモン等の調査への協力、文部科学省子ども放送局への教育番組の提供、行く先々の国での国際交流促進への協力が予定されていた。
2001年3月26日、河野は支援者のデッカイ夢とロマンをソリに乗せ、元気よく出発。氷原689kmを踏破。陸地ワードハント島へ84km手前の氷上を前進中、5月16日、不運にもプレッシャーリッジという思わぬ火山が爆発するような現象に遭遇。帰らぬ人となった。
思えば北極点を単独徒歩で往復するという行為は、誰ひとりとして成し遂げていない前人未踏の挑戦でもあった。
2002年春、カナダ・レゾリュートの村に「河野兵市記念碑」が建つ。