永久名誉会員 河野兵市 評議員
”日本人初北極点単独徒歩到達”の河野兵市同志、故郷愛媛の小学生用社会科教科書に紹介

お願い

 河野兵市同志が北極点から故郷愛媛へ人力で目指した「リーチングホーム」プロジェクト。北極海での思わぬ遭難で帰らぬ人となり、間もなく四半世紀を迎えようとする本年、故郷愛媛の小学生用社会科教科書に河野同志の輝かしい功績が紹介されました。JACC仲間として、こんなに喜ばしく誇れることはありません! とくに河野同志の北極活動を支えて下さった、多くの皆さまへの感謝を忘れることなくJACCは讃えたいと思います。本サイトを訪ねて下さった皆さまも共に足跡を偲んで頂ければ幸いです。感謝にかえて。

●本文(原文尊重)、文言の重複、文中の西暦・元号表記(数字の全角・半角記載による非統一表記)等、乞うご容赦。

河野兵市(こうの ひょういち)

「 河野兵市(1958~2001) 冒険家。西宇和郡瀬戸町(現、伊方町)に生まれる。
22歳で自転車世界一周を目指して日本を出発し、豪州、北米、南米、ユーラシア、アフリカの五大陸に足跡を残す。この間、南北米大陸最高峰登頂、ユーコン川筏下り、サハラ砂漠徒歩縦断(※JACC製作折畳式特製リヤカー採用)などを行った。平成9年、日本人として初めて、北極点の単独到達に成功した」

と、愛媛県生涯学習センター内にある愛媛人物博物館の常設展示スペースに紹介パネルが掛かる(2021年3月23 日付愛媛新聞は「松山の愛媛人物博物館常設展示リニューアル、早坂暁さん、河野兵市さん、道上伯さんら輝く偉業12人追加」見出しで掲載している)。

 39歳、1997/5/2「日本人初の北極点単独徒歩到達!」(下掲載各社報道記事)を遂げ、43歳の2001/3/26北極点から故郷愛媛に人力で帰る1万5千kmの旅「リーチングホーム」で5/17カナダ側の陸地手前の北極海で無念にも氷上遭難した河野兵市(このプロジェクトを応援し、7/1南海放送本町会館におけるお別れの会では、友人を代表して中村時広愛媛県知事=当時、松山市長=が弔辞を述べ、台湾から無二の親友胡栄華さん、郭金仁さんが駆けつけ、6/6付愛媛新聞に「ああ、北極海に涙する」と池本元光事務局長=当時=が追悼文を寄稿している)。

■日本人初の快挙!北極点単独徒歩到達を日刊紙・スポーツ紙がトップで報じた!

■北極点到達を遂げた河野兵市(テントにて)

 上記、4月の愛媛人物博物館30周年リニューアルで既存の178人の常設展示に加え、河野ら9つの分野で名を残した同県ゆかりの12人の展示が追加され、遺品や写真などで功績や足跡が伝えられている。
 21/4/20のリニューアルオープンには、順子夫人(東京在住)と長男遼兵さん(当時27、早稲田大学院OB)が来愛され常設展示に臨み、「父の偉業を子ども達が知り、勇気を持って一歩を踏み出すきっかけにしてもらいたい」と遼兵さんは願いを伝える。
 河野の偉業は「瀬戸町民栄誉賞」、「愛媛県生活文化賞」、「愛媛新聞社賞」等、そして、お別れの会場では加戸守行知事(当時)から愛媛県政初の顕彰状が順子夫人に手渡されるなど、数々の賞が贈られ讃えられている。

お別れの会で披露された受賞の数々…

郷土の偉人として小学校社会科教科書「伊方のくらし」に紹介

 そしてこのほど、河野兵市同志の子息遼兵さんの働きかけが実り、父河野の功績がめでたく故郷愛媛県伊方町(四国上部左へ突き出た佐田岬半島付け根部の地域)の小学生用社会科教科書「伊方のくらし」(伊方町教育委員会)で子どもたちへ郷土の偉人として伝承される。

小学生用社会科教科書の表紙と裏面
ノーベル物理学賞を受賞の中村修二氏と同72頁に紹介された冒険家・河野兵市同志(写真下)

 同書の項目「伊方から世界へ」には、「青色発光ダイオード(LED)」の発明で2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏(1954~)がおられる。その中村氏に次いで、河野同志は写真(上の掲載写真)と共に下記の文面(原文)が紹介されている。

 「河野兵市(1958~2001)さんは、川之浜の生まれで、小さいころから海と山で体をきたえ、22才のときに自転車で世界一周をめざしました。その後も世界中の高い山に登ったり、さまざまなぼうけんにいどみました。1997年には日本人で初めて北極点まで一人で歩いて行くぼうけんにちょう戦して、みごとに成功しました。2001年には今度は北極点から佐田岬半島をめざすぼうけんにちょう戦しましたがとちゅうでそうなんしました。」

と記されている。
※伊方町教育委員会発行「伊方のくらし」は、河野兵市同志の子息遼兵さんと順子夫人(㈱こころに夢代表取締役として遼兵さんと河野同志の遺志を継承すべく広く活動を展開し活躍されている)が資料として本書をJACCに提供。
 河野同志の想い通りに「世界で活躍する子ども達に育ってほしいという想いあふれる教科書です」と教育委員会への感謝と喜びを伝える。

 そして、河野兵市同志が残した言葉、「夢 大切に」、「一歩を踏みだす勇気」は、きっと子ども達の心に延々と伝わるに違いありません。

■一大講演会で伝える使命感(※一部を紹介します)
 北極点遠征記出版記念講演会・YONDENふれあい文化講演会「河野兵市 極点への軌跡」

 ●演題/「北極点はブルースカイ」
 ●日時/平成9年7月4日18時30分開演
 ●場所/松山市総合コミュニティセンター・キャメリアホール
 ●定員/1,000人 ●入場料/無料
 ■主催/河野兵市北極点遠征隊事務局、四国電力松山支店、松山市生涯学習振興財団、愛媛新聞社
 ■後援/松山市教育委員会、NHK松山放送局、南海放送、テレビ愛媛、あいテレビ、愛媛朝日テレビ、
  FM愛媛
 (※ポスター・ハガキより抜粋)
 ※河野同志は西へ東へ”軌跡”を伝えました。

 ”だれにも負けない・支援することが誇り”パワーに感謝!!

 河野同志の冒険で、とくに思い出されるのは──”地元の人と一緒に歩きたい”という河野の気持を汲んで10余年前から交流のあるアウトドア店「コンパス」経営の三宅英太郎さん(55=当時)、みそ醸造会社を経営し、アウトドア派の後藤東二さん(51=当時)らが中心になり、11/25松山市内に遠征隊事務局が開設された。会社を事務局にした後藤さんは、今回の冒険に対する熱意は「だれにも負けない」、「支援することが誇り」と、昼夜の東奔西走を続け、河野のデッカイ夢をみんなと共有できる機会に恵まれたことを喜び、河野の夢を自分たちの夢にしようと「感動し、憧れ、共感」を持った人たちへカンパを呼びかけた。一人千円カンパで小学生を含む5千人もの老若男女が、真っ正直でスケールの大きな男の夢に参加した。(※JACC機関紙ペダリアン夏60号1997年=平成9年=7月1日発行、4面より抜粋)
 この涙が出るほどの、大きな希望旗を振ってくださった後藤東二さんと三宅英太郎さんの河野への熱き情熱に支えられ北極点一番乗りの夢が叶ったといっても過言ではないでしょう!そうした裏方に徹してくださった後藤さん、三宅さんへ、河野君は心からお礼を伝え、もっともっと恩返ししたかったことだろう。
 改めまして、後藤さん、三宅さんへ感謝を申し上げます!そして、夢へのカンパ支援をくださった皆さま、ご支援くださった各方面の多くの皆さまへ、JACCは河野兵市同志に相変わって改めてお礼申し上げます。本当にありがとうございました!
 私共JACCは、この河野兵市同志の崇高な夢に携われたことが”永遠の誇り”であります!
 ※記事中の北極点到達活動写真提供/河野兵市遠征隊事務局(当時)

 日本人初の780キロ単独踏破
 「北極点はブルースカイ」
 河野兵市著/愛媛新聞社刊

 ※本書全335頁、27頁には「僕が”親分”と慕っているJACCの池本元光さんが、リヤカーを作ってくれた」という記述がある。このくだりは、河野のサハラ縦断にあたって、職場関西CSCで3日3晩心血を注いで作った贈物だ。「サハラ徒歩縦断の出発が、いよいよ明日となりました。準備に当たって数々の御協力・御援助いただきありがとう御座います。池本氏による力作の人力車を旅の友として、それに、皆様の”心”を満載してサハラを歩いて来ます。旅の途中、近況を入れます。
 こげつく青春 九〇年十月二十八日 河野兵市」とハガキを寄せた。
 最たる勇者として見守ってきた河野は、北極への出発前は空港から電話で「池本さん、行ってくるけんね」、「気をつけてなァ」。北極点行と変わらぬ短い会話。「リーチングホーム」で、これが最後の会話になるとは、夢にも思わなかった、と……悔やむ。
 「」あってJACC同志となり、ペダリアン精神でもって結ばれた「」であった!台湾の郭金仁JACC名誉会員(元中華民国自由車協会監事)を訪ね、台南の成功踏板倶楽部の蘇会長らと交流。北極点到達の喜びを語らった日々を懐かしむ……JACC活動発展への「」であった!

台湾から無二の親友胡栄華夫妻が佐田岬半島の瀬戸町農業公園に建つ河野兵市記念碑を訪ね花束を捧げた/2001年7月2日

■河野君の口髭(マスターシュ)、なぜ?と思われたかもしれない髭。

1987/9魔の山と呼ばれるナンガパルバット(8125m、パキスタン北部カラコルム山脈に君臨する世界第9位の高峰)氷壁登攀で人頭ほどの氷塊雪崩に遭遇、その一つを顔面にうけ、28針も鼻の下を縫った。マスターシュはその傷のカムフラージュでした。その時、意識不明の河野君を懸命に看病したのが日本からの登山遠征隊員だった後の夫人順子さんでした(写真はハワイ・ホノルル・アラワイ運河で親交を深めたヨットマン「南流斗」の堺克也氏と髭のない無傷の冒険サイクリストだった装備満載の河野兵市)。マスターシュは決して総統髭ではありませんでした。

北極点!支援団体の旗と共にJACC旗を掲げた河野兵市同志。ありがとう!!

■JACCは河野兵市同志の郷土教育委員会が小学生用社会科教科書に河野の功績を紹介くださったことに深謝すると共に、河野同志他界から間もなく迎える25周年を前に河野同志の功績を”忘れない!”ために、改めてここに謹んでご冥福をお祈りすると共にお伝え申し上げる次第です。合掌

■ぜひ本文、写真等で河野兵市同志の歩みを偲んでいただき、改めて安らかな祈りを捧げていただければ幸いです。ご拝読ありがとうございました。 

◆フィルター精査協力/梶政雄共同代表(サンディエゴ支部長)・宇都宮秀俊副代表(福岡県)・出口隆二事務局長(大阪府)・鈴木邦友評議員(東京都)。感謝申し上げます。
1988年世界一周から戻り府中市の実家に住んでいた時、三鷹市に住んでいた兵市君が胡栄華さんを連れて来て、不要になっていたサイドバッグを胡さんにプレゼントしたこともありました。兵市君が亡くなり約四半世紀が経とうとしていますが、あの豪快な笑い声が今でもどこかから聞こえてくるような気がしてなりません。」と梶共同代表(米カリフォルニア在、東京農工大OB、サイクルスポーツ誌で「クールガイ梶の世界縦横無尽」63回連載や「ハウツーツーリングQ&A」等で活躍。身重なホリー夫人と東南アジア6カ国走破)は伝える。
今回、河野兵市同志の原稿「教科書に掲載」に取り組んだことで、「河野さんの偉大な功績を改めて思い起こすことができました。また、河野さんとその志を支援する周囲の人たちの心を強く感じることができました。」と宇都宮副代表(北九州市在、県立高校教員として奮闘、山形大時代に世界一周、著「自転車野郎 駆け抜けた四万七千キロ走破」、清子夫人との6度の海外走行を含め通算40回の海外遠征達成は、3人の子息を育て、年一度の自転車旅を自身への褒美とする)は伝える。
すごい方ですよね。読み返すたびに驚かされます。」と鈴木評議員(東久留米市在、専修大OB、世界一周後、自転車環境研究家として活躍し、自転車文化センターの学芸員を経て、宮園自動車グループ採用教育室に勤務、定年後もシニアで継続中。自転車雑誌のコラムニストを長年務め、自動車にも造詣深く月刊誌「ザ・タクシー」等へ「日本の道」の論文を寄稿するなど、広範な社会的活動を展開。自転車通勤の帰路、強盗犯検挙で警視庁野方警察署より表彰を受ける)は寄せる。

記・文責)池本元光

■JACCウェブサイト項目「地球体験情報紙」から下記のペダリアン掲載号(最多の76回)で、偉業を叶えた功績で偉人として讃え後世へ伝える愛媛が生んだ日本を代表する冒険家、JACC河野兵市同志の足跡を併せて偲んで頂ければ幸いです。※掲載号面下は記事の主タイトル(大中見出し)等となっています。

ペダリアン春159号1面 (2022年4月1日発行)
 TOPICS!!「一人北極点をめざした”旅人”河野兵市」──没後20年冬季企画展・郷里愛媛人物博物館で開催ポスター掲載
ペダリアン夏156号4,7面(2021年7月1日発行)
 自転車世界一周~北極点到達──「☆輝く!!”河野兵市”偉業☆」故郷・愛媛人物博物館入り/4面
 「回想・追悼/2000~01年」──真鍋博理事、エミコ・シールさん、
 河島英五理事、河野兵市評議員/7面
ペダリアン春151号3面 (2020年4月1日発行)
 「☆河野兵市常設展示☆」──故郷愛媛”人物博物館”準備開始
ペダリアン夏144号2,8面(2018年7月1日発行)
 ”山渓”編集者神長氏著「未完の巡礼」に──☆河野兵市の軌跡☆
ペダリアン秋137号3面 (2016年10月10日発行)
 小惑星「Hyoichi」命名豆知識
ペダリアン秋97号1,2面 (2006年10月10日発行)
 リーチングホーム北極海遭難から5年──「故・河野兵市評議員の故郷にに集う」/1面
 北極点からゴール予定の愛媛・佐田岬半島──「リーチングホーム記念碑」台湾の郭金仁名誉会員らを迎え集う/2面
ペダリアン春95号3面 (2006年4月1日発行)
 NPO法人「河野兵市 心と夢クラブ」セミナーのすごさ
ペダリアン春91号6面 (2005年4月1日発行)
 リーチングホームの故河野兵市を訪ねる(東京本願寺・八王子の杜公園墓地)
ペダリアン春87号8面 (2004年4月1日発行)
 故河野、北極点到達支援のEH社40周年を迎える
ペダリアン冬86号4面 (2004年1月1日発行)
 北極海で遭難──「河野兵市評議員の夢”リーチングホーム”」順子夫人、友人小宮さんらによって完結(最終章ロシア・サハリン州から稚内を経て佐田岬半島農業公園に建つ記念碑までの約3千kmを幾度かに分けて踏破。その模様は同行取材の日本TV系朝のズームインスーパーで放映、ゴールは 
 愛媛新聞10/13付ほか朝日新聞などで「河野さんの魂、瀬戸に帰る」と紹介)の記事を掲載。 
ペダリアン秋85号2面 (2003年10月10日発行)
 特別寄稿──河野順子「リーチングホーム再開!」河野兵市の夢を今、残された子供達と妻が完結へ 
ペダリアン夏84号8面 (2003年7月1日発行)
 故河野兵市を支援した中村・松山市長再選!
ペダリアン春83号1,4面 (2003年4月1日発行)
 A cyclist’s friendship is everlasting !!──「北極点はブルースカイ」(※河野兵市著表紙掲載)/1面
 北極海遭難、突発的事故の裏付けカナダ気象庁から届く/4面
ペダリアン秋81号7面 (2002年10月10日発行)
 故河野兵市評議員の遺志を継承「順子夫人の土性骨」──一周忌、「絆」出版…と精力的に活動!
ペダリアン夏80号2面 (2002年7月1日発行)
 「絆」(河出書房新社)上梓!──河野兵市評議員一周忌に、妻・順子さん
ペダリアン春79号2,8面 (2002年4月1日発行)
 河野兵市2001年からの旅リーチング・ホーム──「レゾリュートに記念碑建立」──”友情””感謝””冥福”北極海への鎮魂を込め/2面
 故河野兵市ファミリー(順子夫人・美樹さん中1・遼兵さん小3)、関西CSCをエミコ・シール夫妻と初訪問/8面
ペダリアン冬78号2,5,8面 (2002年1月1日発行)
 プレッシャーリッジに遭遇、事故は不可避──河野兵市「リーチング・ホーム」報告書・遠征隊事務局最終報告/2面
 「リーチング・ホーム」第4ステージ日本上陸地点だった──「横田・稚内市長ら”河野記念碑”訪ねる」/5面
 「佐田岬半島”河野詣で”」舩木迫評議員記念碑訪ねる/8面
ペダリアン秋77号1,2,4,5,8面 (2001年10月10日発行)
 有朋自遠方来──「胡栄華夫妻 河野兵市記念碑に」/1面
 故郷愛媛・瀬戸町、松山市、東京でお別れの会「河野眠れど”魂”眠らず」
 ”一歩の勇気大賞”創設──河野兵市記念委員会発足/2面
 河野兵市、80年訪台以来の交友「朋友・胡夫妻、郭さん、涙こらえ来日」熱き友情に感謝!/4面
 愛媛新聞社、河野兵市後援会など主催「河野”お別れの会”に竹沢代表ら」──参列者700人が功績を偲ぶ/5面
 「ああ、北極海に涙する」君の輝く勇気忘れない──池本元光事務局長、
 6/6付愛媛新聞への追悼の辞(紙面掲載)/5面
 高松市の木原芙美子さん「河野兵市を育てた海・山を見る」/8面
 長野の牛山”河野詣で”自転車で一番乗り/8面
ペダリアン夏76号2,7面 (2001年7月1日発行)
 ああ河野、ああ北極海……アクシデント──「氷原689km踏破、陸地へ84km地点」元気に北極点をスタートしたが……/2面
 進路西経74度30分、全て順調、ワードハント島を一気に目指す──「不運!プレッシャーリッジが直撃」──雄々と進みゆく5/16海流の衝突により氷と氷がぶつかり隆起する爆発現象の直撃に遭遇。■「日本を代表した冒険家河野」BCレゾリュートの記録から。■河野さんとの最後の交信。■ 
 チャーター機レゾリュート出発5/19/10:00。■カナダ空軍機ソリ周辺を捜索5/20。■チャーター機5/21/18:15ソリ周辺、20:00ワードハント島避難小屋周辺の上空旋回捜索。生存の可能性危ぶまれる。■ソリ回収、地元有志がチーム編成5/22。■チャーター機、滑走路のないソリ付近に着陸5/23/15:30。ソリから約400m地点に着陸。ソリとザイルでつながっている氷下の河野を発見。■ソリ回収、河野の遺体を収容。5/23(水)23:15(日本時間5/24木曜日13:15)チャーター機レゾリュート空港に到着。■報告。日本時間5/24木曜日8:35BCスタッフ吉本泰子さん遠征隊事務局へ涙の報告。■発表。5月24日(木曜日)午前8時45分河野兵市遠征隊・後藤東二事務局長によって発表。マスコミが一斉に伝えた。無念。■河野の”こげつく青春”へ、ご支援ご協力下さったみなさまへ、感謝いたします。(と全面への涙の詳細記録の掲載となった)/7面
ペダリアン春75号4,5面 (2001年4月1日発行)
 「河野兵市”リーチングホーム”開始!」──北極点から故郷愛媛へ1万5000km人力行(稚内市で降雪のなか最終訓練を行う河野の写真掲載)/4面 河野兵市”リーチングホーム”開始!/5面
ペダリアン冬74号2面 (2001年1月1日発行)
 「遠大な”共有”の夢乗せて、今春スタート」──河野兵市リーチングホーム2001・ロシア平和財団の受け入れも決定!
ペダリアン秋73号2,5面 (2000年10月10日発行)
 「台湾”踏板上的勇者”来日!」今夏、JACCと北海道を友好サイクリング──河野兵市、台南成功踏板倶楽部友好活動団を激励/2面
 89年地球体験ペダリアン大賞受賞「胡栄華名誉会員ファミリー来日!」──河野兵市「2001年からの旅」へ50万円贈る/5面
ペダリアン夏72号1,2,3面 (2000年7月1日発行)
 旅立とう!君待つ国へ──「15,000km 河野兵市2001年からの旅 REAL CHING HOME」──河野兵市後援会発足・会員募集開始!!(案内パンフレッ
 ト表紙掲載)/1面
 河野兵市後援会発足──リーチング・ホーム「北極点から愛媛15000km人力踏破」に向けて/2面
 ぜひ「河野兵市後援会」にご入会を!(松山市の南海放送本町会館で「旅の計画発表会」と共に「河野兵市後援会設立総会」が開催。顧問の加戸守行愛媛県知事、中村時広松山市長、井上善一瀬戸町長らが出席。会長に宮崎満・前松山大学長を選んだ)/3面
ペダリアン春71号2,5面 (2000年4月1日発行)
 「河野、北極圏500km徒歩訓練へ」──2001年北極点~故郷愛媛1万5千km人力踏破計画/2面
 池本事務局長・河野評議員「台南訪問、踏板倶楽部と交流」──民生報鄭有利記者招待で郭金仁名誉会員共にシェラトンで会食。河野の計画を披露(の写真などを掲載)/5面
ペダリアン冬70号5,8面 (2000年1月1日発行)
 北極点~故郷愛媛、徒歩・シーカヤック人力行──「河野、2001年計画へ準備着々」──沖縄~愛媛、1300kmをシーカヤックで渡海
 ※「北極にいても、沖縄にいても納め忘れなし…」と、愛媛県国民年金PRに協力し、「冒険、夢中。年金、安心。」ポスター、チラシに登場した河野を掲載(の広告を掲載)/5面
 河野兵市と”しまなみ海道”を行く/8面
ペダリアン秋69号8面 (1999年10月10日発行)
 ”北極点到達”河野、丸紅社友会(大阪本社)で語る(※河野は、世界一周中=1981年=の豪メルボルンで丸紅の現地事業会社の羊毛工場で1年ほど羊毛刈りなどのアルバイトを経験したことがある)
ペダリアン夏68号7面 (1999年7月1日発行)
 ☆JACC日本国際自転車交流協会推奨図書☆北極点単独780km60日間で達成!!──冒険家 河野兵市著「北極点はブルースカイ」発行/愛媛新聞社「自然に対し、人に対し、常に感謝の気持ちを忘れず、前向きに生きる河野兵市。人間の限界に挑み、ただひたすら極点を求めて北へ歩き続けた男の記録です。」A5判340頁 定価1,890円
 ■問い合わせ/河野兵市北極点遠征隊事務局(※半2段広告掲載)
ペダリアン春67号8面 (1999年4月1日発行)
 河野評議員、4度目のアコンカグア登頂 
ペダリアン冬66号1面 (1999年1月1日発行)
 第3回地球体験ペダリアン大賞──「世界117カ国走破の待井、受賞!」河野兵市評議員、贈呈式プレゼンテーターの大役務める。
ペダリアン秋65号4面 (1998年10月1日発行)
 「河野、野元のベーリング海シーカヤック行」──5年後の「北極点~愛媛計画」の偵察
ペダリアン夏64号4面 (1998年7月1日発行)
 河野兵市”北極点到達1周年記念”感謝イベント──「”河野兵市ふるさとウォーク”in愛媛、5/3開催」一輪車米横断ギネス記録の松島ら参加
ペダリアン春63号4,5,7面 (1998年4月1日発行)
 日本人初北極点単独徒歩到達──「”河野兵市”活動記」訪台熱烈歓迎!愛媛新聞賞受賞……/4面
 「河野、エクセル・深江社長を訪問」──北極遠征100万円支援のお礼に/5面
 「河野、高円宮殿下と歓談」──日本カナダ協会新年会が東京日比谷の東京会館で行われ、在日カナダ大使ら各界の名士が多数出席。ゲストの河野は、ご臨席の同協会名誉会長の高円宮殿下との歓談の機会を得た(写真掲載)/7面

高円宮殿下と河野兵市/1998年1月

ペダリアン冬62号3,4,8面 (1998年1月1日発行)
 10/27付朝日新聞の「天声人語」に▼先日、こんな話を、冒険家の河野兵市さんが東京で開かれたシンポジウム「てっぺんから見た地球」で披露した。──とあった、その記事と11/4付見開きシンポジウム写真記事を掲載/3面
 「地球体験展に集う」──関西CSCに河野兵市を迎えサイン会(今回の地球体験展は95/5~97/7まで通産省車両課総括班長だった横山典弘=現静岡県商工労働企画課長、東大時代にロス~キーウエスト間の冬季米横断体験=の”子供たちに夢と感動を与える展示を”という意向によって、関西CSCが日本自転車振興会から競輪公益資金の補助を受け、実現した)※多くの小学生団体が見学する写真を掲載/4面
 野元・鹿児島支部長、河野講演会開催/8面
ペダリアン秋61号1,2,4,8面 (1997年10月1日発行)
 いいもの真っすぐエクセル株式会社──北極点遠征の支援を受けたエクセル㈱=大阪府堺市=を訪問した河野兵市。全社員の歓迎を受け、心からお礼を述べた(写真3点掲載)/1面下
 ”地球体験展”河野兵市の軌跡とJACCアドベンチャーを一堂に──今秋、関西CSCで開催/2面
 ”日本人初北極点徒歩到達”各誌で特集──河野、桐生ゆう子さんと立川競輪場で対談など…(えひめ雑誌6月号紙面掲載)/4面
  北極点到達を祝う会(於河内長野ユースホステル)/8面
ペダリアン夏60号1,2,4,面 (1997年7月1日発行)
 やったぜ!!日本人初,世界で3人目!──特報!JACC河野兵市「北極点到達単独徒歩に成功」──自転車世界一周から17年目の快挙/1面
 JACC河野、北極点到達支援に感謝!(報道紙掲載)/2面
 「両極点にJACC旗!」──北極点に河野、89年舟津圭三が犬ぞりで南極点に(両雄の極点写真掲載)/4面
ペダリアン春59号1,2,5面 (1997年4月1日発行)
 「JACC河野兵市、熱き”心意気”に支えられ今、北極点単独踏破中!」──780km白熊と融氷と資金の恐怖を乗り越えて/1面
 「河野兵市、北極点へ挑戦中!」──ペダル、徒歩、登山、川下り、マラソン、極地…世界唯一のオールラウンダー/2面
 「河野、北極点遠征支援チャリティーオークション」──朝日新聞運動部長、日本歩け歩け協会専務理事ら迎え/5面
ペダリアン冬58号2面 (1997年1月1日発行)
 「河野兵市、北極点単独踏破へ挑戦!」──北極点到達の和泉雅子さんらが激励(和泉さんと記者会見に臨んだ写真掲載、95/3北磁極に挑んだ時にマスターシュも凍った写真も掲載)。
ペダリアン夏56号7面 (1996年7月1日発行)
 ペダル、歩く、カヌー(河野兵市)……「JACC地球体験、新聞掲載でも活躍!」
ペダリアン春55号2面 (1996年4月1日発行)
 「舟津はロッキー、河野は極地に挑む」──共に故植村直己さんを尊敬する後継者として期待される。
ペダリアン秋53号7面 (1995年10月1日発行)
 「北磁極から北極点踏破をめざす河野兵市」──「探検倶楽部」(青人社刊)7月号別冊の探検トピックスで、「今、日本で最も北極点に近い男」と掲載される。
ペダリアン夏52号4面 (1995年7月1日発行)
 河野兵市、北磁極へ600km踏破!
ペダリアン春51号2面 (1995年4月1日発行)
 河野兵市、北磁極へ挑戦!(1/1付朝日新聞が「自分を歩く」題でヒゲの河野をカラーで紹介=河野のヒゲは、87/9魔の山ナンガパルバット登山で落氷を顔面にうけ、28針も縫った。鼻の下のヒゲ(マスターシュ)はそのカムフラージュになっている。
ペダリアン冬50号8面 (1995年1月1日発行)
 超人・河野兵市行動記
ペダリアン秋49号7面 (1994年10月1日発行)
 サハラ縦断リヤカーで──河野のモンゴル・ガイド行
ペダリアン春47号4面 (1994年4月1日発行)
 日本を代表するJACCペダリアン河野兵市──情熱満々、北極圏レゾリュートで訓練(地球の旅「旅行人」誌1月号に「焦げつく青春」掲載)
ペダリアン夏44号4面 (1993年7月1日発行)
 アドベンチャー・サイクリングフェア&フォーラム(東京・科学技術館)──河野父娘で激励へ
ペダリアン春39号2,7面 (1992年4月1日発行)
 河野兵市、厳冬のユーコン川徒歩踏査行へ/2面
 「青少年へ夢!冒険者の使命感」──河野兵市の地球体験が最高のレイアウトでJR「こども時刻表」にカラー掲載/7面
ペダリアン秋37号5面 (1991年10月1日発行)
 地球体験は河野兵市の命!?──「ガリバー」8/22号に4ページ掲載
ペダリアン夏36号1,3,5面 (1991年7月1日発行)
 「”超人”河野兵馬は、サハラ砂漠縦断で自然の素晴らしさをまた、かみしめた。」──坂本龍馬を仰ぐ河野、リヤカークスクス号で強烈な砂嵐を乗り切った/1面
 91年JACC第3回講演会──6/8東京赤坂、自転車文化センターで河野兵市を迎え開催/3面
 サハラ徒歩の河野(32)、講演会で奮闘!/5面
ペダリアン春35号4,5面 (1991年4月1日発行)
 「超人!?河野兵市、サハラ越えを楽しむ」──特製リヤカー・サハラ砂漠縦断レポート(1/6テレビ朝日「クイズヒントでピント」に出演、「ビーパル」3月号でカラー掲載)/4面
 Algeria ラグアットYH前での河野とリヤカー(写真掲載)──全長160cm、幅90cm、重量19kgの輪行袋に収納できる分割リヤカーでのサハラ縦断。
 師弟関係の池本事務局長がMTB前輪を駆使した作品。11/9地中海アルジェからアトラス山脈を越え、サハラ玄関口ラグアットへ南下/5面
ペダリアン冬34号2面 (1991年1月1日発行)
 「河野兵市、リヤカー・サハラ縦断へ」(※関西CSCサイクルアトリエ =大阪=において3日3晩で完成された特製折畳リヤカーはその晩、朝日新聞運動部の近藤幸夫記者=近藤記者はその後、2016~長野総局山岳専門記者を経て、2022~山岳ジャーナリストとして、「ライチョウ、翔んだ」を刊行されるなど活躍。JACC懇親会に臨んで下さるなど活動を支援下さってきた=によって取材され翌1990/10/28付朝日新聞サンデーワイドで報じられた/記事掲載)
ペダリアン秋33号8面 (1990年10月1日発行)
 河野、チャラセを終えサハラ縦断へ始動!
ペダリアン春31号4面 (1990年4月1日発行)
 「アジアウィーク」誌、日本の冒険家たちを特集──河野兵市の活躍を紹介(英語版写真入りで掲載)
ペダリアン秋29号4面 (1989年10月1日発行)
 河野兵市「地平線会議」で語る
ペダリアン夏28号6面 (1989年7月1日発行)
  「”地球体験”大いに語ろう!」──「潮」(潮出版社)6月号の座談会で「大いなる自転車旅行」を10ページにわたってJACCの旗手は語る(河野兵市、梶政雄、埜口保男、竹沢荘一)
ペダリアン春27号5面 (1989平元年4月1日発行)
 河野と共に”上田夫妻、武川ら、玉山MTB登頂!”
ペダリアン秋25号2,4,7面 (1988昭63年10月1日発行)
 「 舟津、南極横断へ向け10月渡米」──8月5日、舟津、前川賢一、河野兵市夫妻は竹沢代表を訪問(東京・新橋)/2面
 「河野、8千m峰へ向けソ連7千m峰で訓練」──6月24日付朝日新聞夕刊
 ”人きのうきょう”に「40日で3000キロ日本列島縦断」が紹介される/4面
 河野(カワノ)政美(豪から帰国中)、河野兵市(ソ連コミニズム峰出発前日)ら関東支部”ピエロ”で歓談/7面
ペダリアン夏24号5面 (1988年7月1日発行)
 ”サイクルスポーツ大冒険!”日清スポーツ振興財団イベント──河野兵市、青芝フックさんと語る(於関西CSCサイクルスタジアム)
ペダリアン冬22号2面 (1988年1月1日発行)
 「河野兵市(愛媛)、6年8カ月ぶり帰国!」──活躍!!関東支部が歓迎会
 (87年11/21付朝日新聞東京、11/30付大阪版が「この人に聞く」で報道)の紙面を掲載。
ペダリアン秋21号5面 (1987年10月1日発行)
 旅立つ井上、「なるほど!ザ・ワールド」で全国紹介──世界一周途上の河野兵市もスチールで登場
ペダリアン夏20号3面 (1987年7月1日発行)
 「東西南北」──河野兵市(29、1981/2~世界一周中)はチチカカ湖葦舟漂流体験を終え、今夏のナンガパルバット(8125m=パキスタンにある世界第9位の高峰)登頂を目指し、アンデスでトレーニング中!6月末パリへ。
ペダリアン春19号1面 (1987年4月1日発行)
 ”IKINOIIYATSU”地球を駆ける!触れ合う心はINOCHIGAKE。──河野兵市、前川賢一「南米ジャングル赤道走破!!」(写真掲載)
ペダリアン冬18号7面 (1987年1月1日発行)
 河野兵市、前川賢一──「南米中央ジャングル縦断中!!」
ペダリアン秋17号2面 (1986年10月10日発行)
 「大冒険を続ける無名の河野兵市(愛媛)」──8千m峰へのキップを手にした自転車野郎(1981年台湾、豪縦断・コジュアスカ登頂。82年NZ・ルアペプ登頂、アラスカ・ユーコン川筏下り、カナダ横断。83年マッキンリー=6194m=登頂、US3大マラソン完走。84年US徒歩横断8千km。
 85年USホイットニー=4418m=他3座登頂、メキシコ・ポポカテペトロ=5925m、ピコデオリサバ=5700m=登頂。中南米を縦走しつつ、エクアドル・コトパキシ=5897m、チンボラソ=6310m=登頂。そして86年1/11、南米最高峰アコンカグア=6959m=登頂。パタゴニア半島徒歩縦走。夏、ペルー最高峰ワスカラン=6768m=と他のアンデスの高峰に登頂。)
 ☆初心を忘れず目標を定め、慎重に駒を進めている愛媛の生んだ無名の地球大冒険野郎だ!!
ペダリアン夏16号5面 (1986年7月1日発行)
 「河野兵市とヨットマンの友情」──サンフランシスコからのセーリングでハワイ・アラワイ運河に繋船中の初老のヨットマン”南流斗”の堺克也
 氏との愛艇・愛車フル装備の交流(写真掲載)
ペダリアン春15号4面 (1986年4月1日発行)
 世界一周の河野兵市(愛媛)──「アコンカグア(南米最高峰6959m)登頂!」
ペダリアン冬14号2面 (1986年1月1日発行)※題ペダリアンに改題
 ペダリアン河野兵市(世界一周中)──「ペダルを漕ぎ、登山、マラソン、徒歩、川下り…」次々と大挑戦!(1985年11/19付読売新聞夕刊大見出しで「”アンデスの2高峰に立つ”単独、氷と苦闘、冒険野郎・河野さん快挙」と登頂写真入りで報道)の紙面を掲載。
シークベンチャー秋13号1面 (1985年10月10日発行)※題は改題前
 ペダリアン河野兵市の地球体験ing!!
 「”若さ溢る 君よ! 踏み出せ! 高き、深き、広き、遠き、新しき天地に。恐れずに。それが冒険だ。”」
  日本山岳会会長/佐々保雄氏メッセージ(河野の写真と共に掲載)
シークベンチャー秋9号3面 (1984年10月10日発行)※題は改題前
 「東西南北」──河野兵市(26、1981/2~世界一周中)はボストンマラソン完走を遂げ、10/28のNYシティーマラソンの出走を目指す。
シークベンチャー夏8号3面 (1984年7月1日発行)※題は改題前
 「東西南北」──”こげつく青春”と世界旅を謳う河野兵市(26)、オセアニア、北米走破し、米大陸徒歩横断を遂げ、4月のボストンマラソンへ飛
 び入り、3時間49分で完走するも、翌日はNYの地下鉄の階段をはってあがったという頑張りよう。
シークベンチャー春7号10面 (1984年4月1日発行)※題は改題前
 世界一周中の河野兵市──米大陸徒歩横断果たす!!(※紙面16頁建て)
シークベンチャー冬6号2面 (1984年1月1日発行)※題は改題前
 河野兵市、米大陸徒歩横断中!!(※紙面16頁建て)
シークベンチャー秋5号2面 (1983年10月10日発行)※題は改題前
 河野兵市、マッキンリー(北米最高峰6194m)登頂果たす!!
シークベンチャー春3号3面 (1983年4月1日発行)※題は改題前
 「東西南北」──河野兵市(24、1981/2~世界一周中)、ダンロップテントの提供を受ける。カナダ・オンタリオの横断道路で事故死した同志五月女
 次男の事故現場に献花し、弔った。
シークベンチャー冬2号1,3面 (1983年1月1日発行)※題は改題前
 A HAPPY NEW YEAR!
 from AUSTRALIA We are Japanese cyclist !!
 「若者を駆りたてるオーストラリアの魅力とは」──ご来光!エアーズロック頂上にて日の丸を掲げる河野兵市。南回帰線に立つ和田勝男。暑い!
 ウォータータンクにやっと着いた西尾賢。(3人の写真と豪大陸の地図を掲載)/1面 
 「東西南北」──ニューヨークで長逗留している世界一周中の河野政美(大分)のもとへ、ユーコン川下りを終えた河野兵市が到着。(河野の筏下りの
 写真掲載)/3面
シークベンチャー秋創刊号3面 (1982昭57年10月10日発行)※題は改題前
 「東西南北」──世界一周中の河野兵市は、豪州・NZからアラスカに渡り、手作り筏とゴムボートによる単独ユーコン川下りに成功!秋深まるカナダからNYを目指し快走中。(48日間、2000キロの後半に使ったゴムボートと河野の写真掲載)


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