評議員 待井 剛
世界一周(1992/4~1998/5)117ヵ国・116780km走破
地元紙「信濃毎日」に182回の連載
第3回「地球体験ペダリアン大賞」受賞 (1998/10)
愛車「飛脚号」で世界100ヵ国10万kmを走破するため佐川急便で2年間1千万円を、血を吐く思いで貯めた。そして、1992年4月、アンカレッジを南下。北米・中米・南米、ヨーロッパ、中近東、アフリカ、アジアへ。西アフリカでは病気、金品強奪……と、順風満帆ばかりではなかったが、1997年4月15日、南アフリカ・ケープタウン「喜望峰」に到達。そして、インド洋のマダガスカルで100ヵ国を達成した。この記録は日本人の自転車旅として最多国歴訪だ。長野五輪の帰国を目指しラストスパート。(リレハンメル五輪フリースタイルスキーエアリアル代表の兄・寛さんの出場が予想される)
長野県立諏訪実業高校の生徒代表として活躍した待井は、18歳の1987年2月にJACCに入会し、地球体験を目指した。
自転車世界一周という夢に向かって、信州名鉄から佐川急便のドライバーとして、血の出る思いで1000万円の旅費を捻出した。
地球体験は地元信濃毎日新聞に「自転車世界ひとり旅」として連載され、1998年5月29日付第182回オセアニア 編「旅の終わり、テントで30歳の誕生日」掲載を最終手記とし、帰国後の6月9日に番外編として「6年間、巡った117カ国」の見出しで大紙面によって読者へ報告されている。
待井は、「出会いが宝」という全編、アメリカ大陸編、欧州・中東編、アフリカ編、アジア・オセアニア編の5編の素晴らしいDVDを自主制作し販売しているが、信濃毎日に連載されたこの貴重な体験が書物化されておらず、青春を賭けた世界旅の共有、人生観が伝えられていないのが悔やまれてならない。