地球体験ペダリアン大賞の構想から

ペダルによる地球体験で国際交流を展開していくことは、やりがいのある、また骨の折れることである。

わが日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(JACC)は、1989年4月創設10周年を迎え、これを記念して、友好と平和を前提にペダルによる地球体験で、国際的に活動し社会に貢献した人へ贈る、国際友好大賞『地球体験ペダリアン大賞』を制定した。

そして、世界の地球体験サイクリストの中から、台湾の胡栄華さん(当時35歳)を初の受賞者に選んだ。
89年春には41名の国際友好親善自転車活動訪華団を結成し、贈呈式を兼ねて台湾一周親善サイクリングを大々的に挙行した。

この成功の結果を体験しながらも、今さらながら、なんと大それたことを……と思っている。

しかし、思い起こせば、そもそもこの構想は38年前の68年8月、僕が20万円を懐に地球体験へ旅立ったときに始まっていたのだ。
僕は“友情と平和”を旅の目的に、世界47カ国を4年4カ月かけてペダルを踏み続けた。
その中で、世界の300以上の報道機関で地球体験の目的を一貫してアピールし続けた。

そして27年前、東京の梶政雄に呼びかけJACCを発足したのである。

今日でこそ、定数300名を擁す、任意クラブとしては最大の組織に成長したが、当時は体験こそグローバルではあるが、有志による貧乏クラブにほかならなかった。
JACCの発展の原因は、よき有志とともに歩めたからであり、無責任と縁がなかったからであろう。

それに、最高指導者として、元通産省次官の佐橋滋氏を名誉会長に迎えたり、元リビア大使(現太田新生会長)や元三井物産ロス支店長といった、官民の第一線で活躍された
強力な理解者を迎えることができ、陣容が整ったことも大きい要因だった。

とはいえ、いまだに貧乏クラブには違いない。クラブ運営はすべて有志の貴重な会費が財源であるからだ。もっとも、財源が乏しいからこそ、頑張りが生まれるのかもしれないが……。
こんなJACCの活動であっても、マスコミに取り上げられることが多く、活動の責任の重さを感じている。

特に、JACC10周年の活動を朝日新聞(東京89/1/30、大阪89/2/3)が大きく、『地球体験ペダリアン大賞』制定を読売新聞(大阪89/2/9「“自転車野郎”が国境を越えたで賞」との見出しで)が、そしてまた、20周年を「銀輪に夢乗せ20年」との大見出しで(大阪99/9/18),“トルコ大地震の支援も”とカラーで大きく扱い「頑張るのはこれからだ」といわんばかりに、JACCの存在を広く紹介してくれた。

また、「ペダリアン」創刊10年を共同通信社が全国各紙へ配信(千葉日報92/4/27、デイリースポーツ92/4/30「若者よ自転車で世界へ」などの見出しで)。
50号達成においても、朝日新聞が(東京95/3/23夕刊にゅうすらうんじ、大阪95/3/27夕刊きのう・きょう)紹介、激励した。

JACCの活動は、今までにあまりなかった新しいもだと思う。
ましてや、『地球体験ペダリアン大賞』という、民族や国境を超越した授賞活動などは従来のものと次元が異なるものだと思う。

また、ペダリアン(JACCの登録商標)自体の活動もなかなか大変なものがある。
打算的では豊かな実りは生まれてこない、と痛感する。

台湾での大賞贈呈式をみてもそれが分かる。友好、親善、交流というものは、物や金銭ではなく、時間をかけて育てた誠意の表れなのである。私たちは、有志の情熱ある行動と
貴重な会費を有効に活用し、台湾ではJACCの国際友好活動を認識してもらえた、と自負している。

このように、私と仲間たちは、JACCの活動を発展させるために仕事や学業以外の時間を傾注し、『やる気と希望は人生の宝石だ!』を合言葉に国際交流へ向かって本気で取り組んでいるのだ。

原則的に5年に一度の『地球体験ペダリアン大賞』の授賞。
次はどこの国の、どんなサイクリストが受賞するか分からないが、わが日本アドベンチャー・サイクリストクラブは、これからも地球体験と国際交流へ情熱をもって、そして地道に根気よく、ペダルによる知的行動者への「大賞」授賞を続けていきたいと考えている。


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