「PEACE RUN2012日本縦断ランニングの旅PART2」四国~九州
35度を超える気温が連日続き、大阪で十分休養できたと思っていたら、大阪を発つ日には大雨洪水警報が……。
その日はやむなく出発を見送った。
8月15日、終戦記念日。大阪から神戸へ。
一緒に走ってくれる仲間がいる。
道中で応援にやってきてくれる仲間もいる。
見知らぬ同士だったけれど、PEACE RUNを通じて新たな仲間になる…何と素晴らしいことだろう。
僕が求めている世界平和というのは、案外こんなところから生まれてくるんじゃないか…そんな風にも思わされる。
「みんながつながる みんなとつながる」
これがPEACE RUNのテーマでもある。
神戸から淡路島経由、いったん仲間の車で四国は香川県高松市に向かう。
バギーMUSASHI号のホイール、ハブの玉押しにガタが出てこの先の走行も心配だ。
部品交換が可能かどうか、スポンサーのタイレルに診てもらって部品を注文してもらうことになる。その日は高松のホテル泊。
翌日、再び車で淡路島岩屋へ。
2009年、初めてバギーを使って旅をしたのが淡路島だった。
あの時は海岸線に沿って一周したが、今回は淡路島を北から南へ縦断の旅。
そして、南淡から四国徳島県小松島へ仲間の車で移動。
四国南岸を東から西へと。
四国でも多くの仲間が僕の到着を待ち構えていてくれた。
まるでお祭り騒ぎのようなランナーの集まり……みこしはないけれど、お祭り以上に盛り上がる仲間たち。
夜は仲間を集めて酒宴を催してくれて、一夜の宿を提供してくれた仲間も……。
国道を走っていると、いきなり誰かが現れる。
「高繁さんですね? 一緒に走らせて下さい!」
ということで世間話をしながら走り始める……。
かと思えば、突然目の前に車が止まり「すいか食べましょうか?」と声をかけられ、道端でまな板と包丁を出してスイカを切ってごちそうしてくれたり……。
四国はお遍路のメッカ。
世界文化遺産に登録するためにあちこちの自治体が観光に力を入れているようだ。
お遍路のルートは歩道もしっかりしていて、トンネル内でもガードレールのついた歩道があった。
トンネルの出入り口では反射素材のついたたすきが無料で使えるようになっていて、出口で返却するというシステム。
ルート上では無料の休憩所もあり、麦茶をふるまってくれたり、クーラーボックスが置いてあって「氷をどうぞ」という貼り紙が貼られていたり…。
野宿する場所もわりと簡単に見つけられるのも、四国を旅する者にとってはありがたいこと。
ただ、海沿いの道は複雑な海岸線が続くリアス式海岸でアップダウンも多く、高知を過ぎてからは特に町も少なくなっていって、コンビニの数も減っていく。決して楽な道のりではない。
豊かな自然…四万十川をはじめ川が美しいのが四国。もちろん海も山も……。
室戸岬や足摺岬…灯台から見る太平洋も素晴らしい。
こういった美しい風景の中だからこそ、純粋に自分自身と向き合いながら、人生という旅を続けられる…。
弘法大師の時代から、お遍路さんたちもきっと同じような思いで旅をしていたことだろう。
道中で何人かのお遍路さんとも出会っていろんな話をした。
旅の手段や目的は違うにせよ、同じ二本の脚で移動する彼ら…同じような旅であるがゆえに、同じように辛いことや苦しいことを体験している。
高知市に入った日に、MUSASHI号のホイールを高松に送り、高知を出発する前日に修理が完了。
PEACE RUN事務局の木村さんに届けていただいた。
高知でもランナー仲間の歓迎を受ける。
桂浜までガイドしながら一緒に走った仲間たち……みんな純粋に走ることを愛するランナーだけど、結局人が大好きな人たちばかり……。
四国では雨もよく降った。
暑いのでレインスーツを着用せず、全身ずぶ濡れになりながら走るのもなかなか楽しいものだった。
9月2日、四国の旅は終わり、愛媛県八幡浜からフェリーで九州は大分県別府に渡る。
別府を出てからしばらくは海沿いの気持ちのいい平坦なルートだったが、津久見から延岡に向かう国道388号線で地獄を見ることに……。
典型的な山越えルート、勾配は10パーセント以上はあるかと思われる急斜面。
交通量の多い国道10号線を避けるための選択だったが、あとから10号線を選択すべきだったと反省。
九十九折りの細い道が続き、人も車も通らない静かな道なのはいいが、あまりにも寂しいルート。
大分から宮崎に入って道は広くなり、そこそこ車も通るようになった。
小さな漁村が点在する海岸線。
日向灘の美しい風景に心癒されながらさらに南へ……。
宮崎から霧島までは内陸を通り、いくつか峠越えはあったが、旅もクライマックス。
多少の山越えももう気にならなかった。
過去に自転車で九州を一周した際にも、九州人の温かさ、人の良さを実感したもの。
今回の旅でも多くの地元の方々の優しさにふれ、本当に感謝感激感動の連続だった。
中でも、宮崎の山口さんはいろんな場面でサポート頂いた。
度重なる伴走、コース上のガイド、ご自宅にも泊めてもらってごちそうにもなり、さんざん甘えさせていただいた。
最終日には、鹿児島の加治木から鹿児島駅までのファイナルランにも付き合ってもらえた。
北海道稚内から96日目、3482.3キロの旅の終わりに僕が感じたのは、やはり日本という国は素晴らしい国だということ。
そして、日本に暮らす人々も素敵な人ばかり……。
嫌な思いをするような経験はほとんどなく、素敵な仲間たちとの出会いを含め、素晴らしい思い出ばかりが頭に残っている。
東日本大震災の被災地に暮らす人々と実際に会ってお話を聞く中で、被災したのは日本という国なのだということを実感。
この国の一部が重い病を患っているのだということをあらためて認識した。
震災の記憶を風化させないためにも、特に被災しなかった人々に、僕自身が見聞きしてきたことを伝えていく必要がある。
「復興」という名前だけのものであってはいけないのだ。
それぞれにできることがあるしできないこともあるだろう。
できることでいい。少しずつでも、時間をかけてこの国を元気にしていくこと。
2013年は「PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅」の第二ステージ「PEACE RUN2013 オーストラリア横断+ニュージーランド縦断ランニングの旅」に出る。
長い旅になるだろう。
今まで以上に過酷な旅になるかもしれない。
地平線の果てまでも、一本の道と二本の脚がある限り、僕は走り続ける。
アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のチャレンジは終わらない…。