飛べ! 夢路“冒険輪行”
軟なRINKOは身を崩す────────────池本元光・鈴木邦友
少年の日の夢であったキリマンジャロ自転車登頂を最大の目的に、ビクトリア瀑布、赤道走行、マダカスカル島(写真①)、ツタンカーメンの王家の谷・ギザのピラミッド とナイル川を走り、世界一周で遂げられなかった地を限られた時間で訪ねるアフリカ遠征。
移動のたびに必要なのが輪行。
JACCを創設した私、池本元光は、世界一周(68/8~72/12)では、出発の大阪・天保山の埠頭からタラップを押し上げ沖縄~台湾~香港~オーストラリア~NZ~太平洋をカナダ・バンクーバー、米・シアトル~アラスカと船舶。
パナマ~コロンビアへは解体せず飛行機。チリ・プエルトモント~フエゴ島マゼラ ン海峡へ船舶。
ブラジル~大西洋をポルトガルへ船舶。
レバノン~エジプト、そして、羽田へ飛行機。
自転車の解体は最後の飛行機による帰国路のみであった。
そして昨今、移動は海路から空路へと大きく変わり、輪行袋が威力を発揮する時代となった。
アフリカ遠征においては、短期間とはいえ、限られた時間の急ぎ旅ゆえ頻繁な輪行作業が強いられた。
以下、世界一周、豪エアーズロック遠征(写真②)に次ぐ78年第3回アフリカ遠征、第2著『アフリカよ、キリマンジャロよ』(サイマル出版会刊)のⅢ章アフリカ、ポレポレ急ぎ旅 6節リターン・ツー・アフリカの終章文面で、輪行袋への解体作業に関する思い入れと紀行の抜粋である。
◇ ◇
三月二四日朝、ホテルの天井を見つめる。“今日からは、もうタ ルーゼ号にムチ打たなくてもいいんだ”と思うと、ほんのりする。
夢を追いつづけたアフリカ遠征も、こうして終わってみると、なぜか空しさだけが走馬灯みたいに駆けている。
今日からは、次の目的地もなく、“ジャンボ・ボラ・アフリカ”と、大自然に挨拶することもない。すべて、クワヘリ・アフリカだ。
重い体をふるい起こし、タルーゼⅢ号の解体作業に入る。僕はこの時が一番イヤだ。はかない気持になる。ひとつずつに思いを込めて、ゆっくりと部品を取りはずす。
まずペダル。おまえとはキリマンジャロ頂上をともに踏破してきた。
次にサドル。いろいろな種族の子供たちを乗せ、楽しませてくれた。ありがとう。
そしてハンドル。おまえには、マサイ族の襲撃時にかいた冷や汗の跡が、いまもしみついている。
最後に車輪。あのハーマンおじさんが登頂時に、おまえをハンス・マイヤー・ポイントまで、疲れ果てた僕の代わりに運んでくれたんだ。
すべての思い出とともに、僕はていねいに愛車を輪行袋に納めこんだ。その輪行袋は、来たときよりも思い出の分だけ重くなったような気がする。
食事をとりに食堂へ向かう。食欲はあまりなく、窓越しに、高さ一八〇メートルのカイロタワーをぼんやり見つめると、なぜか急に、自転車を初めて手にした少年の日のことが、昨日のように甦ってくる。
区民体育大会で、二等の賞品でもらったピカピカの赤い自転車が、この僕の物になったのが二〇年まえ(あとにも先にもこれほどの賞品を獲得したことはない)。そして、いまも僕のそばにはいつも自転車がいっしょだ。
これから先も決して離すことはないだろう(タルーゼⅠ、Ⅱ、Ⅲ号は、いまも、関西サイクルスポーツセンターに展覧され、訪れる子供たちに夢を与えるという、しあわせな“余生”を送っている)。
また、同じ少年の日、『少年ケニヤ』という絵物語で動物の楽園ケニアを知り、『キリマンジャロの雪』の映画の出現で、キリマンジャロに完全に魅惑されてしまった。
これらのすべてがあい重なりあい、今回の自転車によるアフリカ遠征へと至ったのだ。
そんなことを考えながら小一時間が過ぎる。
フライト待ちと、いままでお世話になった人びとへの便りと挨拶まわりを兼ねて、明日から三日間、このペンション・アングロスイスに滞在することにした。
自転車を連れていない僕がてくてく街を歩いている。まるで、翼をなくした鳥のような感じだ。自然と足がタハリール広場の噴水の前に向かう。
水面に映し出された僕。その時、何かで読んだことわざを思い出した。「アフリカの水を飲んだ者は必ず、またアフリカへ帰って来る」僕もまた、いつかこの地に足をおろすことがあるかもしれない。なんといってもキリマンジャロの雪解け水をだいぶ飲んだんだ、ご利益があるかもしれない。
わずか六〇日あまりの旅ではあったが、高山病の恐ろしさやマサイ族の襲撃など千変万化、いやというほど体験したけれど、やはり、アフリカはその数倍もの魅力でもって、僕を強く惹きつけている。これがアフリカの魔力かもしれない。
まさしく“アフリカには毒がある”といわれるが、そのとおりだ。
三月二七日、帰国準備に入る。思ったより荷物の多いのに驚く。
そして、厳密にいえば三月二八日(六八日目)午前零時すぎ、早朝フライトのため、空港へ向かうことになり、ペンションのドアを初めてキーを掛けずに出る。
アエロフロート五八三便。シートベルトを締める。これでキリマンジャロに賭けた僕の青春の旅はすべて終わった。
アフリカ大陸の旅の途中では悲喜こもごもの出会いがあったが、土地に生きる人びとの姿や心にそのまま触れたことが収穫だ。最後の地での少女の石つぶては心に 痛かったが。
機体が助走をしはじめた。
いよいよお別れだ。
KWAHERI AFRICA(さらば、アフリカよ)
RETURN TO AFRICA!
◇ ◇
こうした旅を完成させるには、輪行の知識があってこそ完成させられることは申すまでもない。
世界一周を遂げ、自転車環境研究家として活躍する東京の鈴木邦友評議員(池本著『自転車冒険大百科』/大和書房刊のイラストを協力している)の「飛行機輪行考」をひも解き、旅立つ仲間へ役立てたいと思う。
◇ ◇
海外サイクリング。
まず気になるのが自転車の運搬手段、輪行だ。通常の輪行であれば、自身で管理することができるが、飛行機輪行となるとカウンターで輪行袋を預け、航空会社に 全てを託すことになる。何があっても自らはどうすることもできない。しかも旅行用のトランクやカバン等大型の荷物と一緒に扱われる。自転車であっても特別な扱 いは期待できない。例え取り扱い注意(FRAGILE=われもの)のシールを何枚貼ったとしても、他の荷物にも同様に貼ってあれば結局それらと同じ扱いとなってしまう。
荷物を積み重ねられた場合、重くてかさばれば一番下にされる可能性も高い。
空港の建物から飛行機に運ばれる貨物コンテナーを見て、輪行袋がその一番下に横置きにされ、上にいくつもの大型旅行トランクが積み上げられており、悲鳴をあ げたことがある(写真③)。走る前から、自転車は大冒険なのである。
実際、空輸中のトラブルで、致命的なダメージを受け走行を諦めなければならないこともある。
ダメージ例と対策を挙げると、
①エンド幅がくっつく損傷。
※輪行専用エンドシャフトや木材等での工夫。
② リア変速機のエンドブラケット曲り、折損。
※出っ張る変速機を外し、ぼろきれや新聞紙でくるみ縛る。
③ シートポスト差込口の潰れ。
※サドルは抜かずいっぱいに沈めて固定するか木材を栓のように加工する。
④ 輪行袋の破損で小部品の脱落。
※外した部品やネジ類等は元の位置にしっかり固定するか保存。
⑤リムの曲り、車輪の歪。
※外した部品同士しっかり縛り付け、梱包後、輪行袋を数㎝ほど持ち上げ落とし、その際「ガチャ」と音がするようではダメ。部品同士が接している所は緩衝パッ キン(プチプチ)等を挟みバッグベルトやマジックベルトで絞める。隙間に丸めた新聞紙や衣類等を汚れないように詰める工夫も必要。
⑥ チェーンホイールの変形。
※車輪同様横からの力に弱いので、六角レンチ1本で外せるワンキーレリーズ等を使って右クランクごと外してしまうのも手。
⑦車輪のクイックピン曲りや戻し時の折損。
※フレームをサンドイッチした車輪の軸は輪行袋から出っ張る部分なので、サイドバッグ等を当てる工夫が必要。長距離行にはクイック式ハブシャフトは不向きだが、採用時は要注意。
⑧ ドロヨケ潰れやキャリヤ曲り。
と様々。
※それらを防げるメーカー出荷の七分組ダンボール詰めで、空港カウンターへの持ち込みもあるが、帰路や度々の運輸を考えると、結局軽くて荷物にならない丈夫 でコンパクトな薄手の輪行袋となる。
寝袋、着替え等をクッション代わりに輪行袋に詰め込み各出っ張った部分にもずれないように緩衝材を当てることが自転車へのダメージ防止に大きな効果を生む (写真④)。
自ら管理できない飛行機輪行にはどんなトラブルがあるか分からない。走る前から走行不能にならないために。万全の準備が必要だ!
◇ ◇
それにしても、飛行機輪行ではないが、急ぎアフリカ旅でビクトリア瀑布へ走るためにタンザニアの首都ダルエスサラームからザンビアの首都ルサカへ向かった時のこと。
ダルエスからタンザン鉄道の中国製列車“東方紅“で1850km西の終着駅カピリムポシに到着。ところが、ルサカへ走る本線の駅カピリムポシまでの1.5kmの間は、公共輸送機関による連絡便が全くなかった。
降りしきる雨。駅前にタクシーはなく、軍隊のトラック数台が駐車しているのみ。
約2時間待つが、便乗できる車も見つからず、雨は止みそうもない。ポンチョを着込み、こぬか雨のそぼ降るなかを、約35㎏の輪行袋を背負って、赤土のどろどろ道 を何度も何度も背負い直し、半時間歩いたことがある。
考えればこれしきの距離、アフリカでは“すぐそこ”なのだ。
しかし、たった1.5kmの距離だったが、アフリカの旅でこの時ほどやりきれない気分にさせられたことはなかった。
こんな馬鹿げた体験も、すべて今は昔。KWAHERIだ! そうだろう? 鈴木君。
冒険輪行の旅の数々──「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」、と懐かしく思い返す池本と鈴木の夢路考、これにて打ち留めだ!