鎮魂 ─ 我が青春の世界一周を目指すべく ─

世界の道を自分の脚力だけで走破することは、まさに青春のエポックだが、野心的な旅であればあるほど、危険とも表裏一体であることを忘れてはならない。JACCは、ペダリアンの死を無駄にすることなく、常に慎重を期し、安全に行動することを誓い、走行中の仲間の安全を祈ると共に、今は亡きペダリアン達の冥福を祈るものです。

国松輝男
五月女次男
滝口豪人
福永真二
瓢子敏樹
河野兵市

国松輝男(25歳、滋賀県)
1981年6月、エーゲ海を西に眺めるトルコでトラックに。
※月刊サイクルスポーツで「ガッツ国松の世界の国見てある記」と題して53回連載。

五月女次男(25歳、栃木県)
1981年7月、カナダ・トロント北部のカナダ横断道路で、早朝トレーラーに。

滝口豪人(28歳、静岡県)
1992年12月、アメリカ国境に近いメキシコのエンセナダ・バイパスでトレ-ラーの風圧で転倒!? その後大樹の元で身支度中!? 意識不明?運悪く寒波襲来で凍死の報道。1993年8月29日供養碑が建てられた。
2008年1月13日JACC創設者池本元光と梶政雄副代表が訪れた。

福永真二(26歳、和歌山県)
1994年7月、米モンタナ州でロッキー山脈へ走行中、15歳の少女運転の自動車が猛追突、飛ばされた。

瓢子敏樹(34歳、岐阜県)
1998年6月、フランス・パリをあとに、小雨降る郊外の緩い坂道を走行中、視界が悪かったという運転手に追突され、前を走る夫人の自転車まで飛ばされた。

河野兵市(43歳、愛媛県)
2001年5月、北極海で氷上遭難。※世界一周後の冒険行で。愛媛県佐田岬半島にリーチングホーム碑が建立される。2001年7月1日お別れの会開催写真を見る  2006年8月ペダリアンが集う写真を見る 2002年5月カナダ・レゾリュート村に河野兵市記念碑が建てられる

JACCは、こうして6名の尊い命を交通事故等によって志半ばにして失くしてしまった。
これは、地球体験人生最大の悲しい出来事である。

不明や殺害のサイクリスト

― 地球体験は危険と表裏一体(ある記事から)

その①”自転車野郎”不明2年堺の斎藤さん 世界一周のケニアで

【ナイロビ18日=大津特派員】自転車で世界一周を目指し、ケニアの首都ナイロビから南アフリカに向かう予定だった日本の男性が、56年10月以来消息を絶ち、このほど家族から外務省を通じてナイロビの日本大使館に捜索依頼があった。大阪府堺市宮山台2の7の14、斉藤経夫さんの二男、通則さん(33)で、経夫さんあて、56年10月8日ナイロビの消印で「南アフリカへの道を急ぎます」との手紙があった後、全く連絡がない。通則さんは、さる50年2月末から東南アジア、インド、中東、ヨーロッパを自転車旅行、56年にナイロビに来て、ソマリアなどを旅行していた。自転車ファンの月刊雑誌「サイクル・スポーツ」に時折、「世界一周、中間報告」と題する体験記を寄せていた。と昭和58年(1983)8月18日付毎日新聞夕刊で報じられていた。※但し、このサイクリストの名は斎藤ではなく佐藤が正しい。「サイクルスポーツ」1975年1月号掲載の「おれたちゃ 世界に飛び出すぜ!」(4ページ)の新春座談会で、1972年末世界一周から帰国し豪エアーズロックを目指す、JACC創設者の池本元光らと計画や準備を語りあったのが佐藤通則。佐藤通則は昭和50年(1975)2月、24歳で出発!昭和56年(1981)10月、ナイロビ着。31歳。消息不明。昭和58年(1983)8月、家族より捜索依頼が出される。※当時、東アフリカのウガンダで日本人サイクリスト不明情報があった。

佐藤通則さん

その②タイ北部 邦人男性、射殺される  岐阜の勝村さん? 自転車で旅行中

【バンコク14日=沼尻特派員】14日、バンコクの日本大使館にタイ北部のターク県サムンガアン郡のサムンガアン警察署から入った連絡によると、さる4日、日本人の男性らしい死体が見つかった。男は背中に打撲傷を受けたうえ、こめかみを銃弾で撃たれており、殺されたものらしい。また、岐阜県穂積町馬場、カツムラ・クニオ名義のパスポートを持っていたという。この人は岐阜県本巣郡穂積町馬場、建材業勝村利夫さんの次男、国夫さんではないかとみられる。国夫さんはサイクリングが好きで、先月26日から9月3日までの日程でシンガポール、マニラ、チェンマイ、バンコクなど東南アジアへ向けて自転車旅行に出かけており災難に遭ったらしい。国夫さんは穂積中学を卒業後、国立岐阜高専に学び、第一期生として卒業後、自転車で世界旅行へ出かけ、インドのカルカッタから中近東を経てスイスまでの1万3千キロを走破した。 つい1週間ほど前には両親にあてて「元気でバンコクに着いた」の手紙が8月1日の消印で届いたばかり。文面には「8月10日にはマニラに飛ぶ。それまで2週間タイにいる」とたよりがあった。

※新聞社名と期日は不明だが、1980年前後の報道と思われる。

勝村国夫さん

世界の道へ──────────

道は”未知”に通じ”美知”に通ずる。世界の道を自分の脚力だけで走破する自転車野郎最大の夢に挑み、旅の半ばにして不明・殺害によって不帰の客となった2人の日本人サイクリスト。自転車で地球体験とは、まさに冒険野郎にとって青春のエポックだが、野心的な旅であるほど、危険とも表裏一体であることを忘れてはならない。走行中の仲間達と、これから出発する仲間達の安全を祈り、警鐘の意味を込めてJACCは伝えたい。


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