永久名誉会員 重信 幸廣
「偲ぶ」~特筆されるチリ軍艦で南極大陸自転車初上陸~「安らかに」
お願い
「2年4カ月に及ぶ壮絶な癌闘病で旅立った“稀な冒険サイクリスト”重信幸廣同志の青春・人生の一端を、偲んでいただければ幸いです。」
※本文(原文尊重)、文言の重複、文中の西暦・元号表記(数字の全角・半角記載による非統一の項目3パターン表記)等、乞うご容赦。
1982年9月から1990年9月、世界一周70カ国8万5千kmを走破した愛媛県の重信幸廣(68歳、元小・中学校教師、仏教大OB)。
“良心の塊”だった同志重信君を「偲ぶ」
■「悲壮」…梶政雄支部長・共同代表×同志重信…「闘病」交友メール
⦿2024/04/30火曜日 00:35~
昨日、添付のようなメッセージが重信君からありました。私からの返信も添付しておきます。
梶さん
いつも気にかけてくださり、ありがとうございます。
1月、2月、3月と腰の激痛でのたうち回り、立っても、座っても、寝てもその激痛で動けない中、仕事が年度末なのと、生活をしなければならないので必死で仕事に行っていました。
夜も激痛でうめいて眠れず、旅の中でも交通事故、マラリアと苦しんだこともありましたが、人生でこんなに苦しんだことはありませんでした。何とか日曜日に仕事の書類を提出して月曜日に入院。主治医の先生に何故もっと早く入院しなかったかと怒られました。
すぐMRIを撮影した結果、腰椎1番2番の脊椎の5分の4ががんに食われていて、神経の5分の4の神経が切り離され、5分の1神経が皮一枚で繋がっている状態でした。
「よくこの状態で激痛を我慢できたなあ」と先生に言われました。神経が皮一枚で繋がっているのですから激痛なはずです。
すぐ放射線治療を毎日しました。痛くて痛くて正直このまま、あちらに行くのではないかと、毎日思い、生きた心地がしませんでした。
今やっと退院しましたが、麻薬系の薬で痛みを抑えないと生活できない毎日です。
毎朝、何とか起き上がりますが、食欲がなく体重が40kg台になりました。小学校時代以来の体重です。毎日何とか生きています。
重信君
激痛で苦しい中、現状報告ありがとうございます。
重信君と同様、松葉君や私も自転車での旅で何度も苦しい経験をしてきましたが、まさかそれ以上の苦しさとは私には想像できず、また何もしてあげれないので心が痛みます。毎日、重信君のことを思いながら家庭菜園の作業をしています。どうか、心だけは平常心を保ってお過ごしください。
4月21日にメキシコに向かって自転車で走って行った藤本芳一さんはティファナ、そして1992年にトレーラーの風圧で転倒し、意識不明となり凍死したJACCの滝口豪人君の石碑に立ち寄ってエンセナダへと進みました。
そしてエンセナダに住み滝口君の石碑設置に尽力された日系人家族にお礼をするため立ち寄りました。すると、現在メキシコでは大統領選挙を控えて国内中大変危険だと言われ、自転車での旅に大反対されました。そのため3日前の4月25日に我が家に戻り、代案としてアメリカの国立公園巡りを計画し、本日28日の朝、自転車で800km先のグランドキャニオンに向けて出発しました。
梶さん
梶さんの思ってくださる気持ち、ありがたいばかりです。
ガンには罹患しましたが、こんなにも思ってくださる友がいること、本当に幸せだと感じています。
自転車で同じ痛みを共にした友の有り難さに手を合わすばかりです。
梶さん、ありがとうございます。
重信君
重信君、松葉君も含めて、私たちは他の人たちには想像もつかないことを経験し、とても有意義な人生を過ごしてきました。この世に生まれてきたことを感謝するばかりです。
重信君がしてきた旅の中で出会った親切な心優しい人たち、素晴らしかった景色等楽しかったことを思い出しながら日々をお過ごしください。
⦿2024/05/05日曜日 15:45メール
池本元光代表
私の体調は毎日やっと起き上がってくる状態ですが、池本代表や梶さんの励ましにより心を奮い立てています。
今、肝臓に5cm、2cm、他がんが点在して転移しているのと、肺にも点在してがんが転移しています。腰椎の1、2番は5分の4がんに侵され、神経が皮一つでつながっていたことにより激痛で立つこと、座ること、眠ることもできず、のたうち回りました。放射線をあて、なんとか痛みを軽減しましたが、その副作用で腸が細くなり便が出なくなるし、腹痛がずっとつづき、お腹に変な違和感を毎日抱えています。
池本代表、いつもあたたかい言葉をいただき、感謝しております。
重信幸廣

1980年9月~82年1月、欧一周、サハラ砂漠縦断を遂げ、帰国後、青年海外協力隊員になりダルエスサラームJICA駐在の中風呂勲(当時27歳、広島出身)会員を訪ねた重信(写真左)/86年タンザニア日本大使館前で。右上は、重信がJACCに提出した「世界一周自転車の旅計画書」
■2022年7月、「放置すると余命半年」と宣告を受ける。
⦿2022年(令和4年)5月2日消印はがき(掲載はがき上段左)
※以下、代表池本への通信(下記にはがき写真掲載)
その後、如何お過ごしでしょうか。
早いもので池本さんにお会いして、ご縁をいただきまして、43年の年月がたちます(※重信同志は、世界一周にあたって1981年に、当時JACC事務局が置かれていた関西サイクルス ポーツセンター=大阪府河内長野市、20万㎡の施設=に同センター職員で事務局長だった池本元光=JACC創設者で現代表=を訪ね、助言を受けている)。多面にわたり池本さんにはお世話になり、感謝しております。
コロナ、そしてロシア、ウクライナとの戦争にて自由に旅を行なう機会を失っていて、残念な気持ちでいっぱいです。ほんとうに、一番良い時代に旅ができたと思っています。
ペダルを通して人と人とのめぐりあいによって、平和は築かれていくものと確信しております。ペダリアンありがとうございました。
⦿2022年(令和4年)8月9日消印はがき
ペダリアンを送付いただき、ありがとうございます。
私事ですみませんが、体調が悪く、病院へ受診するとがんがそうとう進行していて、今後、どのようになるか、自身でも不安をかかえている日々です。手術もすでにむずかしい状況で、抗がん剤にて緩和ケアを行っています。
池本さんには、多面に渡りお世話になったことを感謝しております。
⦿2022年(令和4年)10月4日消印はがき(掲載はがき下段右)
色々とお気遣いいただき、ありがとうございます。
また、梶(政雄=米サンディエゴ支部長・共同代表、元副代表)さんにも連絡していただいたこと、感謝しております。
どの病院で受診しても、医者からは放置していたらあと余命6カ月と言われ、ショックを通りこして頭は真白でしたが、とにかく今できることを精いっぱい行っていこうと心に誓い、日々、一日一日を大切にしています。
抗がん剤の副作用は強烈で、吐き気、頭髪はぬけ、手足はしびれ、色素沈着をおこしていますが、心は元気です。
⦿2022年(令和4年)11月7日消印はがき(掲載はがき下段左)
お気遣いいただき、ありがとうございます。その気持ちがとてもうれしく、ありがたいばかりです。
梶さん、松葉(京三=元副代表・関東地区支部長)さんとの再会(※世界一周で親交を深めた2人は入院先へ重信同志を見舞った)、うれしい限りでした。こうしたご縁をつくっていただいた池本さんには、感謝しております。
副作用(抗がん剤)はとてつもなく、強く、吐き気、手足の痺れ、手足の皮はボロボロになり、髪の毛は抜け、体が自分のものでない感覚です。
水道水や冷たい水をさわると手にビリビリと電気が走ります。
しかし、今生きていることに最善を尽くして生きていきます。
⦿2023年(令和5年)7月24日消印はがき
暑中お見舞い申し上げます
いつもお心遣いいただき、ありがとうございます。
がんの治療は、今まで罹患した病気(マラリア、肺炎、アメーバー赤痢etc)と比べ、一筋縄ではいかない病気であることを実際体感して思いました。
治らないことを医者からも何度も言われましたが、全力を尽くし、希望をもって日々を大切に生活しております。しかしながら、この度、四国がんセンターへ入院することになりました。
7月31日からです。がんが大きくなってきており、もっと悪い状況になる前に入院することになりました。
池本さん、お手数をおかけいたしますが、JACC副代表の宇都宮秀俊さんの住所を教えていただければ幸いです。

インド小村の寺院でお世話になった僧侶たちと菩提樹の下で写真を撮る(日の丸を前に僧侶の肩に手を寄り添える重信)/1988年

1984年12月、チリ軍艦(プエルトモントから)で南極大陸自転車初踏破した重信を、写真週刊誌「フォーカス」が1986年12月19日号に掲載。その掲載写真(写真下左)を、2005年(平成17年)7月1日発行ペダリアン92号7面「世界一周、ある旅立ちの譜」で紹介した紙面(掲載記事)。

米カリフォルニア・サンディエゴ在住の梶政雄支部長・共同代表(70)と千葉県在住の松葉京三元JACC副代表(64)は、東温市(生れ育った松山市の右隣にある当市=旧重信町=へ移転し、夫人と「チャイルドアカデミー重信教室」を展開していた)で闘病中の親友重信を2022年10月16-17日見舞い、励ました。3人は喜びと辛さを乗り越え温泉施設に宿泊し、語りあった。3人は1980年代にそれぞれ世界を走破し、その旅の途上で出会った気の置けない友。
※2023年(令和5年)1月1日発行ペダリアン162号7面「闘病“親友重信”見舞う!!」で詳細を掲載(掲載記事)
■2023年(令和5)年7月1日発行ペダリアン164号3・7面掲載
「紙面批評」163号を読んで──────宇都宮秀俊(の記事より)
(前略)最後になりますが、2面の短信1佐賀の浅川功樹さんの記事にありました重信幸廣さん(愛媛県)の病状が気掛かりです。まだお会いしたことはありませんが、紙面で素晴らしい実績を何度も読み共感していただけに(※82/9~90/9世界一周70カ国8万5千kmを走破。83/4メキシコ・ポポカテペック=5452m=登頂、85/7南米ブエノスアイレスから南ア入りし、アフリカ縦断北上中のマラウイでの86年、2度目のマラリアとマルタ熱に襲われ42度の高熱と下痢で生死を彷徨う。
再発の不安を抱きタンザニアの首都ダルエスサラームを北上。
そして、病を越え、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの頂点ウフルピーク=5895m=に愛車を担ぎ上げ、男泣きした! 下山した翌日、第2山小屋ホロンボハットから再度、山頂で最も美しい階段氷河が望めるギルマンズポイント=5695m=へ愛車と登頂を果たし、感激の日の丸を掲げた!=※連続2度の自転車登頂は特筆に値する!=86年12/19号写真週刊誌「フォーカス」に、84/12チリ軍艦で南極大陸自転車初踏破、マサイ族母子との写真が掲載され、同誌は「生きた世界地理」の先生になる旅と、元 (7面に続く)
(3面から続く) 小学校教師の重信を称賛。8年ぶり、34歳で生還の重信を、自転車での触れ合い世界一周として共同通信が配信。90年11/27付山陽新聞、12/14付北日本新聞等が、目立たぬように、ハシャガヌように、地球を駆け抜けた真のアドベンチャー重信を紹介した)、早く癌闘病を克服され、元気な日々を取り戻されることを願ってやみません。
と寄せた福岡県の宇都宮秀俊(JACC副代表)
■“これほど律儀な人間がいるのだろうか”
……と思う重信同志への追慕を手向けに、同志からJACC代表池本元光へ寄せられた切実なる通信の一部をお伝えさせて頂きます。

⦿2016年(平成28年)5月8日消印はがき(掲載はがき上段右)
「日本アドベンチャー・サイクリストクラブの益々の発展、とても嬉しい限りです。たくさんの老若男女を問わず自転車をとおして自分や人々を成長させている姿はすばらしいと感じ、それをアドベンチャー・サイクリストクラブの団体、人々が行っているのは、すばらしいです。
私は姉、父を亡くし、今、母のことで手術そして介護と、アドベンチャー・サイクリストクラブへの会費の支払いができない旨、お許しください。
遠い四国の地より、池本さん他、日本アドベンチャー・サイクリストクラブを心より応援いたしております。
※重信同志は、世界一周後9年目の1999年5月、両親と家族の5人で訪米し、両親らをアメリカ観光に案内。当時、ロサンゼルスに居住していた無二の親友・梶政雄・ホリーさん夫妻のはからいで2度にわたり滞在。重信の親孝行を、梶夫妻が大きく助けている。また、アメリカンスクールの先生であったホリーさんの赴任地トルコ在住時、ロサンゼルス、サンディエゴ在住時と、多くのJACCメンバーがお世話になった。近年のサンディエゴにおいても、遠征の池本元光、松葉京三、近藤貴行、藤本芳一らが大変お世話になった。感謝にたえない!
⦿2018年(平成30年)元旦受信はがき
いつもあたたかく見守っていただき、ありがとうございます。
母の介護で日々一生懸命送っております。
■最後の会話となった2024年10月28日昼過ぎ。
⦿“池本、最後の会話”。
待っていたかのように、ワンコールでスマホに出てくれた重信同志。こんなことは初めてだった。「身体が揺れるだけでもヒリヒリと体中が痛い。」と言っていた。
聞くのも辛く、「辛いだろうが、どうか、頑張ってくれ」「ありがとうございました」「頑張ってくれ」の涙をこらえての励ましの通話が精一杯で、重信同志との最後の会話となった。
息絶え絶えに、良く言葉を発してくれたと思う。と振り返る池本。
■2024/11/09土19:05 「佐賀県民の浅川です。」からJACC池本への急報
今、愛媛県新居浜市に来ています。
明日、重信さんのお見舞いに行くつもりでしたが、先程電話したところ様態が急変して今日か明日かの状態だそうです。
明日のお見舞いには行かずにそのまま帰りますが、奥さんには重信さんに「浅川はすぐそばまで来てます」と、お伝え下さいとお願いしました。
こんな状態ですが、まだ一筋の希望だけは持っていたいと思います。
電話してお伝えしようと思いましたが、自分も今は冷静ではないのでメールにしました。 浅川功樹
※浅川会員は、1991年3月から92年2月の世界一周前に重信を訪ね旅へのアドバイスを受けている。
「 わざわざ ここまで 訪ねてくれて 今日はほんとうに どうも あ・り・が・と・う 」
この言葉は、歌手でJACC日本国際自転車交流協会理事だった故・河島英五さんを見舞った友人への感謝を込めて歌われたフレーズです。きっと、重信同志も同じ気持ちであったに違いありません。
■On Sat,Nov 9,2024 at 10:03 池本元光メール
梶さん
重信君の容態急変が下記メールのとおり、見舞いに愛媛に駆けつけた佐賀県の浅川君から届きましたので急報します。 池本
■2024/11/10 日07:48
Re:急報!Fw:佐賀県民の浅川です。
池本さん、
御連絡、大変ありがとうございます。
現在Puerto Monttに滞在中で、たった今1日ツアーから宿に戻り、池本さんからのメールを開いて驚いているところです。
イースター島から10月28日に送ったメッセージと写真は既読のマークがついたので、その後すぐにワッツアップ電話を2回掛けたのですが、出てくれませんでした。
そして10月31日に送ったメッセージと写真は未読のままでしたのでずっと気になっていました。
これから、松葉君に連絡し、そして奥さんの景美さんにもスカイプ電話をしてみます。
梶 政雄
■On Sat,Nov 9,2024 at 21:56 池本元光メール
梶さん
今朝8時38分、重信君旅立った電話を浅川君から受けました。
重信君、良く頑張ったと思います。
冥福を祈るのみです!
先に連絡しました先月28日の通話が、重信君との最後の会話となりました。
息絶え絶えに、良く言葉を発してくれたと思います。
浅川君は、重信君自宅の10km手前で滞在し、奥さんからの電話を受け、小生に
知らせてくれました。
重信君の息子さんも8日頃から寄り添い、看取られたことと思います。
浅川君は、取り込み中を察し、失礼し、佐賀へ戻るとのこと。
取り急ぎ、ご報告致します。
合掌。
プエルトモント、懐かしい町です。
梶さんも安全に旅を続けて、同志をお祈り下さい。
では。
池本
■2024/11/10 日曜日10:22
Re:訃報!Re:Re:急報!Fw:佐賀県民の浅川です。
池本さん、
とても悲しい報告ですが、ありがとうございました。そのことを知った松葉君からも、少し前にメッセンジャー電話が入りました。
彼のことを思い冥福を祈りながら、旅を続けて行きます。
梶 政雄
※浅川会員、重信同志の連絡、本当にありがとう。感謝しております。
■最後にあたって「同志重信が遺した“こころ”」
「ペダリアン」第92号7面「世界一周、ある旅立ちの譜」より抜粋
「 旅
仏さまは どこにでも いなさるという
体験をさせてくださる 旅の ありがたさよ
海から海に立つ虹
わたしが この世を去ったのちも こんな美しい大きい虹が
海から海に いくたびか立つであろう
そしてそれを見た幾人かが 人の世を美しくするため
自分を捧げようと 思いたつだろう
虹の呼びかけに応える人が 出てくるだろう
わたしは 自然が示す 真意の深さに打たれ
更に覚悟を新たにした
作・坂村真民
※旅立ちにあたり好きな詩として計画書に自筆されたもの。
人が生かされているということは、とてつもないことだと最近、思うようになってきました。
人は生まれてきたからには、何か使命を持って生まれてきたに違いないと思います。その使命は何なのか。またその使命を果たすためには、どうすればよいのか、常に心に問うことが大切なのではないでしょうか。
人がほんとうに生きられる時を考えてみますと、80年生きるとして、人間として心がしっかりしてくるのが20歳だが、遅い人は30歳として30年引いて50年、そのうち半分寝ているから25年、食事や娯楽・その他生活の時間を15年引いて10年、本当に人が物事に取り組んでいる時間というのは、たった10年しかないのです。この短い10年を、何を命ぜられ、それを探し、それを試すのが、生を受けた役割のように思います。それを忘れ、うやむやにしているのは天の恩を忘れて、むなしい時間を過ごしていることと同じように思います。
天の神様・仏様は、人間は人間らしく、自分のやりたいことをやっていきなさいと言ってこの世におつかわしになったのに、その役割を果たさないで死んでいったのでは申し訳がたたないように思います。神様・仏様が差し出したなら、命を果たして、やがて、神様・仏様の国へ帰りたい。それは人間としての仁義だと思います。
私にとって、人間としての使命は、自己の限界に挑みながら旅を通して、世界の自然、土地の人々、風俗・文化に肌をもって接していくのには、自転車の旅が一番よいと思います。私が肌を通して、また、目で見て体験したことを私たちの未来を担う次の世代の子供たちに話すことによって、少しでも役に立ち、生きた教育ができればと願っております。
それが自分に与えられた使命のように思われてなりません。
重信幸廣(昭和57年4月記)
※京都仏教大OBの重信は、卒業後、小学校・中学校・小学校と教鞭をとり、26歳の82年(昭和57年)8月~84年(昭和59年)7月にかけて33カ国歴訪の計画予定が90年9月帰国となった。予定の倍以上の6大陸70カ国(北中南米、南ア~ケニア、欧、サハラ縦断、西アフリカ、中東、インド亜、豪横断、NZ)という大走破を遂げ、チリの軍艦で南極大陸に愛車と上陸。海軍基地(84/12)に日本人初の轍を残した重信(48)。“6年間世界一周 – 自転車で旅を続ける「先生」”との見出しで、愛媛の重信(当時30)が写真週刊誌「フォーカス」86/12/19号に掲載された。帰国後は、家庭を持ち故郷松山で、果てしない地球体験を振り返りつつ、ジェントルな生活を送っているJACCの素晴らしきペダリアンだ!」
と、紹介している稀に見る素晴らしい仲間だった。
君に出会えて、ほんとうに良かったよ……ありがとう。
■2024年11月10日、がん闘病に、耐えて、耐えた重信幸廣同志は、景美夫人と子息光李 (ひかり)さんに看取られ、お釈迦様の待つ天竺へと旅立った。享年68。……「安らかに」。
合掌
⦿ふりかえり…伴侶とは申せ、景美夫人の私どもJACC同志・重信幸廣君への献身的な手厚い看護あればこその旅立ちでした。ご苦労様でした。
JACC創設者、初代代表兼事務局長・第3代現代表/池本元光(文責)
◆フィルター協力:梶政雄共同代表(評/内容を確認しました。重信君のことを思い出しながら読むと、悲しくてたまらなくなってきました。そのため冷静に内容を判断できたかどうかわかりませんが。※旅先のインドから)・宇都宮秀俊副代表(評/再度原稿を読みながら、「重信さんが病床で最後に考えたことは何だったのだろうか?」という思いが頭をよぎりました。「世界を駆けまわった青春の日々が走馬灯のように思い出されたのではないだろうか。」とふと思った次第です)・出口隆二事務局長・
鈴木邦友評議員(評/重信さんの追悼記事、読ませていただきました。癌と闘う重信さんの強い心や、若いころの素晴らしい活躍が伝わってきて、あらためて心を打たれました。合掌)

コスモス群を背に写真におさまった重信と夫人の景美さん/2022年10月17日
掲載号(年) シーズン 掲載面 | 紙面内容 |
---|---|
164(2023)夏ー3・7 | 「紙面批評」163号を読んで(宇都宮秀俊、JACC副代表) |
162(2023)冬-7 | 闘病”親友重信”見舞う!! 絆────────梶政雄(米サンディエゴ支部長) 重信は月1回病院での治療を受け「見た目は以前と変わらないのですが、身体は抗がん剤の副作用でぼろぼろです。しかし、心は自転車で旅していた時と同じです」と頑張っている。梶と松葉と3人一緒に温泉宿に泊まり、食事をしながら楽しく団欒ができた。 ※3人の写真とその後、梶、大阪でJACC歓迎会での写真掲載。 |
94(2006)冬-8 | 「Members Today」 日本人初南極 大陸チリ基地上陸の重信から 「(中略)帰国後、青春の思い出は思い出として故郷でジェントルに生活を送る仲間達は多い。JACCは、彼らの地球体験があって今日があることを忘れてはならない。日ごろ会えない遠く離れた仲間のためにも”ペダリアン”の必要性を痛感する。 重信は「ペダリアン拝読いたしました。改めてJACCのおかげで、初心の志を振り返ることができました」と寄せた。 |
92(2005)夏-7 | 「世界一周、ある旅立ちの譜」 ※重要内容あり 計画書・南極チリ基地・ ダルエスサラーム日本大使館前等写真掲載4点 |
37(1991)秋-8 | 「Members Today」 重信(35)、静岡県沼津市加藤学園で教鞭。小学2年を担当。 |
35(1991)春-6 | 共同通信で日本を駆ける JACC舟津(34)、梶(38)、重信(34)、河野(32)の地球体験── |
34(1991)冬-4 | 重信、70カ国8万5千キロ走破し8年ぶり帰国! サンツアーをお礼訪問し、前田社長、支援窓口島名氏へ挨拶(写真掲載) |
28(1989)夏-3 | 「東西南北」愛媛の重信(32)は北南米・南極・アフリカ・欧中東亜・豪横断、NZ南島 でキーウイピッキングのバイト後の6月末、メルボルンからシドニーへ。と紹介。帰国間近い重信、7大陸目の豪ナラボーにて(写真掲載) |
25(1988)秋-3 | 「東西南北」愛媛の重信(31)は82年8月旅立ち、北南米・アフリカ・欧・中東・インドからタイへ。9月末シンガポール着予定。日本は近い!と紹介。日の丸の後方が重信-インド-(写真掲載) |
22(1988)冬-3 | 「東西南北」重信(30)は北南米、南ア~ケニア、欧、サハラ縦断、西アフリカ、中東。 1987年12月、1年ぶりにアテネへ。と紹介。※本号では、重信を含め31名が地球体験中だった。タンザニア・ダルエスサラーム日本大使館前でJOCV中風呂勲会員と合流。(写真掲載) |
19(1987)春-4 | 南極踏破の重信、「FOCUS」にナイスフォーカス! 30歳の重信、写真週刊誌「フォーカス」1987年12月19日号に、チリ軍艦で南極大陸入り、アフリカ、マサイ族親子との写真等3点が見開きでカラー掲載される。(写真掲載) |
16(1986)夏-2 | 病を越え、アフリカの頂点に立つ!キリマンジャロ自転車登頂2度果たす!(写真掲載) 同郷で級友の飯野卓司とスペイン・マドリードで4年ぶりの再会果たす! |
15(1986)春16頁建て-7 | 頑張れ!重信 1985年7月、ブエノスアイレスから人種問題に揺れる南ア・ケープタウン入り。アフリカ大陸縦断中、マラリアとマルタ熱が併発。独り戦う! 2日おきに高熱が襲う。床に伏しながらも、走り抜くのだと気力で生きる重信。神よ!重信を守りたまえ。 |
9(1984)秋-5 | POEM 「一人静かに」一人静かに 星をながめ 砂漠の中で 宇宙と一つとなる 「生きる」生きていることが ひしひしと 感じられる一夜 「悠大」星の中を旅し星の中で寝 宇宙の悠大さが 自然の悠大さが 体の中に しみこんでいく ※世界一周中の南米チリ北部のアタカマ砂漠で一夜を明かす -1984年2月1日- |
9(1984)秋-3 | 「東西南北」ユカタン半島、マヤ遺跡を訪ね中米戦禍を避け、南米マゼラン海峡の町プンタアレナス着。寒風のパンパ大平原をブエノスアイレス目指し走行!(28歳) |
8(1984)夏-2 | 南米チリのフランシスコ警視を訪ねる。南風吹くペルーの海岸砂漠(写真掲載) |
4(1983)夏-3 | 「東西南北」前年1981/8、2年計画で世界一周へ。バンクーバー~フロリダへ北米横断。メキシコ高峰ポポカテペック5452mにアイゼンとザイルで必死に登頂。 |