『マンゴーと丸坊主 アフリカ自転車5000km!』書評

池本 元光

「冒険が夢!」、「夢が冒険!」ではない女の子のデッカイ、アドベンチャー。
いや、正直言って凄い女子大生の出現だと思った――。

こんな山崎美緒さんの旅日記『マンゴーと丸坊主 アフリカ自転車5000km!』は、“せっかく生きてるんやから楽しまな! 生きてるって最高”と、たくさんの熱い、おもしろい出会いを完結で飾っている。
 
「世界を旅した方や自転車の好きな方など、すてきな人がたくさんおられると伺い、私も会員になって是非いろんな方と出会いたいと思いました。まだまだわからないことだらけですが、気持ちは熱いです!! 元気満点」

これは、彼女がアフリカ出発前に入会した日本アドベンチャー・サイクリストクラブへの入会理由と自己寸評。

身長164センチ、お酒にも暑さにも強く、お腹も強い。

背筋をシャンとマニッシュぽく歩く、かわいい女子大生。大阪外国語大学で外国語学部アフリカ地域文化学科スワヒリ語を専攻。剣道初段でフラメンコを踊り、熱唱すること、日記を書くこと、そして、英語も特技とある。

国内自転車旅行歴として、大阪~仙台1000キロ、日本一周6000キロを走破。そして、予定として2004年8
月、ケニアからケープタウンを走行予定、ともあった。

生まれも育ちも大阪府池田市という山崎さん。私が知るところの池田市といえば、2001年6月に大阪教育大附属池田小学校に男が乱入、8児童を刺殺という悲しい事件の起こった街というくらいの印象しかなかった。

この事件以来、街は沈みがちなため、自分が行動することで「故郷を元気にしたい!」と思ったか否かは別にして、やるんだぁ!という“やる気”をもって大学4年を休学。足となる愛車のマウンテンバイクは、大学3年の夏、仙台までの初走りに祖父からプレゼントされたもので、彼女にとってこの自転車は百点満点! とあって「満点号」と名付けられた。

私など、ベトナム戦争泥沼化の1968年にやっとこさ、少年時代の夢だった世界旅へペダルを踏み込んだものだから、やる気は同じでも、精神は脂ぎり「満点号」というようなユニークな名付け親にはなれなかった。ただただ勇猛果敢に“やったるぜ精神”から「タルーゼ号」と名付けたものである。この辺りも時代の変遷を大きく感じてならない。

「何か発信したい」という彼女のホームページ「満点バイク」には、じっとして迷っているよりも、動くことを選んだ。
等身大の自分でいろいろな人に出会って、いろいろな物を見て、この世界を感じたい。そして、旅は普通じゃ面白くないので、人がやらないことをやる。地元の人と近い目線で付き合えるのは“自転車”しかない、と思っていた……とある。

“高校への通学でわりと長い距離を走り、山の上にある大学へも自転車通学。雨風にめげず、猛暑も極寒の日も往復24キロを走り、ちょっと頭の痛い子かもしれないワ”ともあり、腹をかかえさせる。それも、ごくごく普通のキャンパス
スタイルで、どこへでも走って行くのだからたのもしい。

また国際援助や国際協力に興味があり、そのため大学では途上国の言語スワヒリ語を専攻し、旅行地は語学を活かせるアフリカと決めていた、という。

世界は広くておもしろい。世間知らずで終わりたくない。勉強してきたアフリカへ「いま行かなくては」「じゃあ自転車で行ってみよう」と思いつき、行動を開始!している。

地球体験というのは常に危険と表裏一体。ましてやうら若き乙女。レイプの危険性もある。私達は過去に5名の尊い命を運悪く失い、「冒険とは生きて帰ること」を合言葉にエールを送っている。そのため山崎さんは、まず逆ルートをバス等で下調べ。イガグリ頭、だぼだぼの長袖、長ズボン、山賊ヒゲまで準備。 最愛の家族の心配に少しでも応えるべく、限りなく男装に近い風貌でペダルを踏み込んだ、のである。

ゴールのケープタウン・喜望峰に到達して「最高!」と雄叫びをあげた――。その表情の輝きが、道中の「身の不安」から解放されたことを如実に物語っていた。

たくさんの絵が描き込まれ彼女の日記帳から、瞬時に物を見る豊かな「目」を持っていることがわかる。旅のスケッチを満載した本書で、彼女の目に映ったアフリカをぜひ垣間見てほしい。

突如、すごい世界に飛び出してきたような、勇敢なる女性戦士アマゾネスとでも言おうか、山崎さんは、ただ行動

力を遺憾なく発揮しただけではなく、「生きる楽しさ」への元気と勇気をバラマクために現れたような気がする――。

池本 元光


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