鬼才イラストレーター
没後20年「“真鍋 博”大規模回顧展」始まる!
於:愛媛県美術館(松山市)
※真鍋博氏はバイコロジー運動の推進者で、21世紀を予想した
未来都市を描くイラストレーター第一人者として活躍され、JACC国際交流協会理事として自転車地球体験活動を発足当時から支えて下さった。


■2020年11月3日イベント
「真鍋家トークショー」(東京在住の夫人の真鍋麗子氏、真鍋真氏、真鍋由氏)が県立図書館5F多目的ホールで行われます。

■「真鍋博の世界」公式図録兼書籍(発行パイインターナショナル社)はB5版256頁価3600円+税の素晴らしい書籍で、自転車関連での懐かしいところでは、20キロ文明への憧れ「自転車讃歌」(ぺりかん社73年刊)の表紙等や、東京・晴海での'75サイクルショー(主催㈶自転車産業振興協会)のポスターなどが…満載されている。

■恐竜学博士として活躍される長男・真鍋真氏(国立科学博物館標本資料センター・コレクションディレクター/分子生物多様性研究資料センター長)の新著「恐竜学」(発行学研プラス社20/7刊)。恐竜への関心が急上昇する昨今、メディアで大活躍されている。
自動運転時代の道路交通 Ⅳ ― 自動運転化・AI化・IoT化・電気化 ―
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年11月4日)
自動運転の時代が訪れると、道交法違反や無理な運転をする自動車がなくなる。そのため交通事故が激減する。また、効率的な道路交通となるため、交通渋滞や排気ガスによる環境汚染、無駄なエネルギーの使用もなくなる。さらに、無駄に走る自動車がなくなり路上には最小限の自動車しか存在しなくなるため、道路の拡張や拡幅も不要になる。その他、自動車を所有することすら不要になるため、駐車場等自動車が専有するスペースまでも減少させることができる。
そうなると、それに費やされる国家予算や自治体経費、企業や個人の出費も大幅に軽減されることになる。しかもそこで使われなくなった経費や予算を他の事業に振り分けることができるようになる。今まで予算が不十分だった事業にそれらを回すことができるようになれば、国民の生活が豊かになるとともに企業の成長のための礎ともなる。
つまり、国全体が豊かになるということになる。
もちろん自動車と同じ「道路」を通行する歩行者や自転車にも、多くの変化がみられるようになる。
では、実際どのような変化が自転車にあらわれるのか見てゆくことにしよう。
自転車に与える影響として、自動運転化やAI・IoT化がもたらす最大のメリットとしては、対自動車との交通事故の激減が上げられよう。もちろんそこにはさらなる技術の進歩と道路環境の整備が必要となるが、人が運転するよりはるかに高レベルで安全な自動運転車が増加すれば自転車対自動車、歩行者対自動車の交通事故は反比例的に減少してゆくことになる。
交通事故を分析してみると、その原因の多くが人のミスにあることがわかる。事故の原因には必ずと言っていいほど「道路交通法第○○条の違反による」という言葉がついてくる。そのことからもわかるように、運転者が交通ルールを守っていなかったということが事故の原因ということになる。
その最もわかりやすい例が踏切事故。「踏切が鳴ったら渡らない」を守っていれば事故は絶対に起こらないはず。また踏切が開いている状態でも、道交法どおり踏切前での一時停止と安全確認を励行していれば、踏切が故障していたとしても、たとえ警音器や遮断機がなくても、事故は起こらないはずだ。
見通しの悪い交差点での車両と車両、車両と人・自転車との出会いがしらの事故も、道路標識に従い必ず一時停止し安全を確認していれば起こらない。交通法規を守っていれば、事故の多くが防げたはずだ。
しかし踏切事故も交差点での出会いがしらの事故も絶つことはない。ようするに車両の運転者が交通法規を守っていなかったからということになる。
ではなぜ人は違反をしてしまうのか。それにもきっと原因があるはず。ということで、その原因について探ってみると・・・・・。そこには意外なものが見えてきた。その原因とは、人の心理状態によるもの。はっきり言えば、人の「心の弱」さだ。
筆者は通勤に自転車を使っている。その途中踏切がいくつか存在する。ちょうど通勤ラッシュと重なるため、列車が数珠つながりとなり「開かずの踏切」状態となってしまう。やっと開いたと思うと数秒でまた閉じてしまう。自動車も踏切を渡るのに長い列だ。
ここで違反の原因となる人の心(の弱さ)が見つけられた。警報機が鳴り出す。列の先頭の1~2台は当り前のように通過してゆく。さらに3台目、4台目と通過。最大で5台の車両が通過してゆくのを見たこともある。5台目が渡ろうとした時には遮断機も降り始めていた。もっと驚かされたのが、警報機が鳴り先頭の車両が法規どおり止まると、それを追い越し踏切を通過してゆく車両の姿もしばしばあった。もうこうなると違反というよりは犯罪だ。自転車の雑誌で書きづらいが、自転車は遮断機が閉まりかけていたって平然と通過してゆく。歩行者にいたっては遮断機が下りきっていても潜り抜けてゆく。
いつも渡る踏切。こうなることはわかっているはずなのに、毎日毎日イライラ状態を募らせ違反を繰り返しているのだ。“止まらなければならないのに止まれない”まさに人の心の弱さだ。
一時停止の標識のある交差点でもそんな風景に出くわす。減速はするがしっかり停止する車両は少ない。ましてや見通しの効かない交差点で停止線の前で止まってもう一度左右の安全が確認できるところで止まる二段階停止をおこなっている車両となるとまず見られない。中にはただ減速するだけで確認もなしに通過してゆく車両もある。何のための一時停止なのかわかっていないはずはない。完全に止まって確認したとしてもたいして時間はかからないはず。ようするに一時停止違反であることを知っていて違反をしていることになる。減速も停止もアクセルペダルとブレーキペダルを踏みかえる簡単な操作できる。それなのに止まれないということは、まさに自分の欲求を抑えることができないという心の弱さということになる。
その他にも、信号機が青から黄色にかわろうとしているのに、気付くとアクセルペダルを踏み込んでしまう。制限速度を守れない。自転車や歩行者を見て「邪魔だ」と思ってしまう・・・・・。これらもほとんどが心の弱さからくるもの。そして多くのドライバーが身に覚えのあることではないだろうか。
そのくせ他人の違反には敏感に反応してしまい、イライラし、幅寄せをしたり、クラクションを鳴らしたり、前車にぴったりくっついたりと悪質なあおり行為にいたってしまう。これも心の弱さからくるものだ。
もちろん「うっかり」というように、特に意識せずに起こしてしまう違反もある。漫然運転といわれ、ボーっとしていて事故にいたることもある。気が付いたら一方通行を逆走していたり、一時停止の標識に気づかなかったり、最近よく耳にする高速道路の逆走等。やる気でやっているわけではないが、これらもまた運転に集中できないという心の弱さからくるものではないだろうか。
こうなると、自動車という機械が原因で起こる事故や、環境が起因した事故というものはかなり少ないということになる。逆に機械は正しく動こうとしているのに、それを悪い方向に動かしてしまっているのが人ということになる。
機械には心がないと言われている。良い心もなければ悪い心もない。優しい心もなければ憎しみの心もない。人から命じられたことをただただ忠実に実行しているだけだ。人の使い方によっては平和のための道具にもなれば戦争のための武器にもなる。
ということは、人が持つ優しい心から生まれる行動をプログラミングすれば、心はなくても優しい運転をする自動運転車になるということになる。「他の物体には絶対に接触しない」「人を驚かせたり不快にしたりするような行動をしない」「ルールは絶対に無視しない・そして守る」「異常を感じたら行動を継続しない」「無理な運行をしない」等の正しいプログラミングをすることで、その自動運転車は優しい運転をする道具になる。漫然運転もなければうっかり運転もない。自分勝手な運転もしなければせっかちな運転をすることもない。もちろん機械なので、それによってストレスを感じることもなければ、イライラすることもない。心をもたない自動運転車は、ただただ忠実に交通ルールを守り通すことができる。優しくも強い心を持った優秀なドライバー同様の運転が可能ということになる。
結果、違反が原因の交通事故は激減することになる。
そしてもう一つがIoT化による道路交通環境の変化。IoTは自動運転とセットで考えなければならない技術。自動運転車をはじめ多くのものをインターネットで繋げてしまおうというネットワーク技術だ。
道路を使用するもの全てがネットワークで繋がり、お互いの情報をやり取りすることで、ほとんどの交通事故が防げることになる。信号無視、一時停止無視で暴走する自転車の運転者も、自動車が交差点に近づいていることがわかれば、あえて交差点に突っ込んでは行かないはず。また自分の進行方向の信号が青であったとしても、自転車が信号無視・一時停止無視で交差点へ侵入してくることが予測できれば、車両を減速させまた停止させ事故を回避することも可能になる。ようするに、今まで予測できなかったものがIoTにより情報として得られるようになれば、人の目や耳、勘というあいまいな情報に頼っていた運転を、数値化した確実な情報による運転にかえることができるようになる。
自転車や歩行者の場合であれば、「道路を通行するときもしくは外出するときには必ずスマホのような端末機を携行すること」で、IoT化することは可能、また端末を携帯しなくても道路に埋め込まれたセンサーが自転車や歩行者の行動を読み取れるようになれば、全ての道路使用者がIoTによる交通システムに組み込まれることになる。全ての道路利用者が、周辺に存在する道路利用者と結ばれることになれば、交通事故は激減することになる。
さらに自動運転のAI技術とIoTが高度に進歩・連携することにより、信号機や踏切、道路標識や道路標示等までもが不要になることも考えられる。また各システムが「安全」と判断すれば、一般道路であっても各車両が出せる最高の速度で走ることができるようになろう。つまり全道路における制限速度の廃止だ。
さらに移動時間の短縮は、保有車両の削減に繋がることにもなる。
自動車が自動運転になり、IoTで結ばれるようになれば、その相性の良さから自動車の電気化も自然に進む。そうなると自動車が環境に及ぼす影響も少なくなる。
自動車がエンジンで動く限り道路上で燃料は消費される。その結果有害な排ガス、再利用できない熱、騒音も道路上に撒かれることになる。その道路は生活環境の中に存在し、必然的にその有害なものの影響を私たちは受けることになる。
ところが電気自動車は排ガスを出さない。放出される熱も摩擦熱程度。音も回転音と摩擦音くらい。しかも部品点数も少なく製造にかかるエネルギーも小さく抑えられる他、軽量のため動力効率にも優れている。
もちろん電気を作るためのエネルギー源は必要になるが、その生産は効率的におこなえるため、たとえその電気を作るために化石燃料が使われたとしても、各車両で動力エネルギー化するよりも効率的がよい。また自動運転システムやIoTシステムも電気で作動させるため、化石燃料を電気エネルギーに変換するときの装置も不要でエネルギーロスも小さくなる。
さらに電気は化石燃料や核燃料の他、太陽光、地熱、水力、波、風力といった自然界に存在するエネルギーからも作ることができるため、有害物質を出さないという大きなメリットもある。
もちろんそればかりではない。電気化の最大の利点は、電気を作るところとそれを動力エネルギーとして消費するところを離すことができるということ。電気は簡単に素早くどこへでも輸送することができるエネルギーのため、火力発電所であれ原子力発電所であれ、有害な物質を排出する発電所を人が生活する環境から離すことができる。最近では非接触充電も一般化していることから、将来は他の惑星で効率的に発電した電気を無線で送電し、全地球上のエネルギーをまかなっているなんてことになるかもしれない。
事故が無くなり、快適な移動環境が整い、クリーンな大自然の中で、私たちは自転車を楽しむことができるようになる。
自動車の自動運転化、AI化、IoT化、そして電気化。私たちの生活環境は想像以上に素晴らしいものになろう。その中で最も恩恵を受けるのが自転車であり、その自転車を愛する私たちなのかもしれない。
おわり
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」
自動運転時代の道路交通 Ⅲ ― 全ての自動車は公共交通機関になる ―
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年9月30日)
自動車をいつでも誰もが自由に使える時代がやってくる。もちろん自動車を所有することや運転免許を持つこともなく。多くの自動車は公共交通機関となり、「今すぐ東京駅まで。3人ネッ!」とスマホやスマートスピーカーに呼びかければ、自動運転タクシーがやってきて目的地まで連れて行ってくれる。運賃は今の数分の一もしかすると無料となり、支払いも電子決済でいちいち財布を開くわずらわしさもない。配車時間や到着時間等も予約時点で端末が知らせてくれ、時間も無駄にしない。もちろん出先でもこんな感じで、誰もがいつでも自動車を使えるようになる。
そんな未来の交通システムの構築に向け、2020年の東京五輪・パラリンピックを目標に、「レベル4」の無人自動運タクシーやバスを走らせようという構想が持ち上がり、すでに都心エリアで実証実験がはじまった。関東エリアの国際空港や都内の主要鉄道ターミナル・バスターミナルから、オリンピック会場、選手村、主要ホテルまでのルートに無人自動運転のタクシーやバスを走らせようというものだ。当然、会場内やその周辺における大会関係者の移動等も視野に入れたものであろうことがうかがわれる。
東京五輪・パラリンピック以降は、鉄道やバスがなく、タクシーですら来ないいわゆる公共交通空白地域で、役所や病院といった公共施設、職場や学校、ショッピングセンターや娯楽施設等と住居を結ぶ足として発展してゆくことが大きく期待されている。
自動運転自動車の普及は、移動に関してどこに住んでいようと、都心部と比べてもなんら不便を感じることのない良好な交通環境を実現させることになる。
交通環境が変わるというより、社会や人の生活自体が大きく改善されることになる。
また、自動運転自動車の普及は、人が移動するときの無駄な時間や無駄なエネルギーの浪費を削減する効果も考えられる。
例えば買い物で自動車を使ったとしよう。すると次のような行動が考えられる。
① 自宅から駐車場まで自動車をとりに行く。
② 自動車の点検や掃除、車両によっては暖機運転も必要となる。
③ 運転をして目的の商店へ向かう。
④ 到着後、同乗者がいれば店の前で下す。
⑤ 運転者は駐車場まで自動車を置きに行く。
⑥ 駐車場から商店まで徒歩で戻ってくる。
⑦ 途中燃料が少なければ、ガソリンスタンドに寄ることも考えられる。
このような行動と時間が必要になる。
これが自動運転自動車を利用したとすると。
① スマホやスマートスピーカー等通信端末でクルマ(自動運転タクシー)を呼ぶ。
② 「間もなく到着します」のお知らせが来たら外に出て自動車に乗り込み、目的地に向かう。
行動や時間はこれだけにしか費やされない。無駄は一切消滅することになる
自動車自体の動きを見ても、迎車は最も近くにいるタクシーが配車され、移動後も最も近い待機場所で別の客待ち状態に入るだけとなる。無駄な走行がなくなることから、無駄なエネルギーの使用や大気汚染、渋滞や交通事故の減少につながることにもなる。
結果、社会や自然環境での無駄なエネルギーの消費が削減され、人々の生活にゆとりが生まれることになる。
これがビジネス上の動きであれば、無駄な行動は生産性につながらない。これまで無駄に消費されていた労力を有効なビジネス活動に回すことで、生産性を向上させることにもなる。経済活動上のロスの削減となる。
自動運転の普及やAI技術、IoTシステムの発達とともに、自動運転自動車自体の機能や性能、品質はさらに向上する。やがて、交通事故「0」という日もやってこよう。人の運転と比べ、はるかに高いレベルでの走行が可能になるからだ。しかも運転者によってまちまちだった運転技術の差もなくなり、全ての自動車が同じレベルで走行することになる。ようするにどの自動車も同じ走り方ができるということになり、安全性は高くなる。もちろん全ての自動車が自動運転になった時のことだが。
そうなると、人が運転することで必要とされる道路交通環境・交通システム上の様々なものもいらなくなってくる。
前号でも触れさせていただいたが、自動車がまっすぐぶれずに走れるようになれば、極端な話直線路においては道路の幅員は自動車の幅とほぼ同じにすることができる。全ての自動車の最大車幅の上限を2mとすれば、道幅も片側おおよそ2mプラス数センチもあれば十分ということになる。
また、自動車の無駄な走行がなくなることから、走行車両数も今後減少してゆくことが考えられるため、片側二車線以上の道路も必要なくなる。道幅や車線数の減少で使われなくなったスペースを、歩行者や自転車のための移動空間、緑道、道路公園、プロムナードにすることで、ここでもまた人々の生活に豊かさをもたらすことになる。
さらに道路の新設や拡幅、また地下に潜らせたり高いところを走らせたりする必要もなくなるため、道路整備のための予算をその他の住民サービス、環境整備に回すことができるようにもなる。
全ての自動車が自動運転になれば、自動車のための道路標識や道路標示等も不要になる。そもそもそれらは、人が運転することを前提に設けられているもの。ハンドルを握る人に情報を提供したり注意を喚起させたりするのが目的で存在しているので、人が自動車の運転をしなくなれば、その存在は全く意味をなさなくなる。そこを通行する自動車に伝えなければならないリアルタイムの情報は、無線回線でやり取りすればいいだけのことだからだ。
踏切の遮断機でさえ、自動運転自動車には不要になる。列車の接近を前もって自動車の制御システムに送信し、「列車が近づいている踏切の前では必ず止まり → 列車が通過するのを待ち → 列車が通り過ぎたら速やかに発進する」というプログラムを自動運転自動車の制御システムにプログラミングしておけば、遮断機を降ろしたり警報音を鳴らしたりすることも無用になる。当然のことながら、従来のように「列車が接近していなくても踏切では、必ず一時停止しなければならない」というルールも不要になる。これこそまさに自動車を人が運転するからこそ存在しているようなルールだからだ。
踏切で遮断機や警音器が不要になるということは、自動車用の信号機も不要になるということ。例えば、ある一つの交差点に向け2台の自動車が走行してくるとしよう。互いの自動車はこのまま走行をつづければ、同時に交差点内に侵入することになる。今までは信号機や一時停止の道路標識(表示)で、自動車の運転者に指示や注意を与え、どちらかの車両を停止させることにより衝突事故を回避していた。しかし自動運転の時代では、互いの自動車間で情報のやり取りが可能となるため、速度を落とした方がよい車両と、逆に速度を上げた方良い車両が瞬時に演算され、全く見通しのきかない交差点でも互いに停車することなく通過できるようになる。それは2台以上でも同じ。まるで日体大の「集団行動」のような絶妙なタイミングで互いに他車を交わしてゆくことになる。
その他、センターラインや車道外側線、縁石やガードレール等の存在にも不要となってこよう。極論、車道とそれ以外の道路部分、さらには道路と道路以外の部分との線引きも必要なくなるのではないかと思われる。
そうなれば、標識のポールやガードレールの脚が歩行者や自転車の通行の妨げになるようなこともなくなり、雨天時に路面の白線で滑ったり、ペイントの厚みでハンドルを取られたりということもなくなる。
ようするに車道(自動車用)という概念までもがなくなり、新たに人が安心して快適に移動できる歩道や自転車道等の進化につながることも考えられる。
もちろん道交法を厳守し安全走行を履行する自動運転自動車なのだから、道路を歩行者や自転車と区別しなくても、全ての道路使用者が安全・快適に共存することができるようになる。高齢者や障害者の移動の難所となっていた歩道橋、地下横断歩道等も姿を消すことになろう。
交通システムの省エネ化も期待できる。人が運転に介在しないということは、自動車の走行に必要な照明設備も要らなくなる。夜間車道部分を照らす街路灯、自動車用の信号灯、電光式行先案内板や道路標識等。さらにそれらを保守するための労力も不要になる。また車両を無駄に停止させることが少なくなるため、道路の損傷も少なくなり、修繕費の削減も期待できる。自動車自体のエネルギーロスも軽減されることになる。
それはそこに費やされる税金の軽減ということにもなる。
自動運転の時代には、車道上の多くの設備が不要になるとともに、交通インフラのコンパクト化にもつながることになる。自動車に占有されていた車道部分の割合は今よりも少なくなり、そこに費やされていたエネルギー消費量も減少する。もちろんそれだけではない。無駄に所有していた自動車の台数が少なくなる分、自動車を保管する場所や出先で止めておく場所も今より少なくて済む。
また道路の建設費のほとんどは税金で賄われるため、道路整備にかかる費用が削減されれば、その予算を他の公共事業に回すこともができるようになる。
さらに自動車の保有台数が減り、無駄な走行がなくなれば、環境保全に貢献することにもなる。
限られたスペースの有効活用、エネルギー資源の無駄遣いの削減、地域差のない移動環境の実現等、住環境・生活環境の改善につながってゆくことになる。そして自動車はさらに便利で安全で価値の高いものになる。
今まで自動車があるために費やされていたものが、人々の暮らしのために使われることになり、結果、人びとの暮らしに余裕が生まれ豊かになってゆくことになろう。
自動車の自動運転化は、道路環境を、また私たちの生活を大きく改善してくれることになる。
つづく
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」
自動運転時代の道路交通 Ⅱ ― 全ての自動車は公共交通機関になる ―
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年8月16日)
前回にひきつづき、現在わが国の旅客輸送事業が抱える問題について、もう一度見てゆくことにしよう。
公共交通機関に求められる最大のサービス、それはいつでもどこでも利用したい時に利用できること。つまり便の本数や運行経路の多さ、車両数ということになる。しかもそこには運賃も当然のこと影響してくる。鉄道やバスは運賃は安いが便数や運行経路が限定されているため、目的地に着くまで乗り換えが必要になることが多く、時間もかかる。また乗車地・降車地が定められているため、乗車前や降車後は必ず徒歩での移動が必要になる。特に地方では便数や運行経路が少なく、その存在すらない地域も存在することから、大きな社会問題となっている。
それとは逆にタクシーはドア・ツー・ドアが基本で移動時間も短く最も便利な交通機関とされている。だが、運行経路や乗降場所の定めがないため、不確実な部分も多く、利用者数が多くなる時間帯や場所、自然環境の影響により車両が余ったり全くつかまらなくなったりという波が発生する。また人が少ない地域では営業する車両も少なくなりがちで、いつでもどこでもという良さが発揮しきれていないことも多い。
鉄道やバス等大量に人を輸送する交通機関は、その運行システム上自由度という点ではある程度の制約は覚悟しなければならないが、タクシーの場合は個別輸送のため基本的に車両台数を増やし、需要の状況を見ながら車両を供給すること、そして運賃を下げることで、さらに自由度の高い便利な交通機関になることが考えられる。ただし前号でも述べさせていただいたとおり、既存のシステムでは、車両を増やし、運賃を下げることはそう簡単に実現させられることではない。
さらにタクシーの増車が制限されている原因には次のような問題も関係している。
まずその原因の一つに、年々利用者数が減少していることが上げられる。需要が減りつつある中供給量を増やせば、規制緩和時代と同じ状態が生まれてしまう。
二つ目は、利便性の向上や運賃の値下げについては既に限界の状態に至ってしまっていること。経費の80%以上が人件費であるタクシー事業では、車両数の確保と運行の安全を担保させるためには、これ以上人件費を削ることは考えられない。人件費を下げれば乗務員の労働条件や環境はより厳しくなり、しいては安全やサービスの確保にその影響が及んでしまうからだ。また少子高齢化でただでさえ人材の確保が難しくなる中、その仕事に魅力がなく人が確保できなければ、タクシー事業は成り立たなくなってしまう。タクシードライバーの全国平均年齢は約58歳で、全産業のそれより十数歳も高い。また法人タクシーでも80歳越えのドライバーが存在していることから考えても、人材確保は重要な課題になっていることがうかがわれる。
ようするにタクシーを中心とする個別輸送のための車両が増やせない原因の原点になっているのが「人」であり、人が介在する限り、車両を増やすことができないという状態になってしまっている。
ということは、もし自動車の運転に人を必要とせず、多くのタクシーが無人化されることになれば、さまざまな問題が解決の方向に向かうということになる。その他にも労働基準法等の労働関係法令や、道路運送法、道路交通法等の道路関係法令の条文はその多くが人に対するものであり、そこに人の介在がなければ多くの問題がクリアされることにもなる。例えばタクシー特有の一運行における最大運転時間や最長走行距離、必ず取らなければならない休憩時間、勤務と勤務の間の一定の休息時間、週単位、年単位で定められる労働時間等の決め事も、まさにそこで働く人の労働環境を守るためのものであり、そこに人の介在が無ければ不要になる。運転者のいない車両は特に支障をきたさない限り走りつづけることができるため、自動運転車は、車検・整備や清掃を除き、1年365日1日24時間、稼働率100%を維持させることができるようになる。さらに、それら多くの規制が廃止されまた緩和されれば、増車や新規参入は社会問題には至らず、その制限の必要はなくなるはずだ。
結果タクシーの保有台数が増え、またそれと同じ状況が実現すれば、移動したい時にいつでも車両が使える状態になり、いつでも便利に使える公共交通機関があるということは、「自動車を所有する」という概念すらなくしてしまうということにもなる。最終的には人を運ぶ自動車はタクシーだけということになる。
もちろん日本には都心部のように移動に事欠かない地域もあれば、山間部のように移動することが生活上の最大の問題という地域もある。もちろんいつでもどこでもすぐに移動ができる状態にするということは不可能かもしれないが、どんな過疎地にいたとしても30分以内でタクシーが必ず迎えに来るとすれば、特に不便を感じることはなくなり、日本のどこに住んでいようとあえて自家用車を持つことなど考える必要性はなくなってしまことになる。そのようなきめ細かな車両配置くらいは、無人自動運転のタクシーにとって決して難しいことではなく、結果、いざというときのことを考えて所有していた無駄な自動車(自家用車)は激減し、国内の自動車の総保有台数もかなり減ることになろう。
ここ最近シェアリング・エコノミーという言葉をよく耳にするようになったが、そもそもタクシーというシステム自体も一台の自動車を多くの人が利用するという点ではそれを代表するものであり、その使い勝手が向上するということはさらに需要は高まるということになる。ようするにどこに住んでいようと移動に対する不安や無駄がなくなり、生活に新たな余裕が生まれることになる。
自走運転が普及し、自動車の個人所有が激減するということは、他にもさまざまな好影響を生み出すことになる。例えば自宅のカーポートや月極駐車場、街のコインパーキング、巨大モールの巨大駐車場や公共施設や娯楽施設、コンビニの駐車場からも自動車というものが消えることになり、駐車場という概念すらなくなってしまうことにもなる。ただし空車タクシーの待機場所や車寄せは十分なスペースが必要になるが。もちろん自転車の行く手を阻む違法路上駐車車両すらも激減することになる。一体どれだけのスペースが歩行者や自転車、そして人々の生活のために解放されることだろう。
もう一つ、正しいプログラミングを与えられた自動運転車は、決して法規を犯さなければ、無理な運転をすることもない。いつでも100%安全運転を励行し、上手な運転をする。さらに危険予知に関しては人とは比べ物にならない程の能力を有し、人や自転車が物陰から飛び出すこと等、事前に察知し対処までもおこなうことができるようになるだろう。ましてや、周りの自動車をあおったり、自転車や歩行者に嫌がらせをしたりというばかな車両もなくなる。クラクションの音もこの世から消えることになる。ようするに違反や交通事故というものは姿を消すことになる。
「クルマに気をつけなさい!」もしかするとこんな言葉さえも聞かれなくなるかもしれない
さらに道路やその設備自体にも変化があらわれることになろう。
全ての個別輸送車両が公共交通機関になれば、無駄な移動ということも激減する。それにより今までの新設や拡幅を中心とする道路行政の見直しも必要となる。なぜならば、人の移動が減少し自動車の運行距離や台数が減少すれば、必然的に道路の新設や拡幅も不要になるからだ。
そんなことから、海外では自動運転社会を見すえて、道路の新設や拡幅計画を見直す動きも出てきたというニュースも聞かれるようになった。
既存の道路、特に車道部分は人が車両を運転することを前提に計画されてきた。わが国が批准するウイーン条約にも自動車の運転は人がしなければならないことが明記され、道路もそれを基本に作られてきた。車道の幅、制限速度、道路標識や表示等もまさに人が運転することを前提に整備されている。ところが自動運転化の時代にはそのこと自体不要になる。運転技術の高い自動運転車両では、車道の幅は車両の幅よりわずかに広いくらいで十分。自動車に対する道路標識や表示等人の目に訴える設備も、通信システムによりおこなわれるようになるため不要になる。踏切の遮断機や警音器などもなくなるかもしれない。そればかりか信号機ですら姿を消す可能性もある。さらに制限速度の存在にまで疑問がもたれるようになってきた。道路環境や通行量等の状況を解析し安全が担保されれば、特に決まった制限速度を定めず、道路環境に相応しい速度で走行させることができるようになるからだ。それにより最も効率の良い運行速度で走ることができるようになる。時に全てのシステムが安全と判断すれば、その車両が有する最高の性能で走ることもできるようになる。結果、移動時間が短くなるということは、車両が路上を走行している時間が短くなるということであり、考え方を変えると路上に存在する走行車両を減少させたのと同じ効果が生まれることになる。ということで、自動運転時代には高速道路(自動車専用道路)の必要性すら疑問視されるのではないかと思われる。
この様に道路を通行する車両の台数が減少するということは、道路の新設や拡幅等の計画は見直しが求められるようになり、逆に道路跡地や減幅された部分の緑地化や歩行者や自転車のためのスペースとして蘇らせる等の再開発が必要になってくることも考えられる。
自動運転の普及により、人の移動に係る無駄は大幅に削減されることになる。そこに費やされていた膨大な時間や経費は、いずれ住みやすい社会づくりや人々の福祉のために還元されることになるだろう。
つづく
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3~9 「未来の道路環境について考える」
2018年ペダリアンの集い 三重県
JACC(日本アドベンチャーサイクリストクラブ)ぺダリアンの集い
(2018 年6月2 日3日三重県青川峡キャンピングパーク)

JACC山下晃和評議員主宰Bike & Campのイベントのお手伝いに仲間たちが駆けつけてくれました。


小口良平会員とその自転車

JACCの仲間たちが参加者にアドバイスしながら作業が行われています。

2018年ぺダリアンの集いを振り返ってみて・・・
Bike&Campを主宰されている山下晃和評議員のこのイベントにかける熱い熱意に感動しました。数年前にツーリングしてこのキャンプ場にたどり着いた時、真っ暗闇の中にまるで桃源郷のようなとても素敵な施設が現れたと感動されたそうです。
この地をベースとして自転車、キャンプそのものを体感していただこうと自費でスタートしました。
いつか海外ツーリングにも興味を抱いてくれる方も育ってほしいという願いを込め彼のエネルギーをつぎ込んでいるのだと思います・
今回このイベントにJACCもお手伝いせなあかんと感じ仲間に呼びかけたところ延べ20名ほどの方が全国から集まって来てくれました。
日名さん、昨年に続き今回往路自走されて来られ、こちらのサイクリングコースの設定までしていただきました。ありがとうございました。
高橋君、昼食をご一緒する間もなく往復自走で帰られました。暑い中ありがとう。
藤田さんご夫妻、今されている仕事の現場が近いと私たちに会いに来てくれました。夕食ご一緒出来てよかったです。
集いの海外帰国報告をお願いした藤本芳一さん、楽しいお話で時を忘れましたよ。
パンク修理ワークショップの時、虫ゴムの準備を忘れたことに気付き頭の中が真っ白になっている私を助け、近くのスーパーへバイクを飛ばして買ってきてくれた磯田喜之君、本当に、本当に感謝です。
30分前の出来事でした!皆さんごめんなさい。
お時間をいただいたワークショップは仲間のアシストがあったとはいえ、初心者の皆さん結構手際よく完成度の高い作業をされ喜んでいらっしゃました。
JACCの仲間もパーク外のサイクリングで楽しんでくれました。
そして最後に食事の準備、イベントのお手伝いをしてくれたJACCの皆さんに感謝します。本当にありがとうございました。
かゆい所に手の届く仲間たちに感謝!感謝!
そして山下君、スタッフの皆さん、JACCの仲間たち、
お疲れさまでした。
JACC事務局長 出口隆二
自動運転時代の道路交通 Ⅰ ― 全ての自動車は公共交通機関になる ―
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2018年6月10日)
世界中で自動運転が話題になっている。私たちが使用する自動車が自動運転化をするのもそう遠い未来のことではない。あと数年先には無人の自動車が走り出し、十数年もすると人が自動車を運転することすら許されない時代が来ようとしている。車内には「運転中は操縦装置には絶対に触れないでください。」などというアナウンスが流れるかもしれないし、いずれハンドルやペダル等操縦装置自体なくなってしまうことになるだろう。
もし全ての自動車が無人化するとなると、当然バスやタクシー等公共交通機関も無人化する。というよりは真っ先に無人化するだろう。自動車運送の世界は現在人材不足と高齢化が深刻な問題であり、自動運転に期待する業種も多くあるからだ。
では公共交通機関が無人化するとどうなるか考えてみよう。
例えばタクシー事業の場合、その経費の約80%は人件費といわれている。タクシー車両は一日24時間365日ほぼ休むことなく稼働している。ちなみにタクシー一台に乗務員一人は必要になるので、一台のタクシーを24時間365日稼働させるには、一台当り約2.5人の乗務員が必要になる。100台のタクシー車両を保有するタクシー会社で100%の稼働率を保つには、約250人の乗務員が必要ということになる。
その他運輸規則上保有台数によって定められた数の運行管理者や整備管理者も必要となる。さらに経理部門や総務部門における業務内容も乗務員の勤怠管理が中心となる。つまり運転以外の事務職・管理職も「人を管理する」ということが主な仕事となっている。
もしこれらの経費が削減できるとすれば、タクシーの運賃も大幅に下がることになる。タクシー業界に精通した有識者・研究家、タクシー会社経営者等の試算によれば、現在の運賃と比べて1/4からさらに自動運転化による新たなサービスを展開することにより無料にもできるとした研究結果も出ている。現在都内のタクシー初乗り運賃は1,052mで410円、加算運賃は237mで80円となるので、最も高い結果である1/4としても、1,052m以下なら103円、2kmで183円となる。さらに一台のタクシーに4人で乗ったとすれば、2kmの一人あたりの運賃は46円で、この運賃なら、通勤や通学、買い物やレジャーでタクシーというのも十分考えられる。長距離で東京駅から新大阪駅までタクシーを走らせたとすると現在の運賃では約18万円だが、それが4万5千円で行けることになり、4人で乗れば一人当たりなんと11,250円ということになる。
さらにだ、これからの自動車は電気で動くようになる。タクシー車両も例外ではなく、そうなると燃料費は現在の1/3以下になると言われている。しかも非接触充電システムともなれば、充電の手間や時間も節約できる。
車両価格を見ても、現在のエンジン自動車1台の部品点数は約10万点、そのうちエンジンには2万点ほどの部品が使われている。これに対し電気自動車では100点以下に抑えることができるため、車両価格も大幅に下げることができる。また複雑な構造をもたない電気自動車は整備性も良く、それに費やす時間や費用の軽減にもつながる。
もちろん市販直後の自動運転車は、個人が購入できるような価格ではないはず。しかし生産台数の増加とともに価格は安定し、やがて現在の自動車並み、いやそれ以下になることが予測できる。
さらに、車体にラッピング広告を施したり、モニターでCMを流したりすることにより、広告収入も期待できよう。
また車両にセンサーや通信機を取り付け、そこで得られた情報をリアルタイムに送信することで、情報提供料を得ることも考えられる。例えば車両の速度、ワイパーの動き、ライトの点灯を気象情報機関に送ることによって、極めて正確な気象情報を得ることができるようになる。例えばそのエリアにいるタクシーが昼間なのに前照灯を点け、高速でワイパーを動かし、のろのろ走行しているとすれば、そのエリアはゲリラ豪雨に見舞われていると判断できる。その情報を時系列に処理することによって、災害予測や、警報・注意報の発令、道路の規制等に役立たせることも可能になる。さらに車載防犯カメラと連動させれば、その状況を動画付きでリアルに提供することも可能になる。これがタクシー運賃が無料になる(無料に近くなる)という仕組みのようだ。
ではここで視点を変えてみてみよう。現在はどの家庭にも自家用自動車が存在している。わが国の自動車保有率は全国平均48%、約二人に一人は自動車を所有していることになる。わが国の人口は2016年の統計では1億2千7百万人なので単純計算で6千万台の自家用自動車があることになる。
しかしその全てが休みなく動いているかというと、決してそんなことはない。住宅地の駐車場を見てもわかる通り、多くの自家用車は走っている時間より止まっている時間の方がはるかに長い。土・日・祝日でさえその多くが駐車場に停められたままだ。現に筆者もマイカーに乗るのは週に1~2回、ほんの数時間、走行距離も年間で2000km程度。それでも使いたい時にすぐ使えるという便利さで、所有しつづけている。移動するための道具が停まったまんまというのは、社会的にも経済的にも決して良い状態とは言えない。
例えばこのままの状況でマイカーを所有した場合の経費を算出してみよう。車検及び諸経費込の中古車(小型車)を200万円で購入し、6年間所有すると想定する。と、その間に2回の車検と3回の12ヶ月点検、ガソリンが燃費10kmで1,200リッター、都内で月2万円の駐車場を借りたとすると、それだけで年間約60万円かかることになる。これに毎年の税金や自動車保険料、消耗品代や修理代、メンテナンス費用、出先での有料駐車場代等が加わることになり、おおよそ年間70万円の出費となる。
もちろん自動車を運転するには免許証の取得や更新、事故の危険、運転をすることによる肉体的・精神的疲労、洗車や給油にかかる時間等金銭以外のリスクや手間も考えなければならない。
この経費をそのまま自動運転化されたタクシーを使ったとして算出しなおしてみる。一回の利用を最も割高な1km以内として、都内を営業圏とするタクシーを利用したとすると、【103円(初乗り運賃)×2,000km=206,000円】となり、回数では年間2,000回、一日約5回以上利用できる上、移動のための支出は自家用車と比べ1/3以下になる。
もうこうなると自動車を所有すること自体に疑問がわき、「自動車は所有せず、タクシーで移動していた方がよいのでは・・・・・?」ということになる。
その結果、自家用車の所有は激減し、人を運ぶための自動車は自動運転無人タクシー(※それをタクシーと呼んでいるかどうかはわからないが、カーシェアリングも含め本文中ではタクシーという名称を使用させていただく。)だけということになる。
ただし、これには一つだけ条件が必要。使いたい時にすぐ使えるというマイカー並みの便利さが求められ、マイカーがなくなった分だけ、タクシーを増車する必要がある。
では、ここで現在のタクシーについて話しをさせていただくことにしよう。
現在タクシーの保有台数は国により制限されていて、自由に増やすことはできない。国交省主導の下、既存のタクシー事業者においては増車は厳しく制限され、また新たにタクシー会社を起すことも難しい。これはタクシーの安全性を高めるための特別措置で、小泉内閣時代にタクシー事業を自由化したことにより、タクシーの台数が増え、競争が激化し、乗務員の労働環境が悪化、大きな社会問題になっていたからだ。この問題を解決すべくタクシー事業者の協力の下、タクシーを適正台数まで削減、増車や新会社の設立を抑制し、そこで働く者の労働環境や生活を安定化させ、交通事故やトラブル等の社会問題を抑えようという特別措置法が施行されるようになった。
さらにタクシー事業は、乗務員・企業共に営収が上がれば収入や利益が多くなる構造のため、お客様の多くいる場所にタクシーは集中してしまいがちとなる。このようなことから、曜日や時間帯、地域や天候によってタクシーが余ったり、足りなくなったりすることになる。
使いたいときに使えないという状況が生まれているのには、こんな訳があるからだ。
ところがだ、タクシーが無人自動運転になると話は大きく変わってくる。今までタクシーが抱えていた社会問題の多くは消滅してしまうことになる。そこで働く人々の生活を守るための法規制、つまり労働時間の制限や台数制限等の縛りを受けなくなってしまうからだ。そうなるとタクシーの台数を増やしても、過去にあったような社会問題はおこらなくなり、需要が多い時にオンタイムで供給を増やすことも、需要が少ない時に供給を減らすことも容易にできるようになる。需要と供給のバランスが取れ、効率的な運行ができるようになれば、タクシーはいつでもどこでも便利かつリーズナブルに使える移動手段となる。
その結果、自動車を所有するという概念までもなくなり、そのすべてが公共交通機関ということになる。
未来の道路上に存在する自動車は、物流のためのトラック(貨物車両)と様々なバリエーションのタクシー(旅客自動車)だけということになる。
つづく
鈴木邦友
参考文献:サイクルフィールド誌 2018 3 「未来の道路環境について考える」
JACCがバカ集団でないための姿勢「138号記録特集」
※自転車研究家の鈴木邦友評議員からの報告です。(2016年12月11日)
多くの国々を訪れる、これはとても素晴らしいことであることは間違いありません。それだけ自分自身の見聞を広めたことの証であり、それだけ自分自身が多くの文化に接し多くの人々に接したことである証だからです。
しかし、それは何かしらの目的や目標があっての話。目的もなくただ歴訪国数を増やすことや長い距離を走ることは、コレクターやマニアの世界の話ではないでしょうか。
もちろんそれを否定するわけではありませんし、否定できるものでもありません。一つのものをたくさん集めること、いろいろな珍しいものを集めること、集めたものを見せびらかし自慢し合うこと、そして優越感に浸ること・・・・・、誰にも迷惑をかけず、自分自身がそれによって幸せでいられるならば、そんなに素晴らしいことはありません。周りの人には何の価値のないことでも、その人が価値を感じ、幸せでいられるのなら、大切に育んでもらいたいと思います。現に私も家には10台以上の自転車があり、押し入れの中には世界中の自転車部品があつまっています。
例え人に鉄クズと言われようと私にとっては宝であり、幸福を呼ぶ大切なものたちなのです。たまに引きずり出して眺めているだけでとっても幸せな気分になれます。楽しいです。誰にも迷惑をかけているわけでもないですし。
ただし、これは私だけのもの。私だけの幸福。決して多くの人々と分かち合ったり、自慢したり、人々に分け与える幸福ではありません。
たとえばペダリアン紙で、「会員の鈴木邦友は数えきれないくらいの自転車と自転車部品を収集している立派な方だ。私たちも彼の行動を見習いましょう!」と書いてしまったら、また真剣にほめたたえてしまったら、私たちの今までの行動は見失われてしまいますし、世間の人々はJACCを単なるオタクの集まりの“バカ集団”としか見てくれなくなると思います。
JACCという組織の中で、ただただ訪問した国数や走行距離数だけを手放しに喜んでいたら、そしてそれだけを世間に公表し、自慢し、ほめたたえていたら、やはり同じく私たちは単なるバカ集団とみられてしまうことになるでしょう。目的をもって行動(旅)し、多くの人々に喜びと感動、勇気や幸福を与えてきた他の会員を裏切ることにもなりかねません。「冒険って、そんなことだったの?」と・・・・・・・。
特に今はネット社会と呼ばれ、世界中の情報が入ってくる時代、PC端末さえあれば、これから通る道の路面状態までも知ることができるのですから、誰もが簡単に世界を自転車で走ることができるようになってゆきます。訪問国数や走行距離数はこれからどんどん増えてゆくことでしょうし、それを伸ばすことの意味は逆に薄らいでゆくことでしょう。
多くの国を回り、長い距離を走った。それをすることでそこにそれ以上大きな目的や意義があったとしたら、それはJACCとして心から賞賛し、ほめたたえ、世間に公表すべきかと思います。
そして、それが私たちJACCの仕事だと思います。しかし目的の無い単なるコレクションだとしたら、静かに見守ってあげることもJACCの寛大さであり、とるべき行動ではないかと思います。
私たちこそJACCの進むべき道を忘れてはならないと思います。
私たちが自転車を通して行ってきたことで、世界の人々に何かしらプラスになること、幸福や平和を分かち合うことが私たちJACCの目的ではないでしょうか。自分の満足だけを得る行動は、決して私たちの歩む道ではないはずです。
今回、この件がこんなに議論されているのも、多くの会員が問題に感じているからだと思います。誰もが、手放しで喜んであげられない、なんとなく腑に落ちない、納得のいかないものを感じているからだと思います。
JACCは、JACCとして、JACCの目的・目標を見失うことなく、そこから外れてゆくものには方向修正を加え、間違っているものには厳しく助言し、素晴らしい行動をとったものは、賞賛し、ほめたたえ、記録に残し、公表してゆかなければならないと思います。そして多くの人々に幸福をもたらしてゆかなくてはならないと思います。
ペダリアン紙はそうした私たちの確固たる意思を伝えるものではないでしょうか。
JACCは世間の風評を気にしながら行動する団体ではないはず、ペダリアンもまたそのような読み物ではないと思っております。
機関紙ペダリアン校正担当
鈴木邦友(JACC評議員/自転車環境研究家)
2016年 JACC新年会
日本全国から、総勢38名が集まり新年会が行われました。
2016年1月9日(土)18時~21時・ホテルクライトン新大阪

1.開会のことば (司会:藤本典昭)
2.新年のあいさつ (池本元光代表)
3.松葉京三副代表「現役最年長キックボクサー引退報告」

現役最年長者としてプロキックボクサーを続けてきた松葉京三氏が昨年暮れに引退を発表。キックボクシングに賭けてきた思いなどを熱く語っていただきました。
4.地球体験中の仲間の近況報告 (藤本典昭・西谷康子より)

チリ・アタカマ砂漠より小口良平さんの紹介、クロアチアより出堀良一さんの紹介、ポーランドより神保広武さんの紹介、モロッコ南部より磯田喜之さんの紹介、オーストラリアより濱尾達郎さんの紹介、北欧より澤昇平さんの紹介、エチオピアより一時帰国中の中野亘さんの紹介、等。
5.山内一生、増田勇介、高橋晃一、「台湾・太魯閣ヒルクライム」参加報告
6.上野利之さん、「地球体験計画」について

今年、自転車でアジアを横断してヨーロッパを目指したいと希望する大学生・上野利之さんの計画発表に、ユーラシアを東から西に女性単独で横断した西畑由香がアドバイス。
7.日名保彦、「東南アジア旅」報告
8.樹下昇司さん、「世界40カ国4万キロ走破」についてアフガンスタンのカイバル峠を越えたお話し。同時期に旅されていた小森茂之評議員と共に語る。
9.高橋晃一、「サンチャゴ巡礼ツーリング」報告。歩きでサンチャゴ巡礼を実施された小森茂之評議員と共に語る。
10.鄭良二、「世界一周計画」について
11.藤本典昭、「ヨーロッパ自転車事情」調査報告
12.高繁勝彦評議員、「Peace Run ニュージーランドランニングの旅」帰国報告と今後の計画

人々との出会いがPeace Run 平和への走りの活力になると熱く語る高繁勝彦評議員。今年はヨーロッパをランニング旅する予定。
13.記念品贈呈

今年(2016年)地球体験に出発予定の人たちに記念品を贈呈されました。写真右側より、ヨーロッパランニングの旅・高繁勝彦評議員、世界一周・鄭良二、ユーラシア大陸横断・上野利之さん、タイ~インドネシア・日名保彦、台湾ほか・高橋晃一、台湾ほか・山内一生、台湾・増田勇介
素晴らしい友好の旅を実施してきてください。
14.出席者近況報告
15.新年くじ
16.閉会の言葉 (宇都宮秀俊副代表)
17.記念撮影
地球体験出発予定者への記念品や新年くじの景品は、OGKカブト様、サイクルショップタケザワ様、サイクルショップ銀輪亭様、よりご提供いただきました。いつもご協力ありがとうございます。
ご来場の皆様有難うございました。来年も新年会を行いますので、ぜひお越しください。
自転車冒険展示イベントの新聞掲載
大阪・関西サイクルスポーツセンター特設会場で開催されている日本を代表する冒険サイクリスト7人(池本元光/大阪、宇都宮秀俊/福岡、永谷彰郎/京都、待井剛/兵庫=長野出身、タンデム自転車の宇都宮一成・トモ子夫妻/愛媛、中西大輔//兵庫)の~ペダルは海を越えて!~「世界を走った自転車展」が朝日新聞8月3日付朝刊に掲載されました。11月29日まで開催されます。

(2015年7月 ペダリアン紙第132号)



世界一周ロレンソさん事務局長訪問

2015年7月3日、スペイン・バスク地方から18年かけて来た自転車世界一周のロレンソ・ロホさんが銀輪亭を訪問
2015年ペダリアンの集い 静岡県

2015年のペダリアンの集いは5月30・31、静岡県の伊豆高原青い風ユースホステルで開催されました。日本全国からの会員、会員外の合計19名が集まり、情報交換と親睦を深めました。

5月30日(土)夕刻 関東組12名と関西組7名が伊豆高原青い風ユースホステルで合流し、2015ペダリアンの集いが始まりました。自転車で日本一周された青山俊子ペアレントによる豪華なサイクリスト食がずらりと並んでいます。

夕食の途中から神谷泰毅会員によるオーストラリア一周体験報告会が始まりました。世界一平和を実感できるオーストラリアでしたが、水の入手で苦労することがあり、大自然の過酷さを実体験されました。神谷会員の次に日名会員、大友会員、木下評議員、と順番に夜遅くまで熱い地球体験を語ってもらいました。

5月31日朝 伊豆高原青い風ユースホステルの中庭にて。天気予報では雨だったのに、晴れ女、晴れ男のおかげで晴天に恵まれました。今年(2月1日~3月8日)東南アジアサイクリングを実施したランドナー車(写真正面)と日名保彦会員(写真右端)

「ブータンサイクリング報告」と「タスマニア」について語ってくれた木下滋雄評議員。

和歌山県から参加の世界一周された小森茂之評議員、仙台から参加され「南米横断サイクリング」を語ってくれた大友忠会員、大阪から参加の西谷康子会員、広島から参加の倉田好晴さん。(写真左から)

小沢幸弘会員夫人、台湾出身の郭憶慧さん。

2015ペダリアンの集い実行委員長、松葉京三副代表。

伊豆東部の大室山近くののどかな田園風景の中をみんなでサイクリングしました。

あっという間に楽しい時間は過ぎて行きます。今回はこれにて終了です。また来年もJACCペダリアンの集いで再会できることを楽しみにしています。松葉京三副代表ほか参加の皆様たいへん有難うございました。来年は更なる参加者が加わることを期待しています。(城ケ崎海岸にて)
文責 中西大輔
世界を走った自転車展
自転車冒険展示イベントのご案内
日本アドベンチャー・サイクリストクラブ
JACC日本国際自転車交流協会

ペダルは海を越えて!
日本を代表する7人の冒険サイクリストによる
「世界を走った自転車展」
476ケ国走破
こんな日本人がいた・・・
場所/関西サイクルスポーツセンター(大阪府河内長野市)
期間/平成27年4月26日(日)~11月29日(日)
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このたび、日本を代表する男女7人の冒険フロンティアによる「世界を走った自転車」展を、我が国唯一の自転車冒険団体日本アドベンチャー・サイクリストクラブの協力を得て開催することになりました。
同クラブは自転車による地球体験によって国際交流を深め、子ども達に“夢と感動”を届けることを目的に昭和54年4月当センターで誕生し、多くの冒険サイクリストを輩出してきました。
そして今後も、夢多き人々の体験が世界の友好親善を育み、青少年への夢と希望の一助となることを願ってやみません。
大自然を駆け抜け、友好のニオイがしみ込んだ自転車達をどうぞご覧ください。
平成27年4月26日
一般財団法人自転車センター
関西サイクルスポーツセンター
理事長 森本龍男
自然環境や健康に良い自転車が見直され、サイクリングブームの広がりをみせる今日。国内最大級の「世界を走った自転車展」がゴールデンウィークに向けた4月26日から大阪府河内長野市にある“自転車のテーマパーク”関西サイクルスポーツセンターで開催されています。
◇ ◇
我が国唯一の自転車地球体験活動団体日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(JACC)の調査 では、JACCを創設した池本元光が世界一周に挑戦した昭和43年以来、現在までに世界一周した日本人は84名を記録しています。
夢を馳せ、地球を回る世界一周は、もちろん、競争ではないのだからルートも期間も人それぞれ自由でありますが、JACCは下記のような一つの基準を設けています。
「JACCは、赤道を通過し大西洋をはさむ2大陸以上を走破したもの、もしくはそれに値する行 程のものを世界一周という(※日本を出発点とする)」と昭和54年4月発足したJACCは会則第7章25条「世界一周の定義」に明記しています。
日本を起点に、赤道を通過し、大西洋をはさむ2大陸以上、ましてや赤道一周の距離にあたる4万70㎞の走破となると、やはり容易ではありません。
それらに沿った世界一周体験者を絞り込むと、2001年1月、子宮癌の宣告を受けたパキスタン・イスラマバードから急きょ帰国し、3度の復活旅を叶えながら、2008年9月、完結旅出発前に再発。2012年春から旅のパートナーだった夫スティーブさんの母国豪州で厳しい闘病生活を続けているシール・エミコさんの80カ国12万余㎞走破を含め、28名しかおりません。
元来、世界一周とは「行きっぱなし」をさしますが、長期間になるとそうもいきません。運転免許証の切り替えや祖父母の白寿祝い、親兄弟の重病、資金調達、自転車等の諸問題で一時帰国を余儀なくされた体験者も少なくありません。
このたびの出展者の選考においても、これらの基準に沿うものの「友好のニオイがしみ込んだ自転車」が、すでに存在しないのが大半であったのも事実です。
よって、このたびは7人の大変貴重な「世界を走った自転車展」といえると思います。
◇ ◇
出展者は、まず、47年前の挑戦者で日本の自転車冒険の先駆けとなった池本元光(昭和43年21歳~25歳、大阪府)
小学4年で自転車に乗り、小学5年の秋に区民体育大会のプログラム角に付く抽選番号で、欲しくてならなかった少年用自転車が2等の賞品で当選し、いつしかこの自転車で世界一周を夢に見、時あたかもベトナム戦争激化の折、友好と平和のフレンドシップ旅にペダルで挑戦した。
「1ドル360円時代、20万円を旅費にチャレンジ!日本人初世界一周! その後キリマンジャロ自転車登頂・団塊号世界旅・帆かけ自転車豪大陸ナラボー平原横断」
ナショナル自転車・パナソニックサイクルテックが手がけた愛車タルーゼ号と帆かけ自転車が並び、写真パネルの上部にこのキャッチフレーズが掲示されています。
1968年8月~1972年12月の4年4カ月、サイクラートリップ15で47カ国4万1840㎞走破(現在のデジタルメーターと違って当時、松下電器特製の万単位積算計は貴重だった)の池本は、帰国後、「世界ペダル紀行」(上下巻、サイマル出版会刊、全国学校図書館協議会選定図書)、「単騎走天涯」(台湾で翻訳、新将軍出版公司刊)。
その後、少年の日の夢の地、キリマンジャロ自転車登頂を遂げた「アフリカよ、キリマンジャロよ」
(サイマル出版会刊、日本図書館協会選定図書)、「自転車冒険大百科」(大和書房刊)を出版。池本は、世界一周帰国2年後の関西サイクルスポーツセンター開場と共に就職。現在に至る。“縁”と“恩”のペダル人生、運が良かったと池本は語る。JACC創設者で代表。
続いて、宇都宮秀俊(昭和59年22歳~25歳、福岡県)
「山形大学3年に学友に見送られ、3年後同大学に戻り着いた学生初の世界一周!」
片倉自転車製シルクキャンピングのアミーナ号で日本人初の快挙となった中南米の道無きダリエン地峡越え、アフリカ・サハラ砂漠縦断、コンゴの密林横断、南アフリカ南端喜望峰到達等を遂げた。
1984年6月~1987年1月走破の宇都宮は、再び戻り着いた大学正門で学友に迎えられ、1年後に卒業。39カ国4万6100㎞走破の「自転車野郎 駆け抜けた四万七千キロ」(海鳥社刊)を出版。
その後、高校教諭となり夏休みを利用し30回の海外遠征を数える。JACC副代表として活躍。
そして、永谷彰朗(昭和63年24歳~31歳、京都府、現在滋賀県在住)
「美術教諭を辞しての夢の世界一周!町議会議員を経て中学美術教諭に復活!」
1988年5月~1995年4月走破の永谷は、夢を追いかけるために教職を投げ打ち、地元京都の自転車メーカー岩井商会製ガンウェルキャンピング、真っ赤な愛車アミー号で挑戦。サハラ砂漠縦断等55カ国7万5000㎞を走破。帰国後、地元京都の宇治田原町議員を務めた。大相撲の懸賞金垂れ幕で知られる「永谷園」の故・永谷嘉男会長は叔父にあたり、JACC情報季刊紙ペダリアン紙への広告出稿でご支援頂いた。京都の3大銘茶の血をひく教育肌の熱血サイクリストで、現在再び教育現場に立って子ども達と共に夢を追いかけている。JACC元評議員。
そして平成の挑戦者、待井 剛(平成4年24歳~30歳、長野県、現在兵庫県在住)
「日本一周後、宅配ドライバーで1000万円を貯め、夢の世界一周117カ国を走破!」
1992年~1998年5月走破の待井は、世界100カ国10万㎞走破を目標に「やる気と希望は人生の宝石」「出会いが宝」とノートン自転車製愛車飛脚号で、サハラ砂漠やカラコルムハイウェイの桃源郷フンザからクンジュラブ峠を越える等日本人初の100カ国走破を達成し、6年間「行きっぱなし」で117カ国11万6780㎞を走破。第3回「地球体験ペダリアン大賞」を受賞。長野県諏訪市の諏訪実業高校の生徒会長も務め、世界一周中、地元紙「信濃毎日新聞」に「自転車世界ひとり旅」と題して182回の連載を重ねる。佐川急便ドライバーとして3年間の旅費捻出は血尿をもおし、血のにじむ思いで夢に向かって一心不乱に奮闘。堅実な計画の運びで、果てしない未知の世界へのチャレンジだった。大賞受賞の朝日新聞報道で伴侶と出会い、和菓子の老舗明月堂副社長として妻子と暮らす。JACC評議員として活躍。
宇都宮一成・トモ子(平成9年29歳~39歳、愛媛県)
「10年5カ月88カ国10万余㎞のハネムーン。日本人初のタンデム自転車世界一周!」
1997年6月~2007年11月走破の宇都宮夫妻は、サイクリング経験がほとんどないトモ子さんが伴侶の夢を成し遂げるべく相乗りし、重装備なゼファー製、キャノンデール製の2台のタンデム車を駆使し10万5805㎞の走破を遂げた。この夫妻の痛快無比な珍道中ともいえる絆を描いた紀行は走破後、「世界でいちばん長いハネムーン」(風濤社刊、夫婦の目線で描かれた四六判496頁の大作)、「88ケ国ふたり乗り自転車旅」(幻冬舎文庫刊)から出版。
帰国後、時あたかも故郷のしまなみ海道はサイクリングブーム。NPO法人シクロツーリズムしまなみに入職し、「世界の人としまなみをつなぐ架け橋になりたい」とポタリングガイドとして活躍中。
そして最後の銀輪大使、中西大輔(平成10年28歳~39歳、兵庫県)
「11年130カ国15万余㎞走破!各国で要人と交流。植村直己冒険賞他を受賞!」とキャッチフレーズを掲示。
1998年7月~2009年10月世界130カ国15万1849㎞走破の中西は、元米大統領カーター夫妻、元ポーランド大統領ワレサ氏、ヤダブ・ネパール大統領、エベレスト初登頂のヒラリー卿夫妻、イランの女性ノーベル平和賞授賞のエバディ弁護士、ブラジルのスポーツ大臣となったサッカー王ペレ氏、カメルーンでサッカーアフリカの星エムボマ選手母子、エチオピアのマラソン王者ゲブレセラシエ選手らと交流し、ペダル友好旅を伝える。
ポーランド・ローディングのマルボルク市長からJACCへの友好親書、アフリカ・チュニジアのサイクリング連盟からJACCへの友好親書と友好牌が贈られ、まさにJACCの目指すペダルによる友好親善と国際交流を果たした銀輪大使。
南米ボリビアやペルーでは自転車友好活動の功績が称えられ名誉州民章や市民章を受けた。
日本人最多国走破記録の更新、これらの活躍で第4回「地球体験ペダリアン大賞」(5年に一度、活躍した世界のサイクリストへJACC日本国際交流協会が贈る賞)を受賞、国民栄誉賞を受賞した故・植村直己氏の功績を称えた第14回「植村直己冒険賞」(兵庫県豊岡市主催)を受賞。そして、母校追手門学院大から創設者の第1回「高島鞆之助賞」が贈呈され、3冠に輝く。
著書に「世界130カ国自転車旅行」(文春新書刊)、「放浪哲学」 (ソフトバンク出版刊)、「騎出来的人生美景・世界130国単車騎行記」(中国の新星出版社刊)がある。
現在、輝ける人生を目指し、ペダルを踏み続けている。JACC国際部長として活躍中。
◇ ◇
会場の「植村直己冒険賞」や「友好親書」等が展示されているガラスケース上には、“自転車で世界一周「冒険とは生きて帰ること」国民栄誉賞を受賞した植村直己さんが遺した言葉”を掲示。
また、自転車地球体験で活躍した世界のサイクリストへ日本アドベンチャー・サイクリストクラブが5年に一度贈る、歴代4名の受賞者を紹介したパネル上には、“ペダルで叶えた「夢と希望と友好のチャレンジ!」こんな日本人がいた…”を掲示し、自転車冒険展示を訴えています。
この7人の冒険サイクリストによる“ペダルは海を越えて!「世界を走った自転車展」” は、民間の銀輪大使として、地道にこつこつとペダルを踏み進めるチャレンジ精神で、培ってきた友好の大切さを多くの人々に少しでも伝えることができれば、これ以上の喜びはありません。この喜びこそ、未知の世界へのチャレンジを支えて下さった多くの人々に生かされた活力の証と思うのであります。
まさに、冒険の道。チャレンジの道。友好の道。
果てしなく!!
「人類進歩の原動力は冒険にある」
「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」、のだから……と思うからであります。

無念! 幻となった河野兵市「瀬戸町冒険学校」構想
※池本元光代表からの報告です。(2015年4月13日)
自転車世界一周後、日本人初の北極点単独徒歩到達(1997年5月20日、当時39歳)を遂げ、北極点から故郷愛媛県への人力による「リーチングホーム」プロジェクトで北極海に眠った(2001年5月)河野兵市評議員(当時43歳)。遭難して14年、5月17日は命日にあたる。
河野の故郷佐田岬半島の瀬戸 町では、河野の偉業を記念して「河野兵市冒険学校」基本構想計画案A4紙6ページ(2002年11月)、「瀬戸町冒険学校ビジョンの整備構想」A4紙24ページ(2003年3月、予算約6億円)が着々と進められていた。
が、しかし、その壮大な計画は幻と消えた!
まったく、無念!としか言いようがない……。
5月の命日を前に、JACCはここに構想の一部を紹介し、JACCが誇る冒険フロンティア”河野兵市”を偲びたい!
同志“河野兵市”を忘れないために!!
合掌
JACC創設・代表 池本元光









ネット時代の自転車旅

手元に、1983年タイ政府発行のハイウェイマップがある。
30数年前仕事で度々訪れていたころ、タイの友人に貰ったものである。今、旅から帰ってこれを見直しているが、少なくとも走行した道については、全く変わっていなかった。
観光客に地図は要らない。ガイドブックさえあれば良い。しかし、自転車旅に地図は必須である。できれば地形の解るものが良い。今回、東南アジア四カ国-タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム-を走るにあたって、バンコクに着いた日、まず本屋で地図を買った。30数年前の地図ではいかにも心もとなくタイの地図も購入した。しめて5,000円ほどかかってしまった。次にいつでもどこでも飛行機の予約が出来るようにと、SIMフリーのタブレットをSIMカードといっしょに買った。こちらは約17,000円。ミャンマー、カンボジアでもSIMカードを買換えたが、約200円で1ヶ月使い放題である。東南アジアの通信料の安さには驚かされる。必要なセッティングは、どこの国でも購入した店がすべてやってくれた。
バンコクの宿に持ち帰って、早速いじっていて気が付いた。いつものスマホより画面が大きく、老眼でもGoogle Map が良く見える。チェンマイからの予定コースをたどると、なんと小さなゲストハウスまで表示されるではないか。しかもストリートビューや衛星写真でおおよその地形がつかめ、GPSで自分の位置が確認できる。それからの自転車旅はまさにこれが頼りの旅となった。ミャンマーの地方道には道標などほとんどない。不明瞭な分かれ道になると、休憩がてらにタブレットを開く、そしてGPSをオンにする。これの繰り返しで、迷うことなく走り、またどこでも簡単に宿を見つけることができた。おまけに日本のニュースもリアルタイムで知ることができ、Lineを使えば無料で国際電話もできた。

最近見かける自転車旅をしている人は、たいていマウンテンバイクかホールディングバイクに乗っている。自分のものは、ランドナーと言われるちょっとクラシックな旅用自転車で、着けているバックもまたクラシックな帆布製である。部品調達のし易さ、列車やバス、飛行機を使った移動のし易さなどを考えると、絶対ランドナーの分が悪い。それでも、昔出来なかったことを、還暦をすぎてやっている自転車旅である。自分の好みに合った昔ながらのランドナーをこれからも乗り続けようと思う。しかし、硬くなった頭を少し柔らかくして、地図情報などはネット時代の恩恵を受けて、効率よく安全に旅をしたい。そうすることが、シニア自転車トラベラーが多くの国を回るコツのひとつのように思えてきた。
新しい有料高速道路が載っていなくても、どうせ自転車の通行はご法度。30年前のハイウェイマップも自転車で走る分には全く問題ない。使いたい物、使える物あるいは使うべきものを用に応じて使い分ける。そんなことを考えながら、色んなシーンを思い出しつつ、走ってきた道に沿って30年前の地図に赤線を入れている。
「16年前JACC入会時の思い、今」
──岩手の小澤12歳少年期から26年間の交流

岩手県奥州市で妻子とつつがなく暮らす小澤結(ゆう、38、東京農工大OB、身長178cm、剣道二段、公務員)は、同県水沢市(当時)の真城小学校6年生(12歳)だった1988年11月27日に、事務局長(当時)池本へ手紙をしたためた(その文面は夏休みに友達3人で小さな冒険サイクリングに出発する朝に撮った写真と共に1989年1月1日発行ペダリアン第26号6面に紹介された。※表紙は台湾の胡栄華さんに「地球体験ペダリアン大賞」決定!の掲載号)。
12歳の小澤少年は、池本元光現代表(67)、舩木迫勇夫評議員(67)との交流10年目の23歳、社会人(システムエンジニア)として自立生活のスタートを切り、興味を傾注する“地球体験”と“国際交流”活動を展開するJACCに正式に参画。16年前のJACC登録カードには「やっとこれを送る日が来ました」とあり、まったく嬉しい限りであった。
積極的、かつ、やや楽観的、人一倍の集中力に強い心と体を持つ小澤は、米カリフォルニアのサンディエゴに暮らす梶政雄支部長(62、元副代表、東京・府中出身)とも心身があい共通し、学府の後輩というのも頼もしい限りだった。
以下は当時の小澤のJACC活動への貴重な思いをひも解くものである。
「ペダリアン」でJACCの皆様のご活躍を拝見させて頂いております。
私は、所属する大学のワンダーフォーゲル部で、96年7月に起きた沢登り中の遭難死亡事故で、最も仲の良かった先輩を一人亡くしました。それから8カ月間の活動停止後、新年度からは主将として1年間、縦走、沢登り、山スキー、岩登りといった活動を行っていました。
自転車の方は、大学2年、3年と連続でそれぞれ2週間程度北海道を走りました。幸か不幸か部の活動が盛んであったため、休みがあれば山という日々で、自転車に乗ることが少なかったように思います。
現在は、卒業論文作成のため勉強中心の日々です。野外の農作物や森林などの光合成に関わることをテーマとしているため、調査でほぼ8月いっぱいは北海道へ行っていました。
ここからは、64号(1998夏)のペダリアンを読んで考えたことなどを書きました。
地球の温暖化、ダイオキシンなどの環境ホルモンの問題に対する取り組みの中でも「ペダリアン」64号3ページにある「ハース」のような自転車が生産されることは、まさに最先端と言えるのではないでしょうか。更に自転車協会の統一ブランドというのも賞賛に値するものであると思います。
今後、人間を取り巻く食料や環境の問題は、ますます深刻化していくことでしょう。これらの問題は、政策と科学技術の前進なしには解決できないところまで来ているとは思いますが、そういった地球規模の問題と、これからの日本社会の余暇の利用の仕方にまで言及するシンボル的な乗り物として社会に提供できるのは自転車以外にないような気がします。
また、持論ではありますが、そういった問題や、国際関係や経済、社会など世の中のあらゆる問題を根本的に解決するための手段は、最も時間がかかり、かつ困難であるとは思いますが、「教育」であると私は考えます。
そのための教育ができる土台が、ある程度整っている地域や国は、本当に限られているとは思いますが、教育なしに真の解決はありえないと思います。
JACCの自転車を軸にした地球体験、国際交流の情報提供と活動の普及は学校教育とはまた異なり、新しい世界を創造する人間を教育し育成しているものと言えるのではないでしょうか。この点で、JACCの存在と活動は、今後更に社会の中で重要性を増していくように思います。
最後に、地球規模の問題の解決には、国家間や民族間の問題を避けては通れません。これも国同士、民族同士の取り決めや条件が必要不可欠ですが、本当の意味での相互理解と問題の解決は、個々の人間同士の交流、友好関係なしにはありえず、そういった意味で、「地球体験と国際交流」を実践する人達=ペダリアンは、誰しもが世界の将来を担っていると、言えるのではないでしょうか。
以上、64号を読んで、思ったことを、また今まで考えていたことをいくらか書き連ねてみました。
実際の私はと言いますと、9月初めにあった大学院の試験に落ちてしまい、全く就職活動もしていなかったため、これからどうしようかと少々頭を悩ませています。高校の頃から作家・写真家の故星野道夫さんに非常に憧れ、アラスカに惹かれていたのですが、舟津
圭三さん(JACCアラスカ支部長)の「アラスカ犬ぞり物語」を読んでその思いが一段と強くなったので、いつか舟津さんを訪ねてみたいとも思っています。
※「ペダリアンの記事の足しになるかどうかは分かりませんが、何らかの形で利用して頂ければ幸いです」と追記してくれていたにも関わらず、ペダリアンの紙面で紹介できず、インターネット時代の今日、遅まきながらやっとJACCホームページに到達させて頂けることになりました。本当に長い長い、長い歳月、温め過ぎ、大変申し訳なく思っています。これにこりず、今後ともJACCを宜しくお願いします。
このまま一生終わるのか?から「初陣! 小豆島・吉田康彦 豪横断パースへゴール!」を振り返る

吉田康彦(81/11生まれ、05/7入会、香川県小豆島)
2007年9月~10月(シドニー~パース横断)
以下は吉田が帰国後の07年10/31にJACCへ寄せた報告書である。
出発までの経緯①
6月半ば、昨年8月に会社が閉鎖され下請けで働いていたが、どうも毎日が納得できなかった。
このまま一生終わるのか?
そんな時、池本さん(JACC代表)に電話をし、海外へ行きたいことを伝える。
すると、数日後の6/23、台湾遠征に始まる39年ぶり3分割世界一周の壮行会があることを聞き、出席することにした。
そこで小森さん(和歌山、JACC評議員、世界一周経験者)や世界を目指す坂本君(奈良、南米経験者)らと話しているうちに心は決まっていた。
また、池本さんの世界再挑戦の計画を聞いていると、さらにやる気が伝わってきて、自分にも出来るかもしれない。どこか旅したい!! そう思った。
その7日後、6/30付で会社を辞めた。
やると決まったら、行動は早い。事務局長の出口さんのショップ銀輪亭で自転車を誂えてもらい、たくさんのアドバイスを受けた。 7月末には、高松市内の下宿先も引き払い、小豆島の実家に帰った。
8月、1週間。そのランドナーで四国カルスト越え600キロのトレーニング旅。1400m近い峠を何本も越え、ある程度の自信をつけた。
そして、9/3のシドニー行きのチケットを購入し、出発の日を待った。
英会話は、まったくダメだが、そんなの後回し。とりあえず日本を出てみよう!! 行ってから考える!!
こうして僕の初めての海外長期遠征は始まった。
オーストラリア横断ドキュメント②
9/3日本を出発し、翌4日シドニーに入った。
早速、有名なオペラハウスへ行くがAPECのため、残念ながら近づけず遠見の見物。そして5日、早くも行動開始に移る。国道32号のミッチェルハイウェーを横断するため、シドニーを後にした。
ブルーマウンテンの山越えに入ったが、連日の大雨と霧、朝晩の寒さ(5℃)に参ってしまった。太陽よ!早く顔を出してくれと頼む思いだ。山の天候は変わり易く、雨は6日間も続いた。
景色は「アウトバック」と呼ばれる砂漠地帯に変わった。生い茂るユーカリ樹のジャングル。赤茶けた広漠たる大地。続く一本道。ようやくオーストラリアらしくなってきた。
しかし、そのアウトバックこそ、自転車の敵であった。それはパンクである。路肩に転がる無数の植物のトゲ。ほぼ毎日パンクする。多いときは、いっぺんに5カ所。前後ともパンクするときもあった。20カ所以上、トゲに刺された。おかげでチューブは、継ぎ接ぎだらけ。パッチも半分に切ったり、3分の1にしたり節約。予備チューブさえ危うい。もう泣きたい思いだった。タイヤの細いランドナーは、失敗だったかな?と不安がよぎる。
それに加え、強烈な向かい風に横風。初めて経験する大陸の風は、容赦なしだ。もう勘弁してくれ、と叫んでいた。たまに車が止まり、親切にも「乗っていかないか?」と言ってくれるが、丁寧に断り自走を続けた。
何が何でも、どうしても自分の力だけで横断したい!!
9/26いよいよ難関のナラボー平原に突入する。気温は15~30℃前後で良いのだが、風は、またまた向かい風で強い。セルフタイマーで撮影中、三脚ごとカメラが飛ばされ、レンズにキズ(現像してみたが写真は無事だった)。また、不注意で財布を落とし、50キロを引き返したりとアクシデントが相次いだ。
食料は十分用意したが、向かい風のせいでかなりの労力を使い、腹が減って、減って仕方がなかった。チョコバーも1日5~8本、コーラ2ℓ、アイス2本を食べる。ロードハウスで補給するが、へき地のためか物価は高い(板チョコ1枚9ドルもした!!)。糖分の過剰摂取か?鼻をかむと真っ赤っ赤。鼻血だ。しばらくそんな状態が続いた。
ナラボー平原では、モーテル泊しないと決めていたが、中間地点ぐらいにあるマドゥーラではたまらずベットイン。連日の向かい風と疲労でクタクタだった。もう早くここを抜けたい、1日も早く……そればかり考えるようになった。
そして10日後の10/5、ナラボーの西の入り口ノースマンの町に到着。出国してから1カ月ぶりに肉と米を口にした。そして思った、やはり日本人は米だ。ナラボー横断は、達成感よりはホッとした感じが強かった。
ノースマンを出ても、また向かい風である。いつまで俺を苦しめる気だ!! 毎日ペダルを漕ぐのがイヤになる。でも不思議なもので、朝起きると「今日もやるゾッ!!」と気持ちが入る。途中、世界一周中で埼玉の浅地亮君というサイクリストに会う。北米、南米を走り、豪一周中であった。自転車のフレームが折れて、新車になったばかりだという。いろいろ話を聞いていると、こっちも気合いが入る。日本語が恋しかったからかもしれない。もう少しだ!!
カルグーリー~ウェーブロック~ヨークと寄り道をしながら10/17、念願のパースに着き、約6年越しに夢はかなった!
19歳のとき、小豆島を出て初めて自転車で四国一周の旅をした。その時、オーストラリア横断を将来の夢としていたので、ここが6年間思い描いていた夢の到達地なのか……、そう思うと感無量になった。
実現は夢の夢の、また夢だと思っていた。それが、今ここに立っているのだ。やったゾ!! やったゾー!!
しかし、身体はクタクタのボロボロだったが、まだビザに1カ月の余裕があり、豪縦断かどこかを走ろうかとも思ったが、内陸部は40℃近くもあり、もういいやと諦めた。別にエアーズロック見なくても、コアラを抱っこしなくても、美味しいものを食べなくても、豪の大自然や人々の優しさを肌身で充分感じとれた。普通の観光旅行者よりも、ずっと良いものを見聞できた。
そして、最後ぐらいちょっとリッチに良いホテルで……と思ったが、観光客が多くどこも満室。結局、30キロまた戻り、キャラバンパークでテント連泊。10/21の離豪まで滞在した。
それにしても、世界一周クラスの旅をするサイクリストはスゴイ!!と改めて思った。

総括・感想③
英語の問題
今回行く前からの悩みごと「英会話」は不安の種であった。がしかし、3日ぐらい経つとそんな悩みは吹っ飛んでしまった。英語なんて喋れないで当然だ……と、英語教師じゃあるまいし、大卒でもない。上手く喋ろうと思うから、いつまでもできないのである。カタコトでいい、下手クソでいいから、自分から喋っていかないと前に進まない。何せ一人なのだから。旅行会話程度でも十分に交流、生活はできた。そのようなものは、日を重ねると慣れてくるものだと実感した。
出会い・親切
この旅は“一期一会”、出会いの繰り返しだった。毎日、何台もの車が「グッドラックサイン」を送ってくる。パッシング、クラクション、ピースサイン、人差し指を立てたり……はたまた、列車まで汽笛を鳴らし、応援してくれた。
これはオーストラリア人の一人ひとりが自転車旅行、キャンプ等のレジャーに理解、関心を持っている証拠でもあり、また、いい旅をして欲しいという現れでもある。
パンク修理をしていると何台もの車が止まり、水はいるか?乗っていかないか?と気にかけてくれる。本当に感謝のしようがないくらい、親切・やさしさに溢れていた。そんな人々との出会いによって僕は、豪横断が出来たのではないか。
ありがとう!! 豪の皆さん!!
自転車
当初、MTBで行こうかと悩むが、出口事務局長の薦めで旅自転車の元祖ランドナーで行くことになった。アウトバックではパンクに悩まされたが、それでも重い荷物を積んで頑張ってくれた。
途中、フロントキャリアの取付部のナットを紛失し、ガチャガチャと音鳴りが激しく、モンキーレンチで道路標識のナットを外して拝借、代用させて貰った(スミマセン)。
自転車旅行はMTBの波と共に、タイヤ等の互換性の面でもMTBが主流となってきて、ランドナーは古臭いかもしれない。しかし、その機能美あふれる構造は、海外を走って思ったのだが、どこか日本人的情緒を感じさせる。
それはその昔、夢を持った多くの日本人、またはJACCペダリアンらがランドナーを駆って、見知らぬ世界へ勇躍チャレンジしたイメージがあったからかもしれない。自分もなにか、その伝統?を引き継いでいるようで、嬉しい気分である。

すべてに感謝
帰国して、10日あまり経つ。
旅しているときは、辛くて止めたくなる時もあった。こんなことをするのが俺の夢なのか? その繰り返しだった。そんな時、あの偉大な植村直己さんの言葉を思い出す。
「夢の大きさでなく、その夢が実現出来たかでもない。その夢に向かって、どれだけ心をかけれたか? その夢に向かって、熱中、努力する心が大切だ。結果ではなく、経過が大切だ」と。
南米、アフリカに比べると豪横断など冒険的レベルは低いかもしれない。けれど僕にとっては、大きな夢であった。それが叶った今、とても満足している。道中、毎日いろんな人に出会い、世話になった。一日一日が大事だったと改めて思った。すべてに感謝だ。
JACCに入らなければ、この夢の実現は不可能だったかもしれない。他の会員の皆さんのアドバイスを直接聞けなくても、JACCに入っているという誇りだけで、僕は夢に近づけた気がする。
また「ひとつの旅を単なる自己満足で終わらせてはいけない」と鈴木さん(東京、JACC評議員、世界一周経験者、自転車環境研究家)の文(ペダリアン101号に掲載)を読み、そう思った。自分の経験を何らかの形で、社会活動に役立てなければ。そこが、一般サイクリストとJACCペダリアンの一番の違いだと思う。終わってからこそが、JACCの本来の目指す役目だと。
最後に、豪で出会った人々、小豆島の友人、家族、餞別を持たせてくれた親戚の皆さんに改めて感謝したい。
そして、僕をやる気にさせてくれた池本代表はじめ、他の会員の皆さん、自転車を誂えてもらった出口事務局長にお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました!!
「JACC」について思うこと ~例会等に参加しづらい、遠方会員の立場から~
遠方ゆえに2回か3回ぐらいしかJACCのイベントに参加しておりませんが、「例会のみがコミュニケーション」と言われると、私たち遠方の会員は見捨てられたも同然なのでしょうか? 「JACC」は単なる肩書きに過ぎないのでしょうか?
それはまったくの大間違いです。JACCは大学のサークル、芸能人等のファンクラブではありません。仲間内だけで何かやろうというご近所クラブではありません。
池本さんや鈴木さんら理解ある皆さんの言う通り、会員の誇りを持ち、少しでも社会活動に参画し、繋がりを維持するのがJACCだと思います。
「JACC」は、自転車冒険と国際交流、平和を愛する会員が一人でもいる限り、永久に存在するでしょう。いや、夢を持っている限り……。

2015年 JACC新年会
日本全国から、総勢35名が集まり新年会が行われました。
2015年1月10日(土)18時~21時・ホテルクライトン新大阪

1.開会のことば (司会者:池本元光代表)

JACC創設者として36年間クラブを引っ張ってこられた池本元光代表が、ユーモアを交えて司会を務めました。
2.乾杯 (宇都宮秀俊副代表)
3.地球体験帰国報告 ネパール他南アジア:山下晃和評議員、台湾出愛旅:叶佐枝子会員、台湾・フランス:山内一生会員

東京から参加のプロ・ファッションモデルの山下晃和評議員が、(2014/9/23~2014/10/28)ネパールを中心に南アジアを自転車旅してきた様子を写真や動画とともに生報告。著書「自転車ロングツーリング入門」発売中!

叶佐枝子会員は昨年初めての自転車旅行で東日本大震災の被災地を訪れ、復興支援メッセージをもらいながら日本一周を走破しました。そして、初の海外サイクリング(2014/12/8~2014/12/22)の台湾でも東日本大震災の復興支援メッセージを各地で集めながら一周サイクリングしました。台湾各地で新聞やテレビの取材を受けたくさんの人々にお世話になり「出愛旅」に感動しました。
4.ピースランプロジェクト 高繁勝彦評議員とニュージーランド生中継

世界平和を訴えて、世界5大陸ランニングの旅(PEACE RUNプロジェクト)を実行する高繁勝彦評議員と、現在走行中のニュージーランドから生中継で現状の様子を伝えてもらいました。
5.世界一周自転車冒険展報告 (自転車博物館 長谷部雅幸事務局長)

JACCメンバーで世界一周を達成した6組7名の自転車が堺市の自転車博物館特別展として、昨年4月から本年3月22日まで展示されています。見学に来た人たちの様子や、夢を描いた子供たちの様子など自転車博物館の長谷部雅幸事務局長より語っていただきました。
6.地球体験出発報告 (東南アジア:日名保彦会員、西アフリカ:磯田喜之会員、台湾:山内一生会員、高橋晃一会員、増田勇介会員)

本年・2015年、民間大使として「友情・友好」を胸に地球体験に出発する予定の会員に、お年玉記念品が贈呈されました。(写真左から、磯田会員、高橋会員、増田会員、山内会員、日名会員)
7.出席者近況報告
8.お年玉くじ引き-西畑勝明会員が勤務する「OGKカブト」よりいただきました、自転車旅商品がくじ引き当選者にプレゼントされました。
9.閉会のことば(出口隆二事務局長)
ご来場の皆様有難うございました。来年も新年会を行いますので、ぜひお越しください。
飛べ! 夢路“冒険輪行”
軟なRINKOは身を崩す────────────池本元光・鈴木邦友

少年の日の夢であったキリマンジャロ自転車登頂を最大の目的に、ビクトリア瀑布、赤道走行、マダカスカル島(写真①)、ツタンカーメンの王家の谷・ギザのピラミッド とナイル川を走り、世界一周で遂げられなかった地を限られた時間で訪ねるアフリカ遠征。
移動のたびに必要なのが輪行。
JACCを創設した私、池本元光は、世界一周(68/8~72/12)では、出発の大阪・天保山の埠頭からタラップを押し上げ沖縄~台湾~香港~オーストラリア~NZ~太平洋をカナダ・バンクーバー、米・シアトル~アラスカと船舶。
パナマ~コロンビアへは解体せず飛行機。チリ・プエルトモント~フエゴ島マゼラ ン海峡へ船舶。
ブラジル~大西洋をポルトガルへ船舶。
レバノン~エジプト、そして、羽田へ飛行機。
自転車の解体は最後の飛行機による帰国路のみであった。
そして昨今、移動は海路から空路へと大きく変わり、輪行袋が威力を発揮する時代となった。
アフリカ遠征においては、短期間とはいえ、限られた時間の急ぎ旅ゆえ頻繁な輪行作業が強いられた。

以下、世界一周、豪エアーズロック遠征(写真②)に次ぐ78年第3回アフリカ遠征、第2著『アフリカよ、キリマンジャロよ』(サイマル出版会刊)のⅢ章アフリカ、ポレポレ急ぎ旅 6節リターン・ツー・アフリカの終章文面で、輪行袋への解体作業に関する思い入れと紀行の抜粋である。
◇ ◇
三月二四日朝、ホテルの天井を見つめる。“今日からは、もうタ ルーゼ号にムチ打たなくてもいいんだ”と思うと、ほんのりする。
夢を追いつづけたアフリカ遠征も、こうして終わってみると、なぜか空しさだけが走馬灯みたいに駆けている。
今日からは、次の目的地もなく、“ジャンボ・ボラ・アフリカ”と、大自然に挨拶することもない。すべて、クワヘリ・アフリカだ。
重い体をふるい起こし、タルーゼⅢ号の解体作業に入る。僕はこの時が一番イヤだ。はかない気持になる。ひとつずつに思いを込めて、ゆっくりと部品を取りはずす。
まずペダル。おまえとはキリマンジャロ頂上をともに踏破してきた。
次にサドル。いろいろな種族の子供たちを乗せ、楽しませてくれた。ありがとう。
そしてハンドル。おまえには、マサイ族の襲撃時にかいた冷や汗の跡が、いまもしみついている。
最後に車輪。あのハーマンおじさんが登頂時に、おまえをハンス・マイヤー・ポイントまで、疲れ果てた僕の代わりに運んでくれたんだ。
すべての思い出とともに、僕はていねいに愛車を輪行袋に納めこんだ。その輪行袋は、来たときよりも思い出の分だけ重くなったような気がする。
食事をとりに食堂へ向かう。食欲はあまりなく、窓越しに、高さ一八〇メートルのカイロタワーをぼんやり見つめると、なぜか急に、自転車を初めて手にした少年の日のことが、昨日のように甦ってくる。
区民体育大会で、二等の賞品でもらったピカピカの赤い自転車が、この僕の物になったのが二〇年まえ(あとにも先にもこれほどの賞品を獲得したことはない)。そして、いまも僕のそばにはいつも自転車がいっしょだ。
これから先も決して離すことはないだろう(タルーゼⅠ、Ⅱ、Ⅲ号は、いまも、関西サイクルスポーツセンターに展覧され、訪れる子供たちに夢を与えるという、しあわせな“余生”を送っている)。
また、同じ少年の日、『少年ケニヤ』という絵物語で動物の楽園ケニアを知り、『キリマンジャロの雪』の映画の出現で、キリマンジャロに完全に魅惑されてしまった。
これらのすべてがあい重なりあい、今回の自転車によるアフリカ遠征へと至ったのだ。
そんなことを考えながら小一時間が過ぎる。
フライト待ちと、いままでお世話になった人びとへの便りと挨拶まわりを兼ねて、明日から三日間、このペンション・アングロスイスに滞在することにした。
自転車を連れていない僕がてくてく街を歩いている。まるで、翼をなくした鳥のような感じだ。自然と足がタハリール広場の噴水の前に向かう。
水面に映し出された僕。その時、何かで読んだことわざを思い出した。「アフリカの水を飲んだ者は必ず、またアフリカへ帰って来る」僕もまた、いつかこの地に足をおろすことがあるかもしれない。なんといってもキリマンジャロの雪解け水をだいぶ飲んだんだ、ご利益があるかもしれない。
わずか六〇日あまりの旅ではあったが、高山病の恐ろしさやマサイ族の襲撃など千変万化、いやというほど体験したけれど、やはり、アフリカはその数倍もの魅力でもって、僕を強く惹きつけている。これがアフリカの魔力かもしれない。
まさしく“アフリカには毒がある”といわれるが、そのとおりだ。
三月二七日、帰国準備に入る。思ったより荷物の多いのに驚く。
そして、厳密にいえば三月二八日(六八日目)午前零時すぎ、早朝フライトのため、空港へ向かうことになり、ペンションのドアを初めてキーを掛けずに出る。
アエロフロート五八三便。シートベルトを締める。これでキリマンジャロに賭けた僕の青春の旅はすべて終わった。
アフリカ大陸の旅の途中では悲喜こもごもの出会いがあったが、土地に生きる人びとの姿や心にそのまま触れたことが収穫だ。最後の地での少女の石つぶては心に 痛かったが。
機体が助走をしはじめた。
いよいよお別れだ。
KWAHERI AFRICA(さらば、アフリカよ)
RETURN TO AFRICA!
◇ ◇
こうした旅を完成させるには、輪行の知識があってこそ完成させられることは申すまでもない。
世界一周を遂げ、自転車環境研究家として活躍する東京の鈴木邦友評議員(池本著『自転車冒険大百科』/大和書房刊のイラストを協力している)の「飛行機輪行考」をひも解き、旅立つ仲間へ役立てたいと思う。
◇ ◇
海外サイクリング。
まず気になるのが自転車の運搬手段、輪行だ。通常の輪行であれば、自身で管理することができるが、飛行機輪行となるとカウンターで輪行袋を預け、航空会社に 全てを託すことになる。何があっても自らはどうすることもできない。しかも旅行用のトランクやカバン等大型の荷物と一緒に扱われる。自転車であっても特別な扱 いは期待できない。例え取り扱い注意(FRAGILE=われもの)のシールを何枚貼ったとしても、他の荷物にも同様に貼ってあれば結局それらと同じ扱いとなってしまう。
荷物を積み重ねられた場合、重くてかさばれば一番下にされる可能性も高い。

空港の建物から飛行機に運ばれる貨物コンテナーを見て、輪行袋がその一番下に横置きにされ、上にいくつもの大型旅行トランクが積み上げられており、悲鳴をあ げたことがある(写真③)。走る前から、自転車は大冒険なのである。
実際、空輸中のトラブルで、致命的なダメージを受け走行を諦めなければならないこともある。
ダメージ例と対策を挙げると、
①エンド幅がくっつく損傷。
※輪行専用エンドシャフトや木材等での工夫。
② リア変速機のエンドブラケット曲り、折損。
※出っ張る変速機を外し、ぼろきれや新聞紙でくるみ縛る。
③ シートポスト差込口の潰れ。
※サドルは抜かずいっぱいに沈めて固定するか木材を栓のように加工する。
④ 輪行袋の破損で小部品の脱落。
※外した部品やネジ類等は元の位置にしっかり固定するか保存。
⑤リムの曲り、車輪の歪。
※外した部品同士しっかり縛り付け、梱包後、輪行袋を数㎝ほど持ち上げ落とし、その際「ガチャ」と音がするようではダメ。部品同士が接している所は緩衝パッ キン(プチプチ)等を挟みバッグベルトやマジックベルトで絞める。隙間に丸めた新聞紙や衣類等を汚れないように詰める工夫も必要。
⑥ チェーンホイールの変形。
※車輪同様横からの力に弱いので、六角レンチ1本で外せるワンキーレリーズ等を使って右クランクごと外してしまうのも手。
⑦車輪のクイックピン曲りや戻し時の折損。
※フレームをサンドイッチした車輪の軸は輪行袋から出っ張る部分なので、サイドバッグ等を当てる工夫が必要。長距離行にはクイック式ハブシャフトは不向きだが、採用時は要注意。
⑧ ドロヨケ潰れやキャリヤ曲り。
と様々。
※それらを防げるメーカー出荷の七分組ダンボール詰めで、空港カウンターへの持ち込みもあるが、帰路や度々の運輸を考えると、結局軽くて荷物にならない丈夫 でコンパクトな薄手の輪行袋となる。
寝袋、着替え等をクッション代わりに輪行袋に詰め込み各出っ張った部分にもずれないように緩衝材を当てることが自転車へのダメージ防止に大きな効果を生む (写真④)。

自ら管理できない飛行機輪行にはどんなトラブルがあるか分からない。走る前から走行不能にならないために。万全の準備が必要だ!
◇ ◇
それにしても、飛行機輪行ではないが、急ぎアフリカ旅でビクトリア瀑布へ走るためにタンザニアの首都ダルエスサラームからザンビアの首都ルサカへ向かった時のこと。
ダルエスからタンザン鉄道の中国製列車“東方紅“で1850km西の終着駅カピリムポシに到着。ところが、ルサカへ走る本線の駅カピリムポシまでの1.5kmの間は、公共輸送機関による連絡便が全くなかった。
降りしきる雨。駅前にタクシーはなく、軍隊のトラック数台が駐車しているのみ。
約2時間待つが、便乗できる車も見つからず、雨は止みそうもない。ポンチョを着込み、こぬか雨のそぼ降るなかを、約35㎏の輪行袋を背負って、赤土のどろどろ道 を何度も何度も背負い直し、半時間歩いたことがある。
考えればこれしきの距離、アフリカでは“すぐそこ”なのだ。
しかし、たった1.5kmの距離だったが、アフリカの旅でこの時ほどやりきれない気分にさせられたことはなかった。
こんな馬鹿げた体験も、すべて今は昔。KWAHERIだ! そうだろう? 鈴木君。
冒険輪行の旅の数々──「青春の特権は冒険に賭ける可能性にある」、と懐かしく思い返す池本と鈴木の夢路考、これにて打ち留めだ!


世界一周経験者のメカトラ修理ノート





2014年ペダリアンの集い 山梨県

2014年のペダリアンの集いは8月13・14・15日、山梨県の富士河口湖で開催されました。日本全国からの会員、会員外の合計18名が集まり、情報交換と親睦を深めました。

8月13日 PM6:27 バーベキューの食事会開始

夕食のあとは大部屋に写り、フランスサイクリングから帰国したばかりの山内一生会員の「ツールドフランスサイクリング報告」や芥さんの「能登半島サイクリング報告」、ほか参加者の体験談が発表されました。
8月14日 AM8:45 サイクリング開始


12名で出発してずぶ濡れになりながら最後まで走り切ったのは8名でした。
PM8:45 食事会開始




8月15日 AM6:00

天候不良の2014年夏の3日間でしたが、美しい湖のほとりの自然景観を満喫し、サイクリストの親睦をはかれて有意義な集いとなりました。企画や準備をしてくれた出口隆二事務局長ほか参加者の皆様たいへんお疲れ様でした。
2015年の「ペダリアンの集い」は中部方面で行いますので、全国皆様のご参加をお待ちしております。